恍惚コラム...

第215回

 フリーターが増えて、社会のモラルが無くなったと言われて久しい。これと関係あるかどうかは分からないが、近頃のニュースでは毎日毎日俺と同じくらいの年頃の男が子供を殺したと言うニュースが流れているし、若い母親が子供をいとも簡単に殺してしまったりしている。はたまた先日は、子と孫が共謀して祖母を殺すというニュースも流れていた。まったくもって、誰が誰に殺されてもおかしくない時代になってしまった。

 これらの事態を偏にフリーターが流行る時代の所為にするのは飛躍しすぎかと思うが、やはり雇用や将来への不安と言うのは人心を荒廃させる。アメリカ式のコスト第一主義や能力主義が日本に紹介されてかなりの時間が経つが、その方式が日本人の心まで変えるに至ったかと言えば、それはまったく違うと言うべきだろう。逆にそれは、コストを下げたい企業側のいいように解釈されて運用されているのだ。

 日本と言う国は高度成長期からバブル前夜を通じて終身雇用制と言う金科玉条を守り抜いてきた。勤め続けていれば給料は上がり、ボーナスも年相応に受け取れる。そんな経済状況の中、人々の間ではマイカーを持ち、狭いながらもマイホームを持つと言うことがさほど無理のないこととして受け止められてきたのだ。それが今はどうだろう。バブルの前であれば正社員として勤めていたはずの年ごろの人々がコンビニのレジに立ち、居酒屋で給仕をしている。そうした世代の人々が夢を見過ぎている―という意見もあるだろう。実際に世の中は「ゆとり教育」の名のもとに「誰でも、何にでもなれる」という誤解を子供達に植え付けてきた。そんな事は決してあり得ないにも拘わらず、文部省はピーターパンシンドローム予備軍を量産する施策を近年進めてきた。だがそれを差し引いて考えても、「バイトの高年齢化」はあらゆる業種で目に付き始めていると言えよう。

 俺はアルバイトで食べてゆくのが間違いだと言っているのではない。就職に囚われて、旧来の終身雇用に縛られるのは耐えられないと言う立場も十分理解できる。情報誌にはバイト情報が満載で、ケータイでもバイトを探せるこの手軽さを享受しない手はないと思うのは一つの考え方であろう。

 だが結婚6年目、子供無し家無しクルマ無しの俺から言わせてもらえば、企業は余りにも目先の利益に囚われ過ぎていると思うのだ。フリーターを雇うことほど企業にとって安楽なことは無いからである。雇用保険無し、健康保険無し、厚生年金無しで人を雇うことの安楽さは、単に短中期の労働力を得たい企業にとっては甘い蜜だ。前職の経験から言って、人を正社員にするのは企業にとって大きなコストを伴うものである。先に述べた各種の福利厚生を整えるだけでもその従業員の給与の5分の1程のカネは軽くかかってしまうし、またそれを整える為の総務・経理・人事方の負担もバカにならない。しかもソイツらがフッと辞めてしまったら・・・。しかし、フリーターを雇っておけばこれらの問題は一挙に解決である。時給×労働時間のカネを払ってしまえば、もし被雇用者が年金を払えなかろうが国民健康保険料を払えなかろうがお構いなし。で、これを「アメリカ式」とか「実力主義」とかいう美名のもとに使用者が自己満足しているフシがあるのに対して俺は怒りを覚えるのである。きちんとしたポリシーのもとにアルバイトを採用している会社が今どれだけあるだろうか?どんな美辞麗句で飾っても、多くは「安いから」、というそれだけであろう。

 経験したわけではないが、バブル以前の社会には就職するに当たっての「覚悟」と言ったものが満ちていたように思う。企業には人様の子供を預かると言う覚悟があったし、社会の公器としての会社と言う意識があった。そして被雇用者にはその会社に自分がどのように役に立てるかという思想があったように感じる。そして、アルバイトやフリーランスで生計を立てようとする者には現在よりも大きな覚悟や矜持が必要とされていた。当時彼らはまだまだ少数派であったから、自分自身で将来のビジョンを明確にする必要があったのだ。

 しかし今は違う。企業は失業率5%の状況に買い手市場を享受していて、コストのかかる正社員をわざわざ雇う必要がなくなった。そしてそのバイト市場に飛び込んでゆく側にも昔ほどの覚悟は必要なくなってしまったのである。ここは日本人特有の横並び意識というヤツであろう。フリーターが増えれば、後先考えずに自分もフリーターになる。なにしろゆとり教育で、内容はともかく「夢」を大切に育てられた連中だ。勤務時間や終身雇用のしがらみに囚われずに、将来の夢を見続けられる仕事。そこに乗ってきた(誰が作ったかは知らぬが)「フリーター」という軽い響きの言葉は彼らの動きにますます拍車をかけた。誰もが皆フリーターになったから、将来への不安も人数で希釈されてゆく。

 かくしてこの無責任採り放題世界が現出したのである。景気は悪くとも、モノは何故か売れる時代である。売り子だけはいくら居ても足りない時代だ。で、ここでは経営者とフリーターとの蜜月時代が繰り広げられている。まあ、きちんとフリーターの結婚生活や子育て、そして老後が見える雇用条件なら俺も文句は言うまい。しかし、都合のいいことにアルバイトは「若いうちのもの」という通念が使う側にも世間にもまかり通っているからタチが悪い。多くが(多くても)月収15万とか18万円程度で収まってしまうものだから、20代中盤にさしかかった若者たちは戸惑う。気付けば周りは年下ばかり。しかしそこで周りを見渡してみても同じ仕事を同じ給料で、厚生年金や厚生健康保険に入れてくれる会社はないのである。そして若者たちはフリーターに甘んじ続けざるを得なくなるのだ。こんな時世に国民年金の完納を目指すなど、へそが茶を湧かす。

 安物買いの銭失い、という言葉がある。近頃の情勢を見ていれば、国が信用ならないのは誰しも良く分かっているはずだ。そこで俺は心ある企業家の皆様に慎んで申し上げたい。安い物作りは海外に任せておいて、日本人は高コスト、ということを素直に受け入れるしかないではないかと。恐らく、今企業のトップに立たれている皆様は景気のいい時代を切り抜けてきたのだろうからお分かりにならないのかも知れないが、今の若者にとっては働き続けていれば給料が上がって行くとか、定年で辞める時には退職金が貰えるなどと言う話はマルチ商法やねずみ講の謳い文句と同様のうさん臭さなのである。そう、ある意味今の若者は謙虚になっているのだ。そこを捉えて、資本家なりのモラルを採り入れた国に頼らない社会保障システムを構築することこそが、国の無策に対して企業家が行うべきノーブレス・オブリージュというものだと思うのだが如何だろうか。古くさいと言われても構わない。古くより日本の社会を結びつけてきた会社と言う組織を利用して、日本を真に成熟した社会にしてゆくためにはやはり「人を預かる」正社員登用を今こそ推し進めることが必要だと考える。フリーター、安い安いと浮かれているだけでは近い将来自分自身の首を絞めることになるだろうから。


メール

帰省ラッシュ