恍惚コラム...

第224回

 先週に引き続き、今週も電車の中での話である。ここのところ、5月だというのに梅雨のような天気が続いていて気が滅入る。車内にはしっかりと湿気が充満していて、中吊りの広告までが何だか湿気たように見える。埼京線ホームのビルボードに貼られた星野仙一の大ポスターもクシャクシャになっていて、あれではスポンサーからのクレームは必至だろう。車内に持ち込む傘の持って行き場に困り、仕方なく自分の股を濡らす季節が今年もやって来たのだ。
 
 さて、そんな車内で、俺は昨日こんな話を聞いてしまったのだった。池袋あたりの私立中学校の制服を着た女子が2人して校内のいじめやら「事件」について声高に話していたのであるが、段々話がエスカレートしてゆくにつれて、いかにもこまっしゃくれた感じの女子が一言、「『そちらがそのような出方をされるのなら、費用はこちらで持ちますので裁判に訴えさせてもらいます』って言ったら黙っちゃったわよ。やっぱり親の知り合いに弁護士がいると強いよね〜。そうそう、警察にも知り合いがいるから、ウチの親。」と言い放ったのである。他人事とは言え、しかも中学生の言うこととは言え、これには全く驚いてしまった。前後の話の内容も何だか学校の数名を糾弾しているような内容でいい加減うんざりしていたのだが、ここに至って俺の怒りは頂点に達したのだった。「費用はこちらで持ちます」ぅ?「警察にも知り合いがいるから、ウチの親」ぁ?

 こういうご時世である。殴りかかることはおろか、口頭で注意、いや注意以前に話しかけただけでも捕まりそうなのでじっと我慢していたのだが、その勘違いも甚だしい発言に俺は呆れるしかなかったのだ。俺も中学の時分にはずいぶん生意気を言ったような気もするのだが、何しろご存じの通りコネも金もない家に育った俺である。生意気は言ってもそんな他力本願な事は言った覚えはない。誰のおかげでそんな小綺麗な制服を着ていられるのか。そして、実際の裁判にどれだけの金がかかるのかということに対する想像力があればそんな事を言える筈はないのである。もしかしたら彼女が敬称略で糾弾していたその相手は教師だったかも知れず、それならばまあ無理もないかとも(?)思うのであるが、そういう大事(おおごと)ならばそんな口げんかの猶予を持たずにすぐ警察なり校長室に駆け込むべきだろう。だからきっと彼女がそう言った相手は同級生なのだろうが、一体何が彼女をしてそうさせてしまうのだろうかと考え込まざるを得ないこの週末なのだ。
 
 こういう事を見るにつけ、「親の教育が悪い」というステレオタイプに落とし込んではいけないと思う俺である。どんなに偉い人の子供でもダメなものはダメだし、どうしてこんな親から・・・という事実も巷間よく見聞きするものである。それでは素質、というものだろうか。もともとそういう素質があって、そこにステータスのある親がたまたま居たという・・・。それで彼女は、都合の良い切り札としての言葉を知ってしまった、と。思春期というのは悩みも敵も一気に増える年頃である。小学校という、ある意味「烏合の衆」だった社会の構成員がどんどん知恵をつけて中学校に乗り込んでゆくのである。青い欲望に白い愛、そして赤い軋轢。何もかもが始めてのことだらけで無性にイライラがつのる年頃。言葉も足りず、難しい言葉にほど何故か惹かれていったあの頃・・・。確かに「裁判」というのはそんな全てをひっくり返してくれそうな、いい言葉ではある。
 
 しかしまあ、こういう子供がこれからどうなっていくかは彼女のこれからの経験にかかっていると思うのだ。彼女は(といっても全くの他人なのだが)これからもきっとこのような事を事あるごとに言い続けてゆくのだろう。そしてその相手は様々な反応を示すに違いない。狼狽する者、ひれ伏す者、そして向かって来る者・・・。しかし結局はそんな虚勢は無意味だったと気づく日がやってくるだろう。もちろん、裁判官や警察に訴えなければならない局面にはそうするべきだが、些事に対して「警察だ、裁判だ」と言い募る見苦しさを彼女に教えられる社会でありたいと思うのだ。
 
 さて、明日の車内ではどんな言葉が聞かれるだろうか。ヘッドフォンのボリュームをたまには下げてみるものである。



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