恍惚コラム...

第233回

 福井県でのの水害に際して、2億円が当たっている宝くじを匿名で送りつけた話。まったくもって素晴らしい話であるが、多くの庶民は口では賞賛しながらも内心は「・・・」というのが正直なところだったのではなかろうか。多くのマスコミが庶民の声を報じたが、大方の意見は「2億円丸々くれてやらなくても」「換金して、1億円は自分で遣い、残りの1億円を寄付しても良かったのではないか」といったもの。そうした発言をする人(俺自身も含めて)たちは、まず自分で2億円を当てたことのない人々だから好き勝手なことが言えるわけだが、まったくもってその心境、その人の境遇について考えるのは楽しいものだ。
 
 たとえば、こんな風に想像してみる。
 「福井県出身。高度成長時代に中卒で単身上京し、東京都東部の鋳物工場に勤務。あたりさわりのない青年時代を送り、24歳の時に荒川区内のアパートで同棲生活を開始。1男1女をもうけるも、なかなか給与が上がらずに妻子には苦労をかける。しかし彼は酒もギャンブルもやらず、1日1箱のピース(両切り)をよすがに、懸命に働き続けたのであった。子供たちが高校に上がる頃になって公営団地に転居。すこし広くなった家に子供も妻も大喜びだったが、その頃になって勤務先の社長が死去。15歳の頃から世話になった社長の死。気付けば自分も相応のキャリアを積み、社内一のベテランになっていた。で、残された社員と協議の結果、彼が会社を継ぐことになる。その時42歳。若社長の誕生に、会社は新たな局面を迎えるが、当然何もかもが順風満帆というわけにはゆかなかった。バブルの崩壊。そして大手が中国から送り込む安い製品の数々。社員にはボーナスを払うことも出来ず、社長の身でありながら地味に電車通勤を続けた。結果、徹底的なリストラと原価削減のおかげで業績は持ち直したが、気付けば周りには若い者ばかり。時折よぎるのは故郷の景色と初代社長の笑顔である。『苦労はしたけれど、あの頃も良かった・・・』単身、上野駅に降り立ってからすでに40年が経ったこの初夏。外回り営業中に、ふと宝くじスタンドが目にとまった。『たまには、宝くじでも買ってみるか・・・』ささやかなむだ遣いであった。その連番10枚のドリームジャンボを妻にも子供にも告げずに鞄にしのばせる彼。その存在すら忘れさせる忙しい日々が続いたのだが、彼はふと夕刊フジを手に取り、当せん番号欄に目をやった。『そういえば、これ買ってたんだっけ・・・』それまで思い出すことすらなかった鞄の中の宝くじを彼はおもむろに取り出し、その番号に目をやった。瞬間、凍りついた。その数字が何を意味するのかを理解するのにしばらく時間がかかった。06組198955。2億円。途方もない金額である。家族の顔と、郷里に残してきた人々の顔、そして社員の顔が走馬燈のようによぎる。電車の中の人々に感づかれないようにしながら、彼は都電の駅に降り立った。街の灯が、いつもとは違うように見える。いつもは寄らない立ち飲み屋に入り、逡巡すること小一時間。独特のざわめきの中で、14インチの古ぼけたテレビが鳴っている。テレビは様々なニュースを鳴らしていたが、突然、故郷の地名に彼は振り返る。そこには、水に浸かった故郷の景色があった。『どうせ無かった金ならば、このまま送ることにしよう』深夜、家族が寝静まった頃合いをみて、彼は偽名の手紙をしたためる。『前略、新聞、テレビニュースで福井豪雨の被害を知りました。天災の豪雨で多くの方々が被害に遭われたことに対して心から御見舞い申し上げます。さて、不幸にも被害を受けられた方々に少しでも援助になれば幸いと思い幸運に恵まれた宝くじ当選券(弐億円)一枚を同封して送ります。現金でなく申し訳ありませんがあくまで匿名の寄付ということにしていただきたく、よろしく取り計らいお願い申し上げます。本来ならば直接持参すべきところですが、大変失礼と思いますが、住所氏名は記入しませんあしからずお許しください。』7月21日の深夜のことであった。かくして、7月22日の消印が押された封筒が福井県庁に届けられる・・・。」
 
 ついつい妄想しすぎてこんなに字数を使ってしまった。いい話だ・・・これくらいいい話でないと世間の人々も納得するまい。他にも「大富豪はした金編」「犯罪者、当たったけど換金できず編」「倦怠期妻、夫の当選くじを勝手に送付編」「不治の病編」「募金で集めた金で買っちゃってむにゃむにゃ編」「実は宝くじ販売員が万引きしたくじだった編」なども考えたのに、紹介できなくて残念である。
 
 ウン億円。竹藪に隠す人あり、それを拾う人あり、はたまた袖の下に忍ばせる人あり。他人の金がどう使われようがとやかく言う筋合いではないけれど、何だか夢がありますなぁ・・・。


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