恍惚コラム...

第239回

 今年も久下戸の曇り空は相変わらずで、けばい女子高生とそれなりの男子高生が白い巨塔の中を行き交っていた。どのクラスも食べ物屋さえ開いておけば間違いないといった風情で、たこやきに原宿ドック、ラーメンやフランクフルトにばかり人が群がっていた。料理のバリエーションは往時に比べてとても豊富だったのだが、肝心の企画ものにはさして目ぼしいものはなかった。射的にオカマ喫茶、カジノといったもの…文化部の展示はほとんど見なかったのだが、書道部や美術部の部屋には人影もまばらで、「文化祭」の「文化」という文字の存在を俺は疑わざるを得なかった。そんな中でも演劇部などは人を集めていたようだが…。
 
 そう。昨日から今日にかけて行われた川越東高校の「翔鷺祭」の話である。こんな辛口な物言いになるのはやはり写真部が休部になって以来初の翔鷺祭だったからである。一応部室は当時のまま残されてはいるのだが、肝心の写真が展示されていない翔鷺祭にやってくるのは初めてのこと。俺は一緒にやってきた米沢氏、片淵氏と一緒にため息混じりで部室の敷居をまたぎ、しばし茫然としたのだった。誰もいない部室。誰の体温も感じない、ただ写真用品が並べてある部室の姿は寂しい。誰の落書きもない黒板を見つつ、4月のアサヒカメラが置き去りになっている机を見れば寂しさは倍増である。歴代の部員が、そして学校が毎年お金をかけて増強してきた設備と人脈が一夜のうちにお払い箱になってしまったのだから、俺に限らずOB連の落胆ぶりは大きいのである。この4月以来、俺は休部という言葉を頭の中で咀嚼したつもりではいたのだが、周りの盛況の中でただただOBが部の復興を叫ぶだけの翔鷺祭が来ることを一体誰が予想できただろう?
 
 休部に至った原因。その事については顧問の伊藤氏も交えてさんざん話し合うことが出来た。曰く、
 「高校が、大学受験までの腰掛けになっている」
 「中途半端に頭のイイ奴が集まってくるので、このバカさ加減について来られない」
 「『バカ』になりきれる生徒が入ってこなくなった」
 「生徒が均質化され、『味』『アク』のある生徒がほとんどいなくなった」
 「完全に進学校という位置づけになってしまったため、部活動に高校生活の意義を求めなくなった」
 「進学校でない学校では運動・文化部ともにその実績が学校の価値を決めるために徹底的な指導が行われる傾向があるが、進学校は進学率が高まるほど部活動が軽視される傾向にある」
 「中学を卒業する時点で志望の大学を決めている生徒が増え、部活動を初めから重視していない」
 「文科省が学校の部活動を重視しなくなってきたので、運動部も文化部もジリ貧傾向である」
 「携帯電話でも写真が撮れる現代、わざわざ写真部に所属する意義が薄れてきた」
 「写真のデジタル化が進み、誰もが個人でパソコンという『明るい暗室』を持つことが出来るようになったので、暗室ということを意識しなくなった」
 「ビデオカメラの低価格化が進み、誰でも気軽に動画を手にすることが出来るため、写真という静止画像の魅力が薄れた(事実、映画部はそこそこ盛況のようである)」
 「デジタル化により、誰でもそこそこの写真が写るようになってしまったのでわざわざ写真部に所属して腕を磨こうという気が起こらなくなった」
 
 云々。いずれも至極もっともな理由ばかりである。少子高齢化が進む昨今、数年先には「大学全入」の時代がやってくるだろう。しかし全入となれば、その大学の選択がより重要となってくる。それこそ名前さえ書ければ入れるような大学から、偏差値70に達しようかという大学までがある中で、単なる「大学卒業」という肩書きの力は無力化されるだろう。大学が、現在の高校と同じレベルで語られる時代が来るのだ。それを考えれば今の中高生の焦燥ぶりも何となく知れるというものである。また、写真をとりまく状況についてはやはりデジタル化の影響が大きいと言わざるをえない。写真がフィルムのみによって撮影された時代、それは「博打」だった。現像済みのフィルムを見るまでは結果を誰も予測できなかった写真というメディア。それゆえにカメラマンという職業は別格の扱いを受けてきたし、独特の職人的な世界を構築出来たのだと言えるだろう。しかし今は違う。誰もが撮影直後のイメージをその場で確認でき、気に入らなかった写真はその場で消去できる時代である。写真の裾野が広がったのは喜ばしいことだが、写真の刹那感は失われてしまった。俺はかねてよりフィルム現像屋が潰れないかという心配をしていたのだが、その前に写真部自体が潰れてしまったというこの笑えない結果。
 
 聞くところによれば、写真部もあと1年休部状態が続けば廃部になるそうである。それまでにわれわれOBが出来ることは何だろうか。しばらくはこの問題について考えてゆきたいと思う。


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