第264回
毎年毎年、春になると飽きもせず思うのは川越東高校写真部の件である。すでに何度も述べているとおり、昨年度の「新入部員ゼロ」を受けて休部中の同部は、本年の新入生がひきつづきゼロであればいよいよ廃部措置がとられるという。昨年からOBたちの間でまことしやかに語られながらも、いまいち実効性に疑問がもたれていたこの措置―あんなに充実した設備を誇る部室を今さら他の用途に転用できるだろうか?学校創立と同時に文化部の代名詞として活躍してきた部を簡単に廃部にできるのだろうか……云々……?―であるが、昨晩、OB連のもとにこのようなメールが届くに至り、いよいよ尻に火がついた様相を呈しているのである。 「みなさんお久しぶりですラスト部長佐藤です。 追伸 ついに、この期に及んで顧問の口からこのような言葉が出てしまったのである。正直、俺は上にも書いたような理由から100%鉄板リーチだとは思っていなかったのだが、どうやら学校側も本気らしい。あんなに広い学校、しかも昨今では生徒数も減っている最中で部室ひとつの為に汲々とする理由もないと思うのだが、どうやらそういうことらしい。詳しくは知らないが、どこかにそういう定款があるのかもしれない。「新入部員なしに2年間経過した部は廃部とする」ような。もし機会があれば、そうした定款の抜け道を探すことも必要となってきているだろう。 かくして賽は投げられた。思えば、昨年来「プロモーションビデオ」やら「啓発パンフレット」の企画は出してきたのだが、具体的な分担がまだ決まっていなかったのである。俺自身、自然な議論の中で何らかの打開策が生まれることを期待していたのだが、このスケジュールの中ではある程度の外圧も必要となってきたとは言えないだろうか。まあ、この件についてはラスト部長・佐藤氏の言うとおり、今後「川越東高校写真部掲示板」で話し合われることになろう。 さて、そこで浮上してくるのが佐藤氏も挙げている「合併」の件である。もし、上の対策が効を奏さなかった場合、もっとも簡単に、トップをいじるだけで写真部の名前を残すことができる方法がこれである。俺自身、写真部が写真部の名前のまま存続していって欲しいという思いは当然なのだが、他の高校写真部の状況を鑑みるに、科学部や新聞部などと一体化している部が多いのが現実だ。幸い、多くの素晴らしい文化部に恵まれている同高校である(それだけに、よりによってなぜ写真部にのみ人が来ないのかといううらみがあるわけだが……)。その対象となりそうなのは「美術部」「化学部」「新聞文芸部」「映画部」などが容易に思い浮かぶ。いずれも(ムリヤリ)写真との関連性がありそうな所ばかりだ。美術としての写真。化学としての写真。広報用の写真。スチール画像としての写真……。また、これにとどまらず、トータルなイメージングという観点から情報処理部でコンピュータを使った画像処理という行き方もあるだろう。かねてから検討してきたとおり、もはや写真とは現代の若者にとって、暗室に篭るべきものではなくなっている。写真自体を目的とする写真部という形態ではなく、ほかの目的に付帯する写真部のほうがモチベーションも高まるかもしれない。今後2か月は、こうした観点も学校側に提言していくべきだろう。なりふり構わずに、あらゆる方法を模索する時期に来ているのだ。 話は変わるが、昨日は伊奈学園高校OB・YS嬢主催の写真展に行ってきた。卒後10年を経て、それでもOB有志で写真展をしようという心意気やよしである。また、OB5名が揃いも揃って現在も写真関連の職についているという点にも驚きである。そうした大学や専門学校のOBであればさほど驚きもしないことだが、地方の(失礼)一公立高校の写真部OBがこのような動きを見せていることに対し、俺は限りない賞讃を贈りたいと思う。これも偏に同学園の自由闊達な校風と、すぐれた顧問による指導があったればこその功績なのだろう。こうしたものを見るにつけ、俺は自分自身の不甲斐なさを感じ、「部を熱くするものはいったい何か」ということについて思いを致すのである。高校時代の写真も多く展示されていた会場には華やかな空気が流れ、旧知の人々が多く訪れていた。今では彼女たちを指導していたA教諭も違う高校に移籍されているのだが、彼はその新しい高校での写真部員を大勢引き連れてやって来ていた。「この後撮影に連れてくから、じゃ」といって消えていった彼の後ろ姿を、俺はなんとも言えない思いで見送ったのであった。(この段落、訂正文はこちら) |