第216回
どこまで続くのか、俺のロード・オブ・ザ・就職。日本に帰ってきて1ヶ月が過ぎ、いいかげん日本で体験しようとしてきた事を殆どやり尽くすとにわかに現実が目の前に迫ってきた。 実は、帰国直後にスーツを買い、ワイシャツを買い、証明写真を撮って靴なんかも買った俺である。今までは誰もがTシャツ1丁、ヘタをしたらパジャマ姿でも全く違和感なく街中を歩いていた国から来た俺からすればこれだけで仕事気分は最高潮である。何しろかの国ではスーツを着ているだけでそれはもうものすごいエグゼクティブなのだから・・・。 しかし憎たらしい事に?ここは日本。スーツ姿の人がそこら中にいるのは当たり前だし、何しろこの国の冬はきっちり寒いのだ。Tシャツでサンダル履きなどという雰囲気が盛り上がるはずもない。昨日の雪を見ながら、ああこの景色を南国の人に見せてやりたいものだとつくづく思った。彼らならこの雪景色を一大イベントとして捉え、拍手喝采で喜んでくれるだろう。だが日本人はそんな事はお構いなしに粛々と歩いてゆくのだ。つまらん・・・。松屋の脂っこい新生牛めしはそんな俺の気分をさらに萎えさせた。 そんなわけで俺は真新しいスーツに身を包み、数件の会社の面接を受けている。学生時代には2社ほどしか受けず、前職の面接にはスーツなぞ着て行かなかったような気がするのでこれはもう6年ぶりの出来事になる。 自分自身、スレてしまったのを感じる。居並ぶ俺よりも年下の人々の会話の応酬を、心の中で冷笑している俺。「将来どんな人間になりたいか」などとアンタに訊かれる筋合いがどこにある?アンタに宣言したら、その通りになれるのか?そんな気持ちが現れてしまうのだろうか、俺自身の面接官への態度は段々とフランクになってゆく。現実はどうであれ、理想と夢を持って行かなければならない場所に俺は金銭感覚と生活の苦悩をぶら下げてゆく。これでは「真っ当な」面接術を身につけた人たちに敵わないのは自明のことだ。さすがに最近では尻に火が着いてきたので「真っ当な」面接術を勉強中なのであるが、昭和50年生まれの俺ですらこんな思いにとらわれるのである。中高年の方の再就職にはもう筆舌に尽くしがたい苦労があるのだろう。ある程度のポストを持ち、同じ会社に数年、数十年と勤めてきた人のプライドと言うのは察するに余りある。自分よりも年下の面接官にどのような口調で接するべきか。正解はなかなか見えないだろう。 それにしても悩ましいのは経験者募集、というヤツだ。先週はフリーターの話を書いたが、今回はこちらの話をしよう。フリーターの件も、経験者の件も、企業が目指す所は同じである。即ち、「採ってすぐ使える」これ以上でもこれ以下でもない。先週の話に戻ってしまうのだが、企業はよりコンビニエンスな人材を求める時代になった。米を炊いて海苔を用意しておにぎりを作るのではなく、コンビニで出来あいのものを買ってきて、ビニールを剥けばすぐに食べられるおにぎりを好むこの時代の風潮。おかげで異業種への転職はますます難しくなっているし、今では転職スクールだの各種資格講座だのが花盛りだ。企業としては人を自分で作るのは面倒だし金がかかるから、「出来合いの人間」が欲しい。出来上がっていない人間であれば、アルバイトと言う形で簡単な仕事だけをさせる。 確かにそういったスクール系はこの世の春を謳歌しているのかも知れない。社員で一定年数以上勤めている人には厚生労働省の助成金も出るとあってはこれに乗らない手は無いのかも知れない。しかし、この事は実は、今までの義務教育や高等教育には全然意味がないんです、と白状していることにならないだろうか。親のすねをかじり、あるいは自分で一生懸命稼いだ金で大学を出た人がもう一度そうしたスクールに通わなければならないという不合理。教える事を放棄した学校と企業がこのブームを作り出しているように思えてならないのだ。 考えてみれば大学の学部というのも、大層な文字が並んでいる割に実は金を稼ぐのには全く意味のないものが多いのだ。文学。政治学。人類学。哲学・・・そして美術系・・・。理系の話はあえてしないけれども、昔ならこういった学部を出た人にも活躍の場が自然に与えられていたように思う。しかし現在ではそうした実務に直接関係のない学問をしてきた人はこぞってスクール通いをしている。学問は学問、実務は実務だという意見もあるだろうが、これでは日本経済はますます食いつぶされていってしまう。若者のモラトリアムがただでさえ長くなっているのに、さらにこうした所に通う時間が積み重ねられたら日本の生産性はますます低下してゆくだろう。世間が失業率の上昇に一喜一憂している昨今だが、こうした職業訓練校に仕方なく行っている人々を「学生」とせずに「失業者」として計上すれば失業率はさらに上昇するはずだ。もしかしたら見かけの失業率を抑える為の策略なのかと思いたくもなる。 スクール系に通わないで異業種に転職しようとしている人々の前にも同様の壁が立ちはだかっている。「未経験者歓迎 経験者優遇」という文面の「歓迎」の部分は「冷遇」と読み替えなければならないからだ。こうした文章は、「あーせっかく4万も5万もかけて求人広告出すのに誰も来なかったらどうしよー社長に怒られちゃうぅ」と日和った担当者が保険の為に書くものだからである。俺も書いた事があるから間違いない。で、もちろん経験者は優遇。もし未経験者しか来なければ仕方なく採るけれど、経験者が集まれば見向きもされない。悲しいかな、これが現実なのである。地域限定の新聞折り込みチラシであれば未経験者しか採れないという事はあり得るが、有名な求人雑誌や新聞に広告を出せばその効果は絶大で、大抵の未経験者に取り入る隙はないのだ。 会社企業は慈善事業ではないという事は百も承知なのだが、自由や夢を売り物にしている現代の日本がこれではあんまり淋し過ぎる。学校を卒業して、最初に就いた職種以外にはなかなか就けず、就き直すにはまた学校に通わなければならないというのは封建主義のようではないか。企業家の皆様には改めて、多少乱暴な言い方になるけれども「採ったからには自分で自分の会社の色に染めてやる」というバブル以前の気概を持って頂きたいものである。 |