恍惚コラム...

第225回

 昨日、何年ぶりかで渋谷なんかに行ったのだが、最近の女子高生のスカートの過激さにはまったくもって驚きである。毎日埼京線→丸の内線という地味なルートで通勤していると分からない世界がそこでは繰り広げられていたのだ。会社のあるお茶の水あたりは特に「高級な」学校ばかりだから過激な格好をしている女子も少ないのだが、渋谷のハチ公口を降りた瞬間に繰り広げられる光景には夫婦ともども口アングリだった。
 
 どうみても膝上30センチ、見せパン上等みたいな女子高生が階段でもないのにケツを押さえながら歩いているその光景。日本人のチョイ田舎者の俺が見ても驚きなのだから、外国人が見たらきっとどうしようもない国だと思うかも知れない。「布が足りないのか?」「何かの懲罰なのか?」「成人の儀式か?」俺が見ず知らずの異国に行ってこういう種族を見たら多分バシバシ写真を撮って来て、「こういう民族がいるみたいなんだけど、なに族って言うのかな?」と聞きまくると思う。何しろ、俺たちが見た中で最短の女子高生は鞄ですらケツを隠し切れていなかったのだ。おまけにその後ろ手に持った鞄で逆にスカートをずり上げてしまっている次第。笑いとかエロスを感じる以前に、何か凄惨な気持ちにとらわれてしまった。何故に彼女たちはそこまでスカートを短くしなければならないのだろうか。どんな覚悟をもって、ケツを見せるリスクを負っているのだろうか。もしかしたら、植草教授はその命題に取り組むために手鏡を持ち歩いていたのかも知れない。
 
 例えば、チキンレース。そんな言葉を思い浮かべた。ご存知チキンレースとは崖とか壁に向かって車を勢いよく走らせて、どれだけギリギリで止まれるかを競うゲームだが、同じ事がこのスカートを巡る環境にも言えるのではないだろうか。どれだけパンツを見せることなくスカート丈を短くできるかを追求するゲーム。一部のクルマ好きが飽くなき車高へのこだわりを見せるように、はたまたアルピニストがより高い頂を目指すように、彼女たちは「そこにスカートがあるから」それを短くしたくなるのかも知れない。
 
 車高を低くして得られるのは、通常のスピードでは不快な乗り心地と引き替えにある流麗なスタイリングだ。アルピニストが高みを征服して得るのは、命の危険と満足感だろう。では、女子高生がスカートを短くして得られる功績とは一体何だろうか。それはきっと、パンツが見える恐怖と裏腹にある功名心だろう。校則をかいくぐり、放課後にはスカートの裾をまくって超ミニ化にいそしむ女子高生達。「既成の枠を打ち破り」「新たな限界に挑戦する」いう意味では他のスポーツなどと変わらない気すらするのだが、如何だろうか。他人からどう見えるかは別にして。
 
 だが、このエネルギーをプロ化したり競技化したりするのは野暮というものだろう。「全日本スカート膝上選手権」や「純正スカートの限界に挑む、ハイチューンドスカートミーティング」などを真面目にやったところで、当の本人達が参加したがるかどうかは考えるまでもない。「ウザー」の一言の下に一蹴されるのがオチというものだ。そういう秘密や志は、上から押さえつけられているからこそ燃え上がるものなのだ。授業中に手紙を回したり、隠れて煙草を吸うような「悪事」に味を与えるのは「規制」そのものなのだから。
 
 規則は破るためにあるといわれる。彼女たちの学校でもきっと、その超ミニ化を看過しているわけではあるまい。恐らくはたまの服装検査などで「膝上何センチ」という規則を申しつけているのだろう。で、彼女たちはそうしたときにはノーマル仕様のスカートを穿いているはずだ。だが、それが深夜の正丸峠、いや夕方の渋谷に向かうときにはカリカリのハイチューンドマシン(マシン?)になる。彼女たちとて、規則は分かっているのだ。しかし、破っても大したことのない規則なら破ったほうが面白いのである。しかも、そういう規則はむしろ彼女たちの楽しみのために存在しているとは言えないだろうか。
 
 もし、スカートを穿こうがスパッツを穿こうがふんどしを穿こうが全く自由だということになれば、恐らく誰もが無難なスカートやスラックスを穿いて済ませることになるのだと思う。そんな自由な空気の中で、膝上より股下を測った方が早いスカートを穿く人は余程の好き者だろう。それを証拠に、そういうチューンドスカートを穿いている女子高生達は一様にケツを隠しているではないか。実は、我々の期待に反して、彼女たちの目的はパンツを見せるところにあるのではないのである。もちろん手鏡の使用を推奨するものでもない。
 
 高校生としての属性を、誰の目から見ても分かるようにさせるのが制服である。それをちょっとHな形で改造する、しかもちょっと怒られそうな感じで・・・。これこそがスカート超ミニ化の醍醐味なのだろうと思う。高い頂(出来るだけ短いスカート丈)を目指し、幾多の危険を冒しながら(風や手鏡や校則を克服しながら)、頂上に立つ(街一番の超ミニ女子高生になる)。まさにロマンである。俺が幼少のみぎりにはスカートは長ければ長いほどワルだったわけだが、今度は逆の方向性を目指しているわけである。改造という点では同じなのだけれども・・・。
 
 今後、女子高生達のスカートがどのような方向に向かってゆくかは誰にも分からない。しかし、これだけは言えるだろう。「浜の真砂は尽きるとも、世のスカートはロングか超ミニ」
 お粗末。


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