恍惚コラム...

第269回


 編集者という仕事をしていると、いきおい写真の撮り方やカメラの使い方を人から訊かれる機会が増えてくる。自分の勤めているところは専門書の会社なので取り扱うのは他人様の口の中や術前術後の顔貌写真が主なのだが、それだけに基本的な質問が多く寄せられるのである。何しろそうした写真はドクターが自ら撮り、しっかりマウントに入れてくるものだから、それが撮影される過程を想像することができないのだ。ただただ他人の歯肉が切開されている写真やインプラントが埋入されている写真を預かって掲載していくわけだから、「もし自分が撮るとしたら」という考えに至らないのも当然といえば当然だろう。多少の明るさや暗さはそれぞれの患者の個人差に帰してしまえるし、常に撮影倍率1:1〜2:1といった超マクロの世界は俺自身にも未知の世界だ。

 また、写真といえばカラープリントが当然であり、スライドというのはそれを透明なフィルムに焼き付けて作るものだという誤解も生じている。一般の雑誌編集者ではこのようなこともないだろうが、現像したばかりのリバーサルフィルムを見て「これをマウントに入れるとスライドになるんですね?」と真面目に訊かれるのは日常茶飯事である。さらに6×7など中判のスライドになると事情はより複雑になる。現像しただけでポジ像が得られるフィルムの存在を知らず、あの大きなサイズを扱うカメラがあるという認識もない状態でアレを見せられても、それは理解の範疇をまったく越えてしまうのだ。俺はその度に中判サイズの優位性や、製版におけるリバーサルフィルムの意義を説明するのだが、なかなか実感が持てないのが現実のようだ。ともすれば一眼レフ式デジタルカメラで原稿が入ってくることも多くなった昨今、写真を教える側にも教わる側にも新しい考え方が求められるのだろう。

 そんな中、編集部長がある編集部員にAE-1Programを下賜した。1980年代を飾った、キヤノン最強の普及機である。それこそ当時はEOS1000や同Kissばりに猫も杓子も持っていたカメラなのだが、現在ではすっかりクラシックカメラのカテゴリーに入ってしまいそうなこの一台。編集部長は俺に対し、「このカメラ動くかどうか見てくれるか」と聞いてきたものだが、数年にわたってカビの生えたケースに入っていたにもかかわらず中身は至って元気だった。キヤノンのあの時代の布幕横走りシャッターにありがちな「鳴き」は若干あるものの、レンズのカビやモルトプレーンの剥がれもない良好な状態である。俺がその状態を告げると、それは早速某編集部員に手渡されたのである。痩せても枯れても、それは紛れもない一眼レフカメラ。下賜された彼はおおいに喜んだ。

 果たして、その夕方から俺はカメラに対する講釈を始めなければならなくなった。大分シンプルな方だとはいえ、ダイヤルとレバーによる操作が主体のそのカメラは彼にとって複雑怪奇。俺もキヤノンのカメラにはさほど詳しくないので電池室の開け方やセルフタイマーの操作については教えられなかったのだが、ひとまず感度設定の仕方とフィルムの装填、そしてプログラムモードで撮影していれば間違いない旨のみを教えることができた。彼はそのボディーに付属してきた50ミリレンズをEOSデジタル購入のあかつきには流用しようとしていたようだが、それが不可能なことを告げるとおおいに残念がっていた(まあアダプターもあるようだが、それだけのために3万近く払うこともないだろう)。

 そういえば、他人様にこんなにカメラの使い方を教えるのは何年ぶりのことだろうか。俺は当然のことながら高校写真部在籍当時のことを思い出していた。後輩諸氏が持ち込む、さまざまなカメラ群―それはペンタックスSPにはじまり、α-7700i、その他諸々……―と格闘していたあの頃。仕事で写真を扱う現場とは若干違うが、そこには写真が写ることに対する単純な情熱と驚きがあった。写真部が窮地に立たされていることを読者諸氏はとうにご承知だと思うが、ここで他人様にカメラの使い方を教えていることが近い将来を暗示しているような気がした俺である。既視感というべきであろうか。もうすぐこんな風に、若い人にカメラ(の使い方)を教える運命が近づいているような……。

 これはただの戯言だろうか。連休明け、そして初夏、夏休み……。こういう機会に、あの久下戸で出会えることを夢想する昨今である。


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