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第272回
曇った日の思い出しかない。その河と沼が吐き出す湿気がそうさせるのか、はたまた生い茂る夏草の草いきれのせいなのかは知らないが、その中で彼は毎日自転車を漕いでいた。凹凸の激しい堤防の上やら、役所が掘り返す路肩をわたり、時には真新しい舗道に出くわして安堵した15の春。 2キロあまりの道のりを歩いて通わねばならなかった中学時代とくらべ、5キロはくだらない道のりでも自転車で駈けぬけられるのは高校生の特権だと思っていた。無心にペダルを漕げば、何もかもをレンズ越しに見たくなったあの頃。腰にはコンパクト・カメラを携え、学生カバンの中には親父から借りっぱなしの一眼レフ。誰にレンズを向けるべきか。何をフィルムに焼き付けるべきか。安い黒白フィルムの上に、陰画が浮かび出す時を彼はいつでも待望していた。 朝の自転車が真っ先に目指すのは写真部の部室だった。人影もまばらな校舎をゆき、その部屋がある2階に駆け上ればいつでも薬品の匂いがしていた。少年が青年と呼ばれるまでの数年間には、そのほかにもさまざまな匂いにつつまれる。嗅いでいる当人には知り得ない、無垢な少年から何かが揮発してゆくその匂いと、その薬品の匂いは渾然一体となって彼の鼻腔を刺激した。部室の引き戸に手をかければ、その匂いが彼の脳を覚醒させる瞬間が訪れた。 真っ暗な部室に灯が入る。蛍光灯が物憂げに明滅させる部室の景色―おもに先輩たちの私物が散らかり、夕べプリントされた印画紙が水にひたっている。細く出された蛇口の水。それが奏する音以外は何も聞こえない朝の部室を、彼は毎朝見ていた。18歳から先をどう暮らすのか。誰がどんな出会いをするのだろうか。そんな事が脳裏をよぎる日もないではなかったが、彼は今まさにこの場所の景色の虜になっていたのだ。 彼はそんな暮らしを3年間続けてきた。春には体育祭の写真を撮らされ、夏にはどこかで合宿をして親睦を深めた。そして秋には待望の文化祭。季節ごとには地区や県単位での写真展も催され、退屈をしている暇などなかった。他の選択肢なら、いくらでもあったに違いない。そんな彼を冷ややかに眺める仲間や教員も確かにいた。出会ってしまった者の弱みから写真部に携わった者も確かにいたのだろう。しかし、ひとつの出会いに盲目になる自分自身を彼はむしろ好んだ。 これを受けたOBの感想はまちまちだろうが、少なくとも母校を訪れたときの感慨が薄くなることは間違いない。皆様もご存じの通り、田舎の男子校である。クラスメイトに思い入れがあるわけでもなく、教員も多くが男性であるから親愛の情も生まれにくい。周りに何があるわけでもなく、広がっているのはただただ田んぼや沼―この学校の生徒やOBの愛校心が薄いのもむべなるかな、である。率直に言って、普通にただ過ごした生徒なら、卒業してしまえば2度と行こうとは思わないのではないか。あまりにもテイストレスな鉄筋の校舎。起伏すら感じさせない久下戸の大地。校門を出ても、待ち受けているのは彼らを駅へと送り出す青白バスだけなのだ。また、それは昨今の翔鷺祭を訪れる客層を見ても一目瞭然だろう。グレードを落としてナンパされに来る女子高生と、中学生の親たちばかりがやってくる文化祭。開校20周年の男子校である。本来なら30代男性がもっとうろうろしていてしかるべきではないか? これこそがこの学校の素性なのだろう。 さて、そんなテイストを打破するためにわれわれは写真部に集ったのではなかったか。このテイストレスな景色と、野郎ばかりの環境を華とするために。写真は青年と外界をつなぐ心のよすがである。われわれは写真を名目にして多くの人々とコミュニケーションを図ってきたし、その被写体がたとえ無生物だったとしても、その視線を他人と共有することのメリットは大きかったはずだ。そのきっかけが川越東高校から失われてしまったことを俺は危惧している。 書きながら、これはどう言い換えても私情・私怨の類にすぎないとも思う。今まさにそこにいる在校生が欲しがっていないものを押しつけるのは単なるありがた迷惑なのかもしれない。しかし、15の魂は今も昔も変わらないものと俺は信じたいのだ。文化祭や行事がつまらないと嘆く生徒が多いとも仄聞している。行事を心にとどめさせ、少しでもあのテイストレスな世界を華やかにしていきたい。写真部に携わったいちOBとしてそう願うのは果たしてお門違いだろうか? 今後、われわれOBがどういう作戦をとっていくかは未定となっているが、このまま見過ごすわけにはいかないと思うのである。 |