第281回
小難しい書き出しになったが、要は今の勤め先に「仕事はメチャクチャ出来るのに人望がない人」「仕事はボチボチだが、人望のある人」の2種類がいて、その不平等感が居たたまれないというお話だ。 一昨日、俺は社員旅行で出かけた沖縄で衝撃的な経験をした。夜の宴もたけなわとなった頃、●●がおもむろにこんな事を言ったのである。「取引先から餞別やら祝い金をもらった。ついてはあみだくじでこれを分配しようとも思ったが、今回は全員に『普段世話になっている人』を書いてもらい、そこで名前の挙がった人にこのお金を適宜分配したい」……と。この文面は意味が分かりづらいかもしれないが、現場で聞いていた俺もすぐには理解できなかった内容なのでご容赦願いたい。まあ人気投票で、名前の挙がった人から抽選で2千〜3万円入りの封筒を配りましょうという意味である。お分かりになるだろうか? 果たしてその投票が始まったのだが、その余りにも配慮に欠ける方法に俺は舌を巻いた。俺は当初、箱の中に無記名投票し、全ての票が集まってから開票してゆくのかと思っていたのだが、さにあらず。その名前を書いた票を持った人が一列に●●の前に並び、その目の前で一票一票が開票されたのである。つまりこれは記名投票とまったく同様であり、現金を配る方法、および日ごろの感謝を伝える方法としては著しく不謹慎なのではないかと感じた。その投開票は10分あまりに亘って続き、会場では歓喜の声、落胆の声もあがっていた。なかには1人で3票ももらう人間も出る盛況であった。 しかし、である。ここにおいて票が入らなかった人の立場はどうなるのか? その中には俺自身も含まれていたのだが、編集長1名、編集長代理1名ほか10名あまりが取り残されてしまったのである。しかもそのメンツは、社員であれば大体が予想できるもの。俺なぞは入社1年あまりの若造だから仕方ないにしろ、普段から人気のない人がそこに残されているのはあまりにも「痛い」。結局は売れ残った人々にもそれぞれ封筒が配られたのであるが、これでは結局晒し者にされただけ……なのではないだろうか。初めから全員に配るつもりだったのならば、この過程はいったい何のためのものだったのか? 結果、宴席はおおいに盛り下がったことは言うまでもない。直前まではそこここで聞かれた歓声も、すっかりひそひそ話に変わってしまった。この一連の行為にもっとも敏感に反応したのはほかでもない俺自身。周りの人を巻き込んで(何しろ、俺の両隣に座る人々も「お呼びでなかった」から)大グチグチ大会である。これは私情・私憤にすぎないだろうが、本当に涙腺が熱くなった。フリーのカメアシ時代にも、ここまで熱くなったことはなかったのではなかろうか。 そこで俺は、仕事の出来と人望についてあらためて考える。現在のところ「出来る人間ほど嫌われる」という結論になりそうなのだが、どちらも両立させている人もいるから始末が悪い。人が人を評価することの難しさと限界を露呈させたこの一件は、俺の20代最後の夏に大きな教訓を残してくれた。 俺自身はどちらも両立させたいのだろうか? その問いも、俺をさらに混乱させる。こんな青い気持ちになるのは本当に久々だ。乱文失礼である。 |