恍惚コラム...

第209回―アジア篇 第9回

 タイに来てから早くも27日間が過ぎようとしている。つい1ヶ月前まで「渾沌と喧騒のインド」に居た事さえ忘れさせる「微笑みの国」タイランド。この心地よさのために、この27日間、皆様に自慢できるような事は何一つしていないと断言できる。バンコクで9日間寝て、チェンマイで5日間寝て、メーホーンソーンで3日間寝て、パイで3日間寝て・・・今はバンコク近郊のアユタヤーという街にいるのだが、全くもって異国に来ている有難みを享受しない日々を過ごしている。何しろここには普段暮らしに必要な何もかもが揃っているからだ。それは何かと尋ねれば、セブンイレブンやファミリーマート。路上の至る所に出ている屋台。・・・これだけ。これだけの事なのである。が、しかし、インドやバングラデシュから来た身にしてみれば、これだけあればまさに天国。トイレットペーパーが1巻20円ほどで手に入り、コンビニではキンキンに冷えたビールが売っている。しかもこれらの文化的な品々を、良くエアコンの効いた店内で自由に選べるという事がどれだけ有難いかという事を俺は前記の国々で嫌というほど味わわされていたから、気分はまさに「プチ日本帰国」なのである。バングラデシュではガソリンスタンドの外装をコンビニと間違えたり、はたまたインドでは偽物のノンアルコールビールを掴まされた思い出も相まって、俺は今すっかりダラダラモードに突入してしまっているのだ。インドでも随分ダラダラしていたものだが、こちらのダラダラの安心感は段違いなのである。

 何しろ、今泊まっている宿のマネージャーは日本人。そして従業員のタイ人も少しアヤシイながらも複雑な日本語を話し、理解する。で、恐ろしい事に日本人宿だけに日本語の本が読み放題なのだ。1000冊以上はあるかと思われる日本語の海。マンガから文庫から新書まで、場末の古本屋なぞ問題にならない程の本が揃っているのだ。これはマズイ。何しろ旅立ちから8ヶ月目。ネパールやらインドやらのショボイ古本屋で洋書に埋もれた日本語書籍、しかも表紙の取れてしまった文庫本を日本での定価並みの金額で買わされていた俺達にとっては刺激が強過ぎる。バンコクに行けば「紀伊国屋書店」「東京堂書店」他、在住者向けの書店が何件かあるのだが、そこでの新品本の価格は日本での定価の50〜100%増し。とても貧乏パッカーに手の出るものではないのだ。それでもまあ古本屋に行けば一冊20バーツ(56円ほど)で文庫本が手に入り、インドの暴利っぷり(例:日本で400円の本を200インドルピーで売っている。1インドルピーが約2.8円だから、200ルピーは560円。新品より高い。ある本屋ではどんな状態の本でもこの(日本円での定価÷2)が守られているので手に負えない)がいかに酷いものであったかがしのばれる。しかし、ここではタダで読み放題。この魅力に優るものはないのである。お陰で俺達もこの宿で3日目になるのだが、1階のロビーではチェックインした時と同じ顔触れの日本人たちが昼夜を問わず、どこに出るでもなく黙々と本を読み続けているのである。俺達もまた、飯時以外は外に出ずに文庫6冊、マンガ6冊を読破してしまった。いかん。こんな事ばかりしていたらここに書くネタが無くなってしまうではないか・・・

 もうここは、宿泊付きマンガ喫茶だよ。さておき、恒例の旅レポートに入る事にしよう。

 9月13日朝。日ごろの朝寝ぐせを押して朝5時半起床。雨期の終わりのカルカッタは相変わらず曇り空で、夜中の雨がまだ路面を濡らしていた。そうでなくても道の周りがジメジメしているインドにあって、この雨期の雰囲気はツライ。赤痢なぞが流行るのもこの時期だと聞いていたが、長いインド圏暮らしのお陰で全く健康そのもののままタイに向かえそうだ。朝9時過ぎのインディアンエアラインに乗らなければならないので、7時には空港に行かねばならない。俺の脳髄を激しくシェイクしてくれたインドへの惜別の思いに浸る間も無くザックのパッキングを終え、俺は最後の難関である「空港までのタクシー」問題を思っていた。朝6時過ぎに首尾よくタクシーが捕まるものであろうか?どうせインドを去ってしまうからと言って残りのルピーをボリ取ろうとする運ちゃんに捕まったらどうするか?そんなことを考えながら宿のカウンターに向かったのだが、そんなことは全く杞憂に終わった。今までに無い愛想のフロントオヤジが何故かチャーイを奢ってくれ、しかも宿の目の前に2台も用意されていたタクシーは相場?の200ルピーでいいと言う。通りで流しのタクシーを拾って交渉すればもう少し安くなる公算はあったのだが、残りのインドルピーにも余裕があったので(それが思うツボだというのだ)早速乗り込む事にした。ボロボロのヒンダスタンモーター・アンバサダータクシーもこれで見納めである。なかなか運転手がやって来ないのでインパネを写真に撮ったり、オヤジとつかの間の親睦を深めている間にタクシーは出発。カルカッタ名物の市電(チンチン電車)をぶち抜き、バスを巻きながら一路へチャンドラボーズ国際空港へと向かったわけである。

 インド最後の景色は相変わらずだった。渋滞でしょっちゅう止まるタクシー。その間をすり抜けて頭に荷物を載せた男女が行き交う。路傍には原色の野菜と肉。そこら中に転がっている犬犬牛牛ときどき人。インド式のデコトラが通るたびに巻き上げる排気ガスを呼吸しながら活気づく朝のカルカッタ。陸路で国境を行くならさして気にも留めなかった光景に違いないが、何しろこの旅初の飛行機使用である。3年半ぶりの国際線搭乗を思いながら見るインドの景色はまた格別なのだった。

 今まで一言も発しなかったドライバーが「バンコク?」と声を掛けてきた。どうも乗る路線によってターミナルが違うらしい。旅行者を乗せて長いのだろう、こういう格好をした輩は必ずバンコクに行くのだと決めつけるかのようなその言葉に俺は迷わず頷いた。もう空港も近いのか、いつの間にか道路はだだっ広く、行き交うクルマもまばらになって来ている。ほどなくタクシーが空港に横付けされ、俺は無事にインドで最後の支払い・200ルピーを済ませる事が出来たのである。

 チェックインカウンターには日本人(韓国人もか?)2割、白人2割、インド人6割ほどが既に短い列を作っていた。これまでのアバウトな出国審査はなるまい。俺は結構緊張しながらザックをレントゲン装置に通した。これは勿論パス。しかし、ポケットのマッチは没収されてしまったのだが・・・。当然なのである。ダメモトと思ったのだがやはりダメだったか・・・。まあそれ以外は大過なく、手荷物にもパソコンしか入れていなかったのでさほど時間はかからなかったのだ。

 それにしても空いている空港で、2時間余りも前にチェックインを済ませてしまうと暇で仕方がない。免税店もコンビニに毛が生えた程度の広さで、酒とタバコしか置いていないし、食べ物屋も開いているんだかいないんだか分からないやる気の無さ。ここで余ったルピーを使おうと思っていたのに全くの見当違いだった。デリーやムンバイーの空港ならもっと色々あるのだろうが、この空港にはそう言った類が全く用意されていないのだ。「deperture」の表示にはブータン航空のパロ行きと、俺達の乗るインディアンエアラインのIC731便。もしかしたら俺達もブータン航空を利用するかも知れなかったのである。それは勿論、カルカッタで買えるバンコク行きチケットの中で一番安いから。安いと言っても100ルピーとか200ルピーほどの話なのだが、現地の価値で言えば結構な差である。俺達も当然ブータンエアーのチケットを取ろうとしていたのだが、旅行会社の「ブータンってヒマラヤだよ。ヒマラヤから来るんだから欠航はしょっちゅう。で、週2便だからキャンセルになったら大変だよーん」という言葉に押されてついついICのチケットを買ってしまったというわけである。こちらなら毎日就航してるしね・・・。まあそれとは余り関係ないのだが、ブータンに帰るブータン人を見られたのは収穫だった。ブータンは日本の親戚ではないかと言われるほど日本に似た文化を持った国だそうだが、俺達の見たブータン人の夫婦もまさにそんな感じ。ドテラ+腰巻き姿で、顔はまさに日本人そのもの。ただこの人たちは結構金持ちらしく、足元が高そうなソックスと革靴でキマっていたのが少しアレだったんだが・・・。ブータン。行ってみたい国である。一日200ドルの強制両替制度さえなければアジア制覇を目指すバックパッカーで混雑するはずなのだが、国が年間2000人(だっけ?)以上の外国人を入れないという方針でそう言うことになっているのだそうな。ビザも個人では難しいらしいし・・・まさに金持ち旅行の国である。しかし、行ったとなれば相当威張れるに違いない・・・。

 エアバスA300という、国際線にしては小振りな飛行機に搭乗。乗ったそばから座席の前の新聞や機内誌が乱れてるわ、サリー姿のフライトアテンダントがみーんなオバ○ンだわで不安をあおりまくってくれたのだが、全然問題なく離陸。前の席が日本人なのであんまり変な事は喋れんなぁとか、こんな短いフライトでも機内食は出してもらえるんだろうか等と思いながら2時間半余りのフライトだったのである。ミャンマーさえ抜けられればこんな金は使わずに済んだものを、と後からなら書くものだが、やはりたまに乗る飛行機は楽しいのである。心配された機内食も無事に純・インドカレーが出て、さすがインドだ!と思い知らされた次第。この飛行機に乗っている限り、まだまだインド世界は続く・・・。

 さても飛行機は高度を下げ、地上の景色が徐々に見えてくる事となった。太い道路が走り、大きな工場の屋根が秩序正しく並ぶ・・・タイのどこかは分からないが、少なくともタイの領空に入った事ははっきりと分かる。こうなると着陸はあっという間。僅か2時間半で俺達はタイの人となったわけである。しかし空港のゴージャスさばかりが目に付いたものだ。総カーペット張りで、床も天井も新品同様。勿論全館冷房完備だったのには当然の事ながら驚いた。インドにはこんなに冷えている空間はなかったんじゃないか・・・?俺は久しぶりの強冷房に、全身の毛穴が引き締まる重いがした。うーん、いい。異国情緒をこんな事で感じるのも変な話だが、こういったことから国力の違いやら国民性が知れるのかも知れない。

 入国審査を問題なくパスすると、次には税関の検査が待っている。機内で配られた申告カードには「コンピュータ」とはっきり書かれてあったのでおっかなびっくり通関カウンターに行くと、「申告者用」のカウンターには係官がいないばかりか、並んでいる人もいない。一体どうしたものか・・・。このままぶっちぎっても全く問題は無さそうだったのだが、申告するものの無い妻を先に無申告カウンターに通してから再びその申告者カウンターに行くと、今度は2人の私服の男女が所在なさそうに佇んでいる。俺は彼らに申告カードを見せたのだが、彼らの言うには「ラップトップコンピュータ?いいよ見せなくて」とのお答え。だったら最初から書いておくんじゃない!いざ入国してみれば、この国ではパソコンなんてちっとも珍しくないのであった。

 続いて両替へと移った。日本円をバーツに替えるのは当然だが、この手元にあるインドルピー。これを両替してくれるのかが焦点だ。中国やインドは、元やルピーを国外に持ち出してはいけないという建前を持っている。しかし、これだけインド人がタイに来ているんだから大丈夫だろうと思い、カウンターに行って見ると、1件目では見事断られてしまった。「ほら見ろ、言わんこっちゃ無い」という妻。しかし、そのカウンターのお姉さんは「あっちの端のカウンターならイケル」と教えてくれた。果たしてそのカウンターに行ってみれば、見事ルピーをバーツに換えてくれたのである。が、レートがもの凄く悪いのである。1ルピーが0.6バーツ。400ルピーが240バーツ少々にしかならないのであった・・・。日本円からすればいずれも2.8円、2.9円と大差ないのだが、ここでも国力の違いを思い知らされることとなったのである。

 ドンムアン空港は2度目である。しかし、前回は市街地までの送迎込みで手配してあったので、今回は自力で町場に出て行かねばならない。大体こういう状況になれば客引きが手ぐすね引いて待っているものなのだが、さすがはタイである。昼間と言う事もあって誰も近づいてこない・・・。俺達はおかげで落ち着いた状態で公営(?)のエアポートバス、100バーツに乗り込む事が出来た。どこまでもピカピカな車内は完全冷房。窓すら開かないようになっている。素晴らしい・・・。このコラムのインド辺りの話では「豪華バス」「日本車」という記述が何度か出て来たが、冷房つきのバスに乗ったのはこの旅史上、正真正銘の初めてだったんである。くぅー、まったくタイってヤツは。このバス料金は高く、10分ほど歩けば3.5バーツのエアコン無し市バスにも乗れたのではあったが、俺達はこのリッチさ加減に唸った。

 空港から市街地へと延びる高速道路は3車線。空港の周りではベンツは常識、BMWもセルシオも走っている。かなりのカルチャーショックと言えよう。こういう事を知っているからインドの金持ちはタイに遊びに来るのだろうかなどと思いながらしばらく乗っていると、バスは小一時間で市街地の中心・MBKセンター前に到着した。バックパッカーの聖地と言えばやはり鉄道駅そばのカオサンロードなのだが、俺達は前々からこのあたりに投宿する事に決めていた。カオサンは世界に名だたる安宿街だけあって何でも揃い、外人向けの商売なら何でもあるところなのだがいかんせん煩い。300メートルほどの目抜き通りにはぎっしりと安宿やコンビニ、旅行代理店に土産物屋が並んでいるのだが、白人率50パーセント(ちょっと大げさだが)のこの街では少しタイの有難みが薄れる。というわけでここにある「ソイ・カセムサーン」(カセムサーン路地)は俺達のお気に入りなのである。今回行ってみたら近くにセブンイレブンが出来ており、ますます便利になっていた。しかもここはバンコク最大のショッピングセンター・MBKセンターも目の前だし、そこには日本の「東急」を含む2軒のスーパーが入っている。また2000年に完成した高架鉄道の駅もすぐそばと、ちょっとカオサンに行く理由が思い浮かばないほどの好立地なのである。それでいて安め(といってもカオサンより高くなるが)のゲストハウスが5、6軒あるから有難いことだ。

 前回のコラムの末尾に書いた「ホワイトロッジ」はツイン・エアコン付きで400バーツ。(450バーツの豪華版の部屋もあり)いきなし400バーツは少し高めなのだが、懐かしのバンコクの為に大盤振る舞いである。大判ブルマーではない。それもまたオツだが。一気に1週間分・2800バーツを支払い、早速エアコンの有難みを貪った。いい・・・。インドでは同じ宿でもエアコン付きは一気に2倍の料金だったから、あながちこの400バーツは高いとも言い切れないのである。インドでは結局一度もエアコン付きの部屋に泊まれなかったし・・・。ホットシャワー付きだし・・・。さすがにテレビはないのだが、ひとまず快適なバンコクライフを始めたという訳だ。

 これまでのストイックな旅を、俺達は街を歩きながら振り返った。目に入るセブンイレブン・マクドナルド・ケンタッキーフライドチキン・東急・伊勢丹・紀伊国屋書店・・・。ネパールのスーパーのクレイジーな高さ。インドのマクドナルドの門番。バングラデシュのスーパーの、庶民には絶対に入れない高級感・・・だがここでは誰もが門番に咎められる事なく気軽にマックに入っているし、門番なんかいない。値段も市場で買うのと大差ないスーパーとその品揃え。日本からいきなりここに来れば「こんなものか」と思うかも知れないが、俺達にしてみればコンビニなどを見るのは蘇州の駅前以来だから7ヶ月振りなのである。しかもこの国では露店商が値札を出しているではないか!これなら訳の分からない旅行者でも安心して買い物が出来ると言うもの。インドのように、店主の強面に負けて欲しいものも敢えて我慢、なんて事もないのだ。素晴らしい・・・。ついついお金を使い過ぎてしまうのが痛い所だが、ここは半分野生化しかかった俺達にとっては桃源郷のように思われたのである。スーパーやコンビニの品ぞろえに不足を感じる向きもあろうが、逆に南国ならではのフルーツが簡単に手に入るのがキッチンのない旅行者には有難いだろう。ドリアン、龍眼(ロンガン)、ドラゴンフルーツ、スターフルーツ、メロンにマンゴー、マンゴスチンからもう名前も分からない謎なフルーツまでが気軽な値段で買えるのが嬉しい。それからご存知の方もあるかも知れないが、当地では明治牛乳が売っている。で、これが非常に濃くてウマイのである。日本の明治が高級シリーズとして出している「おいしい牛乳」並みの濃さで、しかも安い。お陰で日本ではあまり牛乳など飲まない俺も毎日愉しんでいると言うわけだ。味も4〜5種類ある。

 インターネット事情も都市部では進んでいて、インターネット屋にはADSLが引かれている所も多い。まあ安宿でちょこっと使わせているような所では未だにダイヤルアップなのだが、先述したMBKセンターの最上階にはADSL完備のネット屋が4,5軒あって、速度も日本向けで測定して256Kbpsほど出ている。これはチベットの拉薩で実測した160Kbpsを凌ぐ。お陰でこの8ヶ月滞っていたソフトやOSのアップデータを落としまくる事が出来たのだ。もう数回通って、合計で200MBほども落としただろうか・・・。LANポート搭載のノートパソコンを持って行けば接続させてくれる場合がほとんどなので、宿の電話を使って自分のプロバイダのアクセスポイントに接続するよりも簡単でしかも速い。値段の方も1時間で40バーツほど(自分のPC使用でも同価格)とリーズナブルだ。傍らでタイ語キーボードを打ちまくる地元の人を見るのもまたオツなもんです。

 それからパソコン好きのバンコク行きで外せないのが「パンティーププラザ」の存在であろう。ここはワールドトレードセンター側の橋を渡り、アマリウォーターゲートホテルの斜向かいにあるビルなのだが、ここには丁度秋葉原駅前のラジオ会館風に多数の電気関係の小店舗が収まっているのである。取り扱っている商品はパソコンと携帯電話関係が殆どなのだが、中でも圧巻なのは「焼き物」関係である。どこかにも書いたかも知れないが、ここはありとあらゆる世界の「焼き物」が集結しているアナーキー地帯なのだ。その手の店舗は5〜6軒あり、見本としてジャケットをファイルにしたものを店先に並べているからすぐに分かる。全品英語版なのが日本人には悔やまれるが、じっくり探すと何故か日本語版が混じっている時があるから侮れない。そんなわけで日本人はあまり見かけず、白人のオッサンがまとめ買いしている姿をよく見るのである。ちなみに現物は店に置かず、客は番号で注文し、それを店員が聞いてどこかに電話して持ってこさせるシステムのようだ。んー、アナーキー。ちなみに客はワンサカいるので買っても大丈夫なようだが、一応犯罪行為なので気をつけるようにねー・・・。そういうブツの他にも激安CD−Rやパーツ関係も沢山あるので是非一度訪れてみて頂きたいところだ。マカーにはあんまり関係ないけどな・・・。

 バンコクでの日々はあっという間に過ぎてしまった。上に書いたような店の他、都内に点在する日本語書籍店での古本漁り、そして名物のウィークエンドマーケットを冷やかしたりしているうちに、一つも「名所」に行く事なく宿の契約期限を迎えてしまったのである。まあ8ヶ月のうちの1週間、大勢に影響はないとはいえ、いままでシコシコ移動してきた俺にしてみれば何だかこう、旅をしているという実感に欠けるのである。これではいかん、というわけで次は「スコータイ」というタイ中部の遺跡の街に行こうとしたのであるが、これは宿のおねえさんに止められてしまったのである。

 チェックアウトの前日の事であった。いつも受付にいるおねえさん(年齢不詳)が、「チェックアウト、トゥモロー?アーンド、ホゥェアー、アー、ユー、ゴーイング」と英泰折衷の言語で話しかけてきたのである。そこで俺達が「スコータイ」と答えると、「ノー、スコターイ、ウォーターウォーター、スゥィミーング!」と言うではないか。スイミング?つまり洪水だからオススメできないというのである。そんな事、地元の言葉が分からない俺達には知る由も無い事であった。しかしこれしきでは何とも思わないのが無計画旅行者のいいところである。で、当初の行き先を大幅に変更して彼女の勧め通り北部の街・チェンマイに向かう事となったのである。まあいずれは行く予定だったしいいかなと。

 バンコク北部のモーチット2バスターミナルに着いたのは午後1時半過ぎ。800キロも離れた所にバスで行くのに随分悠長な・・・と思われるかも知れないが、これで十分なのである。大体バスの時刻表なんて手に入らないし、昼間のバスがなければ夜行を待てばよい。タイのバスはもうひっきりなしに把握できないほどの本数が走っているから、よっぽどの夜中でも無い限りバスターミナルに行ったもの勝ちなのである。随分小奇麗なバスターミナルに感じ入っていると、もう間髪入れずに「チェンマン」のカウンターが見つかる。しかも午後2時発。あまりのタイミングの良さに昼飯もそこそこにチケットを買う。エアコンバスで420バーツほど。エアコン無しなら結構安くあがるのだそうだが、こちらは軽食+途中立寄りのドライブインでの食券付きだ。列車の1等寝台より安いのだから・・・と自分を慰めつつチケットを注文すると、何と液晶画面で席を選べるではないか!んー。列車より便利なんじゃないかと思いながら、乗り物に弱い妻のために一番前、左側の席をチョイスだ。
 ターミナルの中に入ると、「ベイ」と呼ばれるバス着き場が40以上もあってなかなか壮観だ。バスのグレードや目的地に合わせて、様々なバスが行き交っている。で、その中の1台に乗り込んだのだが、これがもう寒いくらいエアコンの効いた、オットマン付きシート仕様なのである。値段は少し高いが、全然問題無いでしょうと夫婦ともども浮かれながらチェンマイへの道行きとなったのである。

 10時間の道のりである。しかしまあ、今まで36時間とか27時間とかをもっと強烈な乗り物で移動してきた身からすれば何ともない。これから行く国々の広さを考えれば、もうこんなまとまった時間の移動ってないんじゃないかと思いながら俺はトランス状態に入ったり、タイのコント番組やアクション映画のビデオを見せられたりしながら過ごした。あきれるほど静かな日野製豪華バスと、米軍のおかげといわれる高速道路は最高の組み合わせだった。都市を出てしまえば舗装はそれなり、という国を見てきたわけだが、ここでは徹頭徹尾、正真正銘のハイウェイだ。素晴らし過ぎる・・・。

 かくしてチェンマイのチェンマイアーケードバスターミナルに着いたのが午後11時半の事。予定時間より早く乗り物が到着するなんて全く信じられなかったのだが、トゥクトゥクの運ちゃんがホテルのパンフをちらつかせながら迫ってくるのでそうと知れた。はっきり言って目当ての宿など無きに等しかった俺達。運ちゃんは500バーツとか600バーツの高めの宿を勧めて来るのだが、沢山のパンフを持っているのが仇となった。俺が他のパンフを見せろと言うと出て来る出て来る。150バーツとか200バーツの宿が・・・。だったら最初からそっちを見せていれば20分も揉めずに済んだのにと思いながら、俺達は深夜の150バーツ宿に送り届けられたのだった。

 運ちゃんがフロントマンをたたき起こしてチェックイン。深夜の安宿は大概が寝に入ってしまうので、こうした地元の人の協力(?)が不可欠なのだ。もの凄く眠いと言う事を全身でアピールしながらオッサンが部屋を見せてくれ、チェックイン・・・しようとしたら「金とかは明日でいいから」との事。人がいいと言うべきか、アバウト過ぎと言うべきか。部屋はファンのみだったが、ホットシャワー付。なかなか小綺麗だ。何でこの値段でこんな部屋が借りられちゃうんすかぁ?

 翌朝、改めてチェックインをしようとカウンターに赴いた俺達は驚いた。いや、フロントが夕べのオッサンと打って変わっておねえさんばっかりだったと言うことではない。何を隠そう、女性の心を持った男性の方、すなわちニューハーフの方が受付をしているではないか。途中、洗濯物を持って後ろを過ぎて行った方もニューハーフ。前回のタイでもかなりハーフな方々を見ていて、今回は全然見ないなぁと思っていたら来ましたよ。チェンマイで。しかも俺、最初は全然気がつかなかったのである。長髪で化粧もバッチリ、服装は勿論女性仕様だから一目で見分けるのは不可能。しかし、こう、何となく側で骨格やら声の調子を見ていると分かってしまうのだ、これが。そうしてハーフな人々を一度見てしまえばあとは早い。その後至る所で見かける事になるのだった。レストランの給仕に、バスのチケット売り場に・・・。でも、そういう人の方が親切なのだから旅行者としては有難い存在なのである。

 さて、そんなチェンマイでの日々も大過なく過ぎて行った。見どころと言われる2、3のお寺を見てしまえば後の楽しみはトレッキングなど・・・と言った所なのだが、読者の皆様ご承知の通り、俺はとてもじゃないがトレッキングなぞするガラではない。そんな訳で、チェンマイでの日々もただコンビニと食堂を往復するばかりだったわけで・・・。

 そんな中にも楽しみはあった。宿の近所にあった食堂である。一見何の変哲もなく、席数が少なくてむしろ入りづらい部類の食堂なのだったが、ここのメシが何を頼んでも20バーツなのである。麺を頼もうがサラダを頼もうがトムヤムクンを頼もうがひたすら20バーツ。しかも何故か先達の残して行った日本語メニュー付。看板もなにもない素っ気無い店なのではあったが、そこのオバチャンの愛想の良さも手伝って通い詰めてしまったのは言うまでも無い。しかし、トムヤムクンが20バーツだなんて、日本でタイ料理を食うのが本当に馬鹿らしくなってくる・・・。その店はオバチャンが一人きりで小さい厨房(というよりもほとんど屋台だ)を駆使しているためにメシが出て来るのに非常に時間がかかったのだが、よくもまあここから50種類以上はあるメニューを生み出せるものだなと感嘆した。

 ひたすらバンコクで買ってきた本を読む日々。せっかく北タイにやって来たのだから・・・と俺達は更に北上することにした。次の目的地はメーホーンソーン。ミャンマーの国境から30キロと離れていない辺境の街だ。チェンマイからは約4時間のバス旅。鉄道はない。ここが旅行者を惹きつける理由は、山岳トレッキングの起点だと言う以外にも「首長族」が見られるという事なのだ。首長族・・・エキゾチックな興味もさることながら、何だか往年の「水曜スペシャル」を思い出してしまうその響き。俺達はまあ実際そこに行くかどうかはさておき、ひとまずメーホーンソーンに向かうだけ向かう事にした。

 いろは坂×20回ほどのハードなワインディングを、ミニバスはひたすら登ってゆく。山の上に来ようが、熱帯タイのこの時期はそれなりに暑い。しかもこのルートには(多分)エアコンバスというものはないので、行かれる方は乗車前に水の準備をされて行く方がよろしかろう。時々停車する商店に集まる人々の中で、辺境に近付けば近付くほど一般タイ人とは違う独特の民族衣装を纏っている率が増えて行くのが興味深かった。なに族、というのには全く詳しくないのだが、カレン族やらパダウン族やら、そういった人々がこのミャンマー・タイ国境地帯には住んでいるのだ。

 4時間ほどで、バスはあっけないほどの市街地に着いてしまった。歩いてしまえば小一時間ほどで全てを見て回れてしまいそうな街だったのであるが、こんな所にまでセブンイレブンがあるということに俺は驚愕した。何だかさっきからセブンイレブンの話ばかり書いているようで恐縮だが、インド帰り間も無い俺達にとってはセブンイレブンはもはや文化レベルを計るバロメーターである。その他の面でも、他にあまり産業がなさそうなこの街に銀行が何件もあり、宿が10数件もあるというのは首長族景気なのだろうか。そんな事を考えつつ、俺達はこの街で2日を過ごした。山奥なのに何で魚介類のメニューがこんなに豊富なんだろう・・・。

 3日目である。いい加減町の全容も知り尽くしてしまったので、いよいよ、というか、成り行きで、というか、首長族の村を目指してみる事にした。とはいってもそんなに大冒険ではない。ミャンマー国内の政治難民としてタイ山岳地帯に逃れてきた首長族は、難民である事から土地を所有する事が出来ずに半ば語弊はあるが「見せ物」として「入村料」を観光客から徴収する事によって生計を立てているのだ。だから然るべきツアー会社にお金を払えば誰でも簡単に(とりあえずこの町まで来れば)行けてしまうのではあるが、そこでツアー会社に金を払おうと思わないのが我々夫婦のいい所(?)。乗り合いのソンテウ(トラックの荷台を座席に改造したクルマ)で何とか行けないかと考えたのである。地図にはその乗り場が書いてあったし・・・。

 と、いうわけでそのソンテウ目指して市場のそばを捜索する事になった。某ガイドブックの地図に記されていた場所に行ってみるのだが、ソンテウどころか人っ子一人いない。・・・・・・まあこんなのは良くある事だ。ここに来る途中にソンテウだまりのような場所があったので、手当たり次第にその村の名前を呼んでみたのだが、誰の答えも「ノー」・・・世界の共通語である。どこでも通じるのである。うーん参った。もう首長族以外にこの町で見るものは全く残っていないし、手ごわいぞ首長族。もうこのまま次の町に行こうかなどと考えていた時、最後の頼みとして妻が声を掛けた30代後半の女性ドライバーがなかなかいい反応をしてくれたのである。妻が声を掛けると、彼女はおもむろに携帯電話を取りだして「何か日本人だか韓国人だかみたいのが来てパダウン村行きたいって言ってるんだけどー。」もちろんフルにタイ語なのだが、「イィープン(ジャパン)」「コリア」と言っていたのでまあそんな感じの内容なのだろう。暫く待っていると、彼女の夫らしき人が現れて、「500バーツ、3時間ね」と言う。結構旅行者慣れしているようだった。時刻も昼を過ぎたところだし、ソンテウまるごとチャーターで2名500バーツなら安い方だろう。ツアーだと1人500バーツが相場だ。俺達は早速それに乗り込み、村に向かう事になった。

 20分ほど走ると舗装道路が途切れた。あとはひたすら、泥濘の中をトラックは登ってゆく。橋の無い川をそのまま渡るスポットもあったりして、これだけでもなかなかにエキゾチックな景色なのだったが、1時間ほどのドライブで無事、その村の入り口に着く事が出来た。と、まあ予想通りと言うか何と言うか、公衆トイレはしつらえてあるわ売店は出てるわでなかなか繁盛していそうな雰囲気だ。それでもまあここに来るまでの道のりのキツさが気分を盛り上げてくれていたので良しとしようか。ドライバーに午後3時の再会を約束して、入場料1人250バーツ也(!)を払い、村に入った。いきなり入り口に食堂があるのも何だかなぁー。

 5分ほど歩くと、まばらな家屋の中に第一村人を発見。ええ。長いです。10代の娘さんと思しき女性が、首に真鍮のリングを何段にも巻き付けて歩いている。具体的に何センチあるのかは分からないが、とにかくそのリングのせいで首が伸びている様子がありありと分かるのだった。

 更に進んでゆくと集落の全貌が見えてきた。40軒ほどの高床式住居が立ち並び、村人たちが家の前で思い思いに土産物の織物やら首リングやらを売っている。これしか産業がないというのでもう壮絶な客引き合戦を予想していたのだが至ってのどかなもの。値段を聞いてみてもそこらの土産物より安めなのだ。彼女らがしているブレスレットが100バーツ、絵はがきが10バーツ、手織りの布なども200バーツほどから手に入る感じだった。まあ敢えて欲しいとも思えない品々だったのだが、何だか何も買わないで写真を撮るのは心苦しいので、100バーツのブレスと10バーツの絵はがきを無理矢理買って写真を撮らせてもらったりした。(もちろん一番首の長そうなオバチャンを選んで、だ)ちなみに首を長くするのは女性達だけの習慣。おかげで男達は全く何をしているんだか分からない状態。一生懸命機織りをしたり土産物を売っているのは女性ばかりで、男達はひたすらゴロゴロブラブラ状態なのである。羨むべきか否か・・・である。

 さらに奥へ進んでゆくとキリスト教の教会が見える。ものの本によれば宣教師がこうした山岳民族へ熱心に布教をしており、その民族ならではの精霊信仰や伝統の儀式が失われつつあるのだという。しかしそのような事はちょっとよそ者の外見からは分からなかった。で、その先には学校があり、首リングを付けた女の子やら坊主が英語の授業中。見学者に配慮してか塀は低く作られており、中の様子は丸見えである。その前にはとっても分かりやすい(募金箱)が置いてあったりして・・・。

 ミャンマー・タイの国境地帯は緊張状態が続いているから、ミャンマーに行ってこうした人々の姿を見る事は難しいであろう。というわけでこうして結構手軽に首長族の人々に出会えるのは喜ばしい事なのだが、何だか箱庭のようにちんまりとまとまった村の様子は少し淋しいものがあった。本業が農業の人々をこうして閉じこめておくのは辛いものだ。

 そんなメーホーンソーンを後にして、俺達はチェンマイ―メーホーンソーンの中継点に当たる町・パイに行く事にした。この町、日本人には殆ど知られていないのだが白人パッカーにはつとに有名な所らしいのである。ただ単に、日本人ご用達の「地球の歩き方」には載っておらず、白人ご用達の「ロンリープラネット」には載っていると言うだけの話なのだが・・・。また、パイが余り有名になれないのはタイ政府観光局がプロモーションをしていないからだと言う話も聴いた。こんなにパッカーだらけでいい町なのに「歩き方」に載らないのはやはり「歩き方」が観光局の話だけ聞いて作っているのではと勘ぐりたくもなる。

 俺が何でこの町を知ったかと言えば、ただ偶然チェンマイ―メーホーンソーンのバスに乗って見かけたからである。バスはいくつもの小さな町を通り過ぎてゆくのだが、その中で何故か白人がウロウロ、宿はウジャウジャしている妙な町を見かけたと言うのがきっかけである。で、メーホーンソーンのネット屋で調べてみたら「白人パッカーの天国、メシも宿も激安」とある。激安と言う言葉に弱い俺達夫婦はその村ののどかな様子も相まって早速行ってみる事にしたわけである。

 前にも来た事があるバスターミナルだったので場所はすぐに知れた。もう目の前に宿があることも下見済みだったので、早速その通りに沿った宿をチョイス。うーん、確かに安い。何処を見ても250バーツ出せば結構な宿に泊まれてしまうのだ。1軒1軒が離れになっているコテージ風、しかもホットシャワーとテレビ付だ。まあ地元のテレビしか映らないのだが、あるとないでは淋しさが段違いなのだ。で、そこの宿に付いているレストランがこれまた安くて何とも言えないのであった。白人相手の洗練されたタイ料理が25〜60バーツほどでイケル。はっきり言ってトレッキングをしないなら何の意味もない町なのではあるが、文庫を何冊も持って行って沈没するには中々のロケーションである。もしかしたらネパール・ポカラよりいいかも知れない。ただし、短期の旅行者にはちょっと勧めづらいかも。何でも揃っているのだが、街を歩いただけで面白い!と言う所ではないからなぁ・・・。景色もメチャクチャいいというわけでもないし・・・。

 パイですっかり脳髄を溶かした後、俺達はバンコクに戻り、ヤンゴン行き往復券の手配をした。ビーマンバングラデシュ航空で往復一人6100バーツである。またバングラ人の世話になるんだなぁ。バングラデシュ人のフライトアテンダントってどんな感じなのだろうかと今からちょっと楽しみである。だが、このビザなしでのタイ滞在(30日)をギリギリまで実行するためにチケットは10月12日付けで取ってあるのだ。この時点でまだ5日。後1週間をどうするか・・・。今から遠場には行けないし・・・。

 と、言うわけで俺達はバンコクから90分の頭記の宿に流れてきたのである。もう暇つぶしには最強の宿なのだ。人様が働いている時に海外で暇をつぶすなんて史上最強の贅沢なのであるが、これはかえって貧乏人ならでの贅沢なのかも知れない。金をしっかり稼ぐ普通の日本人には逆立ちしても真似できない遊び。子連れバカンス中の白人なんかを見るともう一日中何処も行かずに宿の中で子供を従業員に構わせたりして本読んでるからなぁ。こういう光景が見られるのも仕事を辞めてしまった余禄なのかも知れない。

 と、いうわけで間も無くミャンマー行きとなります。多分ネットの方はご無沙汰になるかと思いますので、しばしのお別れです。それでは次回の更新まで・・・。

2003年10月8日 タイ アユタヤー P.U.ハウスにて



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