恍惚コラム...

第244回

 望んだこととはいえ、毎日毎日仕事で文章を書いている俺である。歯科関係のニュースを書き、偉い先生宛の原稿依頼状を書き、スポンサーにはものすごく気を遣いながら企画書を書く…。この漢字はひらく(漢字にせずに平仮名にする)とか、「啓蒙」は「啓発」にするとか、そういった枠組みの中で文章を書くのはなかなか大変なものである。また、自分は直接関係してはいないのだが、別の雑誌では座談会での「差別的」発言をそのまま文章にしてしまったことが某団体に発覚してしまって、騒ぎになっていたこともあった。それから国内では認可されていない医療器具や薬品について触れるのも非常に役所の目が厳しく、書きたくても書けない現状があるのである。ことほどさように言葉の使い方、そこに隠されたニュアンスには気を遣っていなければならないのであるが、それでもこういう会社には基本的に文章の好きな人間が集まってくるものだから、皆ヒーヒー言いながらも論文を校正し、編集後記を書いたりするのだろうと思う。
 
 先日、夜9時ごろの編集部での話である。同じ部署の人々はすっかりまったりムードで、もう帰ろうかと思っていた矢先だった。突然、隣の部署からスゴイ勢いでキーボードをタイプする音がしてきたのである。「確か、隣のシマには1人しか残っていなかったはず…」ふと見てみると、いつも一人で遅くまで残っている、俺と同じ歳の彼が激しくキーを叩いていたのだった。「こんな時間まで何を書いているのだろうか…」と思った俺はさりげなく、プリンターに近づくふりをして彼の後ろを通り、ディスプレイをのぞき込んだ。するとそこには仕事とは関係ないルポ風の文章が書かれていたのだった。ついでやって来た先輩もこれを見て、「何コレ?」と聞く。すると彼は、「いやぁ、趣味の文章で…」それ以上詳しくは誰も聞かなかったのだが、一日中原稿整理や校正をした後でそうした軟らかい文章を書きたくなる気持ちは俺にもよく分かる。しかし、いつ何時他人に見られるか分からない会社のパソコンでそれをする度胸は俺にはない。というよりも、俺の席は物理的にそういうことを出来ない位置にあるのだ。部屋の入り口ドアの目の前に背を向けて座っている関係上、モニターが丸見えなのである。うっかりエロサイトなぞを開いていたらもう大変なことになってしまう。おまけに俺のいるフロアには全社共有のカラーレーザープリンターや、編集部長直々に指揮をとる看板雑誌の編集部があったりするので偉い人も頻繁に入ってくるのだ。これではエロサイトはおろか、私用メールも無理だ。極めつけは、気まぐれにやってくる社長の存在である。いつもは最上階の社長室におさまっている社長なのだが、定時近くになるとたまに視察に来ることがあるのだ。モニターの問題もさることながら、ここで変にあぐらをかいて座っていたり、デスクが驚愕の散らかり具合になっているのを見られるのはつらい。新人たる俺が入社してきたので、無理に設えた席である。これぐらいの不自由はものともしないのだが、他の皆さんが液晶モニターのサイドからの視認性の悪さを生かしていろいろな事をされているのは何だか心強い気がしたのである。基本的には個人プレーのこの仕事。自分の空き時間を生かして好きな文章を書く。他人に迷惑がかからなければそれでいいではないかと思った今日この頃なのである。
 
 そういえば、先日転職していった3つ年下の、しかし社歴は3年半だった彼も会社のパソコンでライターのアルバイトをしていた。歯学とは180度逆のジャンルに旅立っていった彼もまた、残業3時間目の編集部で書いた文章をこっそり見せてくれたのだが、それは半分本当、半分想像の駆け出しヤクザのルポルタージュだった。普段は歯学のコアな、最先端の難しい話ばかり扱っている彼のデスクからこんな文章が生み出されていることに俺は感銘を受けたのだが、「もう転職先も決まり、今はアルバイトとしてライターを兼業している」と語った彼の顔は輝いていた。もう数ヶ月もすれば、彼の文章が一般の書店に並ぶ日がやってくるだろう。その時にはきっと俺のいる編集部にも献本が送られてくると思うので、今から楽しみである。
 
 身近に文章を書く人がたくさんいる刺激というのは、今までに感じたことのないものだ。どのような文章を書くにしろ、言葉の使い方や印刷の事情を知ることは糧になる。今後とも、周りの状況を見つつ、自分も研鑽していかねばと思った次第である。まぁ、転職する気は全然ないんですけどねぇ…。


メール

帰省ラッシュ