恍惚コラム...

第248回

 少し時間が経ってしまったが、実は俺をはじめとする写真部OB連は本年9月の川越東高校の文化祭・翔鷺祭で同校新聞文芸部の取材を受けていたのである。ご存知の通り、今年の翔鷺祭には古巣の写真部が休部中にもかかわらず多数のOBが詰めかけて部室を占拠し、ビラは撒くわ看板は出すわの大騒ぎをしていたのであるが、それを見かねた?K谷先生が新聞文芸部員に「ヤツらを取材してみないか?」と言ったらしいのである。
 
 部室にたむろし、何とはなしに思い出話や世間話に花を咲かせていた俺たちのもとにデジカメを持ったK谷先生がやって来たのは初日の午後3時ごろのことだった。あらかた見たいものは見尽くし、実際に展示も行っていない我々には絶好の消閑である。「写真部を救え、という企画をやりたいので、写真を撮らせて欲しい」と言われた時、俺たちは興奮のるつぼの中に放り込まれた。早速部室の前に集合し、撮影を受ける俺たち。先生が持っていたリコーの古デジカメは懐かしさすら覚えるデカさであり、途中でバッテリーが無くなったりして大分待たされたのが印象深い。そんなこんなで結局2度ほど職員室に戻った先生はやっとの思いで俺たちの集合写真をカメラに納めたのだった。一抹の不安感を残しながら…。
 
 その後10分ほどすると、今度は現役生が部室を訪れてインタビューを開始した。いい加減20代も後半にさしかかったアヤシイ男たち数名に囲まれ、大いに緊張する部員氏。その初々しくもたどたどしいインタビューに対し、俺たちは質問する暇も与えずに喋りまくった。どのようなやりとりをしたか、今ではもうほとんど忘れてしまっているのだが、新婚の現役カメラマンOB・M沢氏の饒舌ぶりが印象的であった。何だかもう、現役生氏はインタビューを受けているのだか説教をされに来ているのか分からないほどの喋りっぷりである。一生懸命メモを取っていた彼ではあるが、果たして俺たちの言ったことの何割を記録することが出来ただろうか。そのくらいの勢いで俺たちは取材に応じたのである。写真部の未来がここで決するかも知れないのだから、どうしたって気合いが入ろうというものである。
 
 で、その掲載誌が先日勤め先に送られてきたのである。毎日午後になると会社の1階にある郵便受けに行く俺なのだが、そこで俺は見慣れた筆文字に驚いた。「川越東高校…」。普段はナントカ学会やら大学病院などの封筒ばかりが入っているポストの中に突然現れたその水色の封筒は、俺の記憶を一気に遡らせた。確かにK谷先生に名刺を渡し、「掲載紙は会社に送ってください」と俺は言っておいたのだが、本当に送ってもらえるかどうかは半信半疑だったのである。すぐにデスクにとって返し、はさみでゆっくりと封を切ってみると手紙が添えられていた。「文化祭ではお忙しい中新聞部員の取材に応じていただきありがとうございました。お陰様で『ひんがし倶楽部』を発行することができましたので、ご笑納していただければ幸いです」…感激であった。俺は思わず周りにいた人に掲載誌を見せびらかしてしまった次第。「これを社内報に転載しよう」という意見まで飛び出すなど、周りの皆さんにも喜んで頂いた。川越東高校新聞文芸部の皆様とK谷先生にはこの場をお借りしてお礼申し上げたい。また、いかに内容を転載させて頂くことにもご了解頂きたい。この結果が来春には現れることを期待するものである。


 
「ひんがし倶楽部」第95号 平成16年10月27日発行
「写真部復興に救いの手を」

 相次ぐ部員減少により、ついには休部にまで追い込まれた写真部。このままでは休部の危機にさらされてしまう。というわけで、写真部復興の後押しをすることにした。
 部員減少の原因と復興の目処
 一昔前は部活には必ず全員入らねばならない時代だった。だから、ある程度部員は確保できたのだが、21世紀を迎え、部活動の参加の有無は自由となり、それにより部員が減少していった。
 現在は、写真部は「休部」ということなので部員が入ればまた活動することができる。写真部のイメージアップとともに、復興を期待する。
 OBの方にインタビュー
 写真部復興を目指し日夜努力しているOBの方々に写真について語ってもらった。「写真には『無駄』というところがなく、なにげなく撮った写真でも後で見ると一種の思いでになり、楽しめる。写真部は出会いの場であり、興味がなくても後から沸いてくる(原文ママ)。だから、気楽に入ってきてほしい」と語ってくれた。
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