第279回
さて、酒は百薬の長といわれる。適度の飲酒は健康に良く、最近ではワインなどがその効能で注目されているのは周知のとおり。俺もまあ飲まない方ではないのだが、徹夜でつき合うほどの気力は昔からない。だいたい、酒がうまく感じるのは最初の1〜2時間ほどなのであって、それ以降はアルコールであればどんなものでも良くなってしまう。それでは酒に対して失礼であるし、何より健康によくないではないか。聞くところによれば、酒(アルコール)の依存性は煙草よりも麻薬よりも強いのだという。大麻擁護派の人々はそれを引き合いに出して大麻を礼賛しているが、俺も大麻がそんなに良いものなのであれば良いではないか、と思っている。最近では酒類のビン・カンに「妊娠中や授乳期の飲酒は胎児・乳児の発育に悪影響を与えるおそれがあります。」と明記されるようになっている(そういえば先日行ったアメリカのビール瓶にも同じような意味のことが書いてあった)が、これもお上が酒の害を認めざるを得なくなってきた証左だろう。何事も、ほどほどにするのがよろしいのである。 この一環として、最近では酒の販売にもずいぶんシビアな目が向けられるようになってきている。酒の自動販売機は最近まったく見なくなったし、コンビニやスーパーなどにも「未成年に酒類の販売はいたしません」というお触れが高々と掲げられるようになった。まあ本当に飲みたいボーイズアンドガールズはどうあっても手に入れて飲むのだろうが、これも社会が本当の害に気づき始めたということなのだろう。 しかし、以前の日本は酒に対してずいぶん大らかだったような気がする。もう時効だろうから言ってしまうが、俺はすでに5歳の頃からビールを飲んでいた。父の晩酌につき合っては、しょっちゅうコップ半分ほどを飲んでいたと思う。当時は銘柄がどうのとか冷え具合がどうのと語るべくもなかったのだが、とにかく親の真似をしたい年頃である。それは恐らく11、2歳の頃まで続いたのではなかったか。俺も俺だが、親も親なのである。 そして中学時代。当時の俺は毎晩晩酌を嗜むわけではなかったが、このころは悪友と何度も無茶な酒を飲んだものだ。当時はまだ発泡酒などといったリーズナブルなものはなかったから、少ない小遣いを出し合っては隠れて飲んだのである。そうするといきおい予算は酒だけに廻り、つまみが少ない最悪の酒になる。そう。気持ちいいのは最初だけで、あとはGERO(以下、G)ばかりの切ない酒になってしまうのだ。 俺をよく知る方ならとうにご存知の事と思うが、俺は中学2年の頃に実家の階段でGEROの滝を作ったことがある。あれは忘れもしない夏のある日。家人が親戚たちと飲みに出かけてしまった夜のことだ。するとピュアでヤングな中学生が考えることはただひとつ(?)。いかに普段出来ないことを為すか。これである。そこで俺達悪友は速攻でそこら中の自動販売機で酒を買い込み、PC-8801で大戦略をプレイしながらダラダラと飲み始めたわけだ。もちろん、先述のとおりつまみはほとんどなし。俺達は順調に大戦略をプレイし続け、家人が帰ってきたのも意に介さずにビール(大)4〜5本、サントリーオールド1本、ワンカップ数本を3名で深夜まで飲み続けたのだった。単調に繰り返される大戦略のターン。時間はもう午前0時をまわっていたのではないか。若い頃は自分の限界を知らないから、それこそ競い合うように飲みまくっていた。意識は朦朧とし、どうやってPCのキーを操作するのかもアヤシイ状態にまで達したのである。 そして、俺はたしか蒲団に横たわったのだと思う。他の2人が強すぎるのか(!?)、俺が弱すぎるのかは不知だが、深夜も2時をまわったそのときである。俺はお約束通り、強烈なG欲に襲われたのである。いくつになっても酒を飲んでのGは悲しいものである。本来は摂食のための口腔から逆流させる悲しみと、あの酸味を含んだお味……今さら書くのも厭になるが、俺はそこで人生初のビッグウェーブに呑まれていたのだ。 その場で吐くわけにもいかず、何とか立ち上がる俺。階下のTOTO便器と巡り会うまでは、一滴たりとも漏らしてはならぬ。ならぬ……のだが、漏れてしまったのだ。当時の実家は自室のドアを開ければすぐに階段となる間取りだったのだが、その階段で下を向いた刹那。俺の口からはどこに入っていたのかと思われるほど大量のGが噴出した。誇張なしで数リットルはあったに違いない。そのGは見事に14段の階段を駆け下り、もう階段じゅうがGまみれになってしまったのである。ありえない。ありえなさすぎる。後にも先にも、あんなに大量のGを吐くことがないことを祈りたいものだ。当時、酒を飲んでいるのは公然の秘密だったとはいえ、階段をGまみれにしたまま朝を迎えるのはよろしくない。俺はその階段を自ら雑巾で拭き清め、あとは朝まで便所の床で寝て過ごしたのであった……。翌日の部活は当然休んだのだが、その後3日間にもわたって酒が抜けなかったのである。こんな中学生もいたという話である。 それからしばらくは酒を見るのも厭だったのだが、高校時代もそこそこに飲り、大学時代は金欠のために欠礼することも多かった。今でも酒とは仲良くつき合っているつもりだが、まあ飲み過ぎはダメよというお話。 |