恍惚コラム...

第259回

 そういえば以前PowerBookを買った頃、「外で執筆する機会も云々…」と書いた気がするのだが、そんな野望も今は昔。ヤツはすっかり自宅専用の箱入り息子になってしまっている。その超ワイド15インチ液晶が仇をなしたのか、はたまた俺の貧乏性のせいなのか、あんな超高級物件をなかなか普段から持ち歩く気にならないのが実情なのだ。

 で、今日の俺は休日出勤のかたわらでこれを書いている。それこそPowerBookでも持ち出してどこか違うところで書けばいいのだが、やっぱりそういうわけにはゆかないのだ。それにしても、こうして会社で仕事以外の文章を書くのはどのくらいぶりだろう。もしかしたらあの9・11テロの感想を書いた頃が最後なのではないか。それを思うと、今までよくもまあ家に居て書き続けられる時間が持てたものだと感慨に耽ってしまう。日々仕事をしているのに、週末は家に居る。世間がそう決めたから当然といえば当然なのだが、改めて会社員という仕事の不思議さに思いが到る。

 さて、今日は取材の仕事で半日歯科医院にいたのだった。歯科器材メーカーとのタイアップ本の撮影である。俺は学生の頃にフリーのカメラマンから譲り受けた十数年モノの大型ストロボと、これまた大学入学記念に買ったコンタックスを携えてそこに向かったのだ。築6年というその医院では重鎮と呼ばれる歯科医師と、うら若き歯科衛生士、それに院長夫人がわれわれを待っていた。院長夫人は撮影というので舞い上がっており、いらぬ所の花瓶の位置にまで細かいこだわりを見せていた。そこには「取材」と言う名の華々しい空気が流れ、俺は昔していた仕事をすっかり思い出した。こちらにしてみればいくつもある歯科医院のひとつには違いないのだが、取材を受ける身からすればそれは彼らに注がれた数少ない視線なのだろう(まあ、偉い先生なのでメディアで目にする機会も多いわけだが)。以前の仕事もそうだった。大出版社が(俺なぞはフリーのカメラマンのその下の立場だったわけだが、掲載される媒体から見れば、彼らにとってそういう事になる)、自分達の店を発掘して取材に来てくれる……その晴れがましさ。そんな雰囲気を感じ取るのは何年ぶりだろう。俺は愛憎相半ばで離れたカメラマンの世界にまた片足を突っ込んでしまったのだ。と同時に、そんな取材を受ける人々の気分をはっきりと感じられる余裕をもった自分に気がついた。

 アシスタント専業でやっていた頃は、まずはじめに師匠ありき。この人の機嫌を損ねれば自分という存在が完全に否定されてしまうのだった。自分の生殺与奪をすべて握っている人間の傍らに常にいれば、自然と最終的な目標である被写体にまで気が回らなくなるのは当然のことだ。以前の俺はどんな取材に行こうとも取材対象者には目が行かず、師匠の機嫌とフィルムの残数を常に気にかけていた。結果、仕事はどんどん義務的なものになってゆき、その滋味を味わうこともないうちに業界から離れていったというのが現実である。しかし、自分がひとりで写真を撮るようになると、取材の大切さ、そしてフィルムの残り本数などはたいした問題ではないことに気づくのだ。勘のいいアシスタントならばそうした境遇にあっても将来のビジョンを失わないのであろうが、俺はそこまで度量の広い人間ではない。極言すれば、今自分が撮れないなら関係ない、というくらいの心境だったから失敗したのである。

 こういう話をするたびに、俺の心は実践が先なのか理屈が先なのかという終わりのないループに入る。確かにあの頃、俺にいきなり写真を撮れと言われれば撮ることもできただろう。しかし、プロの流儀を知り、今のように思い出話をできるようになれたかは疑問である。結局、この歳になってカメラマンのまねごとをはじめた俺なのだが、職業カメラマンを目指していた俺がとるべき道はどこにあったのだろうか。いきなり「カメラマン」という肩書きの名刺を刷って飛び出すのが正解だったのか? それともあの退屈な日々をあと数年過ごし、順当に弟子としてデビューするのが正解だったのか? そして今のように、編集者をする傍ら自己流で撮るのが正解なのか? 答えはすべて藪の中だ。死ぬ前の走馬灯にぜひ映し出したいテーマではある。

 



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