恍惚コラム...

第257回

 先週リリースの「写真部関係者に100の質問」に、望外の反響をいただいている。俺自身も素性のはっきりした他写真部の掲示板にどしどし書き込んで宣伝に努めたのだが、それにしてもこんなにアクセス数が伸びたのは数年前に2ちゃんねる掲示板に晒されて以来だし、すでに先週中に2校の写真部サイトにバナーも張っていただいている。高校写真部応援サイトを標榜するだけで、最近ではそれらしい活動をまったくしてこなかった俺である。数年ぶりに重い腰をあげた途端にこのような反響が戴けるのはまったく有り難いことだ。同時に、これは写真部関係者が他部の事情を知りたいと思っていることの裏付けではなかろうか。

 幣サイトのコンテンツとしては、従来より「猿でも撮れる写真講座」や「写真部用語事典」が根強い人気をもっていたのだが、読者の方が直接参加でき、自分のサイトに置けるような企画はなかったのである。「100質」という、今や使い古されつつあるシステムを自分で実行するには勇気が要ったが、はじめてみれば何ということもなかったのだ。もともと、写真部相互の交流を目指してきた俺である。他の部の事情を知り、互いの運営事情を交換しようと思ってきたのに、今まではこちらから一方的に語るコンテンツばかり。もっと早く「100質」ブームに乗っておけば良かったと反省すると同時に、俺自身がもっと若い頃にインターネットが普及していたら……と夢想する今日このごろである。

 現代のインターネットの普及ぶりについては言うまでもないが、自分が高校生の時分にはそんなものは金持ちの道楽(1992年前後の話だが、時代考証はあいまい)で、「パソコン趣味=ゲーマー」という図式が成り立つ時代であった。スタンドアロンのシステムをいかに拡張し、最新ゲームをいかに速く動かすか。あるいは、自分自身でプログラムを組まなければ欲しいソフトは手に入らなかった、そんな時代。

 俺も当然写真部に所属し、日々写真部の広報活動について模索していたのだが、そんな時代からしてみれば今はまさに夢のようである。手書き、あるいはワープロ専用機で原稿を作り、コピー機で地味に印刷していたものは電子メールやWebサイト上で簡単に公開することができるし、第一、以前は自分で印刷したものをどこに送ればよいかさえ分からなかったのが実情ではないだろうか? 自分も現役時代に文化祭の告知ハガキをどこに送るか迷ったことがあるし、後輩諸氏にもさんざん「OB以外にもハガキ出してね〜」と言ってきたにもかかわらず、ついに他校に対する案内は出されなかったように記憶している。また、他の写真部と合同で行う行事なども、結局は顧問のつてに頼るしかなかった。写真部の顧問がすべて熱心な人だとは限らない。熱心な人に出会えれば、その部はどんどん人脈と発表の機会を持つことになるだろうが、そうでない場合には写真部の活動がどんどん閉じたものになっていってしまう。本来、他人に見せてこその写真である。自分の部がどのようなレベルにあるかを知り、他の部がどのような活動をしてきたか知ることも、一写真部員としては欠かせないことだと思う。

 だが、今や「その気になれば」そうしたことはインターネット上で解決できる時代となった。各校により写真部への取り組みに温度差はあるが、温度の高いところほどネット上での動きも活発であるに違いない。そうした部相互の交流に、幣サイトが今後とも役立っていけることを願ってやまない。サイト公開6周年を迎え、やっとそれらしい活動が始まっているような気がしている。



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