第218回
まあこう、相変わらず暇にしていても時間が惜しかったり、何とも面倒くさいことには遭遇するものだ。暇なんだから掃除も洗濯も自分でするのが筋だとは分かっているのだが、どうにもやる気が起きない。履歴書の志望動機欄なんか激ウザだし、最近では証明写真代も惜しい。人としてこれでいいのかとは思っているのだが、何だかんだいってもこれからまた人に使われるのである。飢えも渇きもしないこの状況で積極的になれというのは難しい。それからパソコンの不調なんかもその類だ。別に仕事で使っている訳ではないのだから喜んで何回でも再起動してやればいーじゃねーか、と傍目には思われるかもしれないのだが、なかなかどうして悩ましい時間が続くのだ。先日入手したPowerMacG4(MDD2003、シングルプロセッサモデル)なのだが、新しい環境への移行の時には常に困難がつきまとうもので、ベージュG3の時もCubeの時も、古いアプリが動かなくなったり古いファイルをどこにやったか分からなくなったりどこまでバックアップを取ったか分からなくなったりで大騒ぎだったのである。OS9まではシステムフォルダさえドラッグ&ドロップで移動できたのに、OSXはそういうルーズな操作を許してくれないのである。さんざん話を聞いていたので試してはいないのだが、確かにこのOSXにも「システムフォルダ」はある。しかしここだけをコピーしたのではダメで、ディスク上にある諸々の不可視ファイルまでをきちんと所定の位置に移動しなければならないそうな。うーん、どうなってるんだいスティーブ。「1ドライブ1システムフォルダ(いやいやそれどころか同じドライブにいくつものバージョンのシステムを入れて、そこから起動するシステムを選ぶことさえ出来たのだ)」の原則に首までどっぷり浸かっていた俺にとってはなかなかの重労働なのである。Windowsの世界では常識なのだろうが・・・。 ・・・初めはMacの話を書こうとしていたのではなかったのだが、何だかすっかりマカー丸出しの文章になってしまった。最近パソコンの話は全然書いていなかったので、ついでだからこのまま進めることにしよう。分からない方ゴメン。ついでにMacにSwitchしようぜ!あ、あ〜煽らないでぇ〜さらにiPodも買おうぜ!あ、あ〜煽らないでぇ〜 何だかんだでOSX歴2年になる俺なのだが、この辺りのUNIX的かつWindows的なファイル構造にはまだまだ慣れていないというのが正直なところなのだ。普段使いのファイルをデスクトップに置いたり「書類」フォルダに置いて扱っているうちはまだいいのだが、今まではシステムフォルダの直下にあった「初期設定」ファイルを(アンインストールを繰り返したので)きれいにしたいと思ったときにはかなり迷うし、恥ずかしい話「フォント」はどこに入れるべきなのかも気分の問題である。マルチユーザーを前提とするこのシステムでは常に「全員が使うファイル」と「ログインしたその個人が使うファイル」という事を意識していなければならないのだが、そういう関係で一つのハードディスクの中に同名の、同じ働きをするフォルダがいくつもあって混乱するのである。最近のDOS/Vマシンには「ファミリーボタン」なるものがあって、「家族がそれぞれ好きなように使えます!」というのをウリにしているのを見かけるが、果たしてそうしたマシンを買った人の中で本当にマルチユーザーにしている人はどのくらい居るのだろうか?根が貧乏性な俺のことである。各人がそれぞれ別に同じソフトやらフォントをインストールしたらハードディスクを浪費してしまうではないか!という不安が常に頭の中をよぎるのだ。自分が使っていないのにハードディスクの容量が減ってゆくのも何かムカツクし。もし俺に子供が出来てパソコンを欲しがるような年齢になったなら自分のパソコンは使わせず、すぐにエントリーモデルの安いパソコンを買い与えるだろう。UNIXベースシステムの先進性は分かるのだが、俺のような若年寄の臆病ユーザーとっては宝の持ち腐れだ。ハードディスクが1メガバイト当たり1万円していた時代を知っている俺は、ハードディスクの残量にはかなりウルサイのである。今でこそハードディスクは160GBや250GBが常識だが、それでも大きなファイルを置いていると罪悪感にとらわれてしまうのである。「あっ、このフォルダ2GBもあるよ〜いいのか?MBの間違いじゃなくて?怖ぇ〜初めにデフラグしとかなきゃ危ないんじゃないの?」ビデオ編集などはやらない俺なのだが、始めたらきっと発狂するね。いくらハードディスクを積んでも安心できないパラノイアになりそうだ。・・・結論。OSXはシングルユーザーでしか使わない人のために、不要なフォルダはインストールしないというオプションを設けるべし。って、こんなユーザーじゃダメですか?やっぱりUNIXライクに使いこなさなきゃダメですか? しかしそれでも、OSXの堅牢性には目を見張るものがある。2年あまり使っていて、完全に操作不能になったことは5、6回ほどである。もちろん個々のアプリがフリーズすることはままあるのだが、それでも電源ボタン長押しや電源コード引っこ抜きに訴えることなくそのアプリだけを安全に終了させられる。前職で使っていた窓XPやOS9ではしょっちゅう逝っていたものだが・・・。某?2ちゃんねるなどでは意固地になってOS9を使い続ける人を見かけるが、俺にはどういう了見でそういう事を言っているのかが分からない。DTPなどの業務ユースで使っていて、しかも会社に予算がなくて乗り換えられない・・・というのなら分かるが、殆どが個人でMacを使っている人々であろう。大幅に操作性が変わってしまった事がしばしばやり玉に挙げられているが、ショートカットなどは慣れの問題だし、好きなところにフォルダを作ってアプリでも書類でも何でもぶち込んでおけるというアバウトさも健在だ。ネットワーク関連の設定も簡単になっているし、何より新しいソフトウェアは殆ど全てOSXにしか対応していないのだ。これまでにもSystem6→OS7やOS8.1→8.5などの大変革の波に揉まれてきたにもかかわらず、OSXだけを毛嫌いするのは食わず嫌いというものである。もっともソフトの互換性がかなり低くなってしまったのは問題ではあるが・・・。アンチWindowsの俺が素直に羨ましいと思うのは、同98のソフトがXP上でもまず動くという部分である。MacでもOS7〜9の間では殆ど大丈夫だったのだが、OSXになって完全にコードが変わってしまったのである。これによって先進的な機能―プリエンプティブ・マルチタスクや動的メモリ確保―を得た反面、旧来のソフトは無理矢理エミュレータで動かすという気持ち悪い状態になってしまったのだ。これは確かにキモチワルイ。ゲームボーイのエミュレータを使っているような気分になる(そこまで言っては大げさだが)。しかし、2ちゃんねらーの皆様ならムニャムニャやムニャムニャでソフトはどこからでも引っ張って来られるはずである。OS9で起動できるMacもそのうち無くなることだし、早めに慣れておいた方が身のためだと思うのだが。大きなお世話だけど。俺も頑張ってOSX使うからさぁ。 あー、今日はあんまりMacを褒めるつもりではなかったのだが結局こういう話になってしまった。マカーというのはやっぱり3、4パーセントのシェアしかないパソコンを使っているという選民意識があるね。良くも悪くも。だから変なヤツが多い。ま、どれ使ってもネット見たりメールすんなら同じだから。だから、あ、あ〜煽らないでぇ〜・・・。 |