第277回
何としても学内での写真展を、と息巻いてきた川越東高校写真部OB有志(の一部。俺自身も含めてだが)。会としての体制も整えぬまま手探りで活動を続けている昨今だが、先週になって俺のもとには続々と意見が寄せられはじめた。数名の、心あるOBからの意見に耳を傾けよう。誰の声かと詮索するのはまったく野暮な話。至極まっとうな意見揃いであり、ここではあえて直言して下さった皆さんに敬意を表しつつ、要旨を紹介する。 ・30代も中盤となったOBの参加は現実的に無理なのではないか? こういったご意見を電話やメールで続々と頂戴したのである。おそらく俺は「強硬派」と目されているのであろうが、まったくもって反論の余地はない。本当にないのである。きわめて正論であるし、卒業してしまった高校が廃部になった部のOBに何かしてくれると期待すること自体、最初から無意味だったのではないかとすら考える。 しかし首記のとおり、再びOBが力を結集できる機会を設けることをやめるわけにはいかないのである。それが学内であれ学外であれ、「川越東高校写真部」の冠を付けるにしろ外すにしろ、俺としては自分のアイデンティティーをあの組織に求めたいのだ。たしかにあの部で成功したと思う人もいれば、失敗したと思う人もいるだろう。俺自身、あの学校に写真部がなかったら今頃は何をしているかと考えることがある。あんな就職の「しゅ」の字もないお芸術の大学に入り、職を転々とすることもなかったかもしれない。写真部なかりせば、今頃はマイホームパパという道もあったかもしれないのである。そうした運命の不思議について考えるとき、俺の半生において写真部は欠かせないスパイスなのだ。 この例と同様、写真部にそれぞれ思い入れを持つ皆様がこれまでOB有志として集って下さったのだと俺は信じている。写真部という組織はなくなったにせよ、その母体となる高校との遺恨を残したくないという気持ちも俺にはよく理解できる。また、肩肘張って組織を構築しなくても十分楽しいではないか、という意見も聞こえる。だが、俺の中には「強硬案」も「折衷案」も、そして「軟化案」までもがすでに用意されているのだ。どの引き出しが使われるかは今後の皆様との調整によって決まってゆくことになるが、OB相互の分裂だけは何としても避けなければならないと思う。「総意」という言葉を軽々に使うわけにはゆかないが、「写真部の晩節を汚すな」―これだけは間違いなくOBの「総意」だと信じるからだ。しかし、写真という紐帯によってOB相互が結ばれることを、少なくとも俺は望むものだ。 秋に向け、これからも幾度となくOB会が開催されるであろう。来る25日にも予定されているわけだが、この一回一回が有益なものになり、少しでも「総意」に近づけるよう願っている。 |