恍惚コラム...

第204回―アジア篇 第4回

 あくまで世の中は平日。少なくとも、電話の向こうの日本ではそうである。つい先日、日本ではゴールデンウィークが過ぎたところであるようだが、無職・流浪の身の上にそんな事は関係ない。毎日毎日が糧食の為に過ぎて行く日々をもう3ヶ月近くも暮らしていると、こちらの日々の方をより「日常」に近づけて考えてしまうため、祝日の概念はおろか今日が何曜日かという事まで忘れかけてしまうから怖い。もうそろそろ金を出して行かねばならない観光スポットには飽きてきて、新しい街に移るたびに数件の商店と飯屋を見つけてはそこの行きつけになる、という今日この頃だ。これを通の間では「沈没」という言葉で呼ぶようだが、まだ俺は生憎自分が沈没者だという自覚を持つには至っていない。

 ところで、こういう暮らしをしていると見えてくるのが「ただ無為っぽく佇んでいる人たち」の存在だ。彼らは店を構えている事もあればそうでないこともある。中国の、流行っていない飯屋。チベットの、商品を持ってはいるのだがずっと座り込んでいる物売り。そしてここネパールではいい大人が昼日中から路上でおはじきや将棋(のようなもの)に興じている。もちろん何の商売なのか見当もつかない人が路上をうろうろしている状況はどこにでもある。俺なぞが文句をつける筋合いではないのは分かり切っているのだが、そうした人々を見ると他人事ながら心配になってしまう。「あんたらこれで商売やっていけてるのか?」と。特に最近気になるのがネパールの大麻の売人だ。見かけはただの通行人(一目で分かるヤツもいるが)なのだが、こちらが日本人と見るや否やいきなり日本語で「葉っぱ、ハシシ」「大麻ですかぁ〜」と話しかけてくる輩。知り合いの日本人などは何の前触れもなしに耳元で「ハウメニ〜、グラ〜ム?」と囁かれる始末。もちろん無視すると、向こうも非合法な物を扱っている手前すぐに諦めてしまう。「オマエら、これで喰ってるんならもう少し食い下がったらどうだよ」と少しは思うのだが、彼らはあくまでクールである。で、再び路上の人となる。何しろ、俺個人的に言えば、彼らが取引している様子を見た事がないのである。確かに1度売れればかなりの儲けになるのだろうからそれはそれで構わないのだろうが、もっとやさしい商売ならいくらでもあるじゃないか、と思わざるを得ないのだ。それからこちらの物売りもかなり割に合わない仕事をしているように見える。天秤棒にバナナだけを載せている物売りは夕方になってもバナナの数を減らせていないようだし、会う日ごとにそのバナナが熟れて行っているのが分かる。貸自転車屋のオバサンは路上に自転車を並べて日がな1日座り込んでいるのだがなかなか客が付かない。それでも彼らはとりあえずやせ細る事もなく暮らしているのが不思議でならないのである。

 また、中国には13億の人口がある。中国に居た頃にはいつも「こいつらが本気出して働いたら日本なんてすぐに転覆だろうな」と思わされていた。広大な土地と鉱物資源、そして豊富な食糧。これを盾に真面目に仕事をすれば経済大国まっしぐら、な筈なのである。市場経済化から10年余り、確かに日本を始めとする諸外国への中国製品の進出は目覚ましいものがあるが、いざ中国に入ってみると、やはり社会主義ってこうなのね、と納得させられる場面にしばしば出会ったものだ。まず、彼らにはサービスという概念がない。釣り銭などは平気で投げて寄越してくるし、昼間から店先で寝ているのは当然。客が来ても何食わぬ顔なのは常識だ。で、欲しい商品が置いていないのも当然。「没有(ない)」の一言を無表情で投げつけて、それっきり。日本のセンスを持ち込んだままで居ればすぐにブチギレ確実だろう。「いらっしゃいませ(歓迎光臨)」と言ってくれるのはよほど高級な店だけで、一般の商店や安宿では「売ってやる」「泊まらせてやる」という態度が当然なのだ。これは各人ごとに割り当てられたノルマをこなしていれば良かった昔の社会主義の名残であり、今も中国の人々の心に染み込んでしまっているようだ。で、日本人から見れば、語弊はあるが遊んでいるようにしか見えない人たちが今日も往来を行き来している。いつ見ても客のいない飯屋。いつもそこにいるけれど売れている様子の見えないたばこ屋。空の荷車をあっちへやったりこっちへやったりしている男達・・・。うらやましくもあり、そうでなくもあり。いつの日か、中国人が皆でわき目も振らず路上を往く日がやって来るだろうか。目的ではなく、手段としての路上。その時は本当に日本の立場は危うくなるだろう。余談ながら、今回の旅ではかなりの中国製品を「里帰り」させたのである。これを書いているパソコンのACアダプターも中国製なら、デジタルカメラの充電器も中国製。そしてザックの整理用にと100円ショップで買い込んだ沢山の小物たちもみな中国製だ。あげつらえばきりがない。周囲の中国人は我々に日本人という事で物珍しげな視線を浴びせてきたものだが、俺達がこんなに沢山の中国製品を持っていると知ったらどういう顔をするのだろうか。なかなか興味深いものである。

 さてしかしながら、これらの現象をそのまま貧しさ、と捉えるのは早計だろう。そういう人々だって、生きて行くためにはそれ相応の糧がいる。でも、どう見ても佇む人々は高給取りとは思えない。しかし、彼らは確実に喰っているのだ。またも中国の話になるが、彼らの食べる量は半端ではない。炒飯だからと気安く頼めば茶碗4杯分もの米が出て来るし、スープは本当に洗面器サイズだ。食堂などで地元の人が食べる様子を見ていても、その炒飯におかず2〜3品とさらにスープなどを食べる。おかずは勿論本格中華で、脂っこい上に量がこれまた多い。小さな子供だからといっても容赦なく大人サイズの飯を平らげているのを見ると、あんたら一人っ子政策とかの前に食べる量を減らせ、と突っ込みたくもなるものだ。そう、かほど左様にアジアの国々では食糧が安く手に入るという訳なのである。しかもそれが物凄く旨い。俺達夫婦の旅でも予算の多くを占めるのは移動費と宿泊費で、食費はといえば1人1日3食で600円程度。これでもまだ少し旅行者的感覚で、恐らく地元の人たちが自炊したり、食堂でシンプルなものを頼めばその額はもう200円前後、自分で農業を営んでいる人々ならば殆ど無料に近い感覚で糧を得る事が出来るのだろう。こう考えてみれば納得がいく。確かに彼らは工業における恩恵を受ける事は少ないかも知れないが、少なくとも我々日本人よりは豊かな食生活を営んでいるのは間違いない。地場で採れる新鮮な食材がすぐに市場で手に入るから冷蔵庫なども要らないし、作り立てをすぐに食べれば衛生面も克服できる。日本のようにあれはあそこでしか採れない、だからトラックで運んでくる、というようなシステムの中ではどうしてもコストが上がり、輸送に伴うエネルギーの消費もバカにならない。そうしたシステムの中では必然的に様々な職種が生まれ、結果として人々は現金を手にする事になるわけだが、結局食費がかかってしまうので手にした金額ほどの豊かさは実感できないのだ。日本人は豊かさの象徴として多くの電化製品を持ち、自家用車もかなりの確率で持っている。確かにそれらのアジア諸国での普及率は低いだろう。しかしなければないで彼らは近場の川やタライで洗濯をし、冷蔵庫にも差し迫った必要性は感じない。電子レンジなどとは無縁な食生活だし、テレビがない場合の時間の過ごし方についてもよく心得ている。つまり、我々が思うよりも彼らは豊かだし、貧富の基準からしてまったく違うのだと思う。

 使い古された表現をすれば、アジアにはアジアなりの価値観があるのだ、ということになろう。で、これまたこの手の文章の常套句を言えば、「どちらが本当の豊かさなのかという事は決められない」。こういう結論に落ち着くのだ。旅行者の視点からではまだまだ理解しきれない部分も多いし、この問題に結論を出せるのは現地の人と結婚した人くらいなのだろう。しかし、なるべく安い宿に行くよう努め、出来るだけ安い物を喰おうとすればするほど現地の価値観に近付いて行ける気がしているのだ。来月半ばごろには恐らくインド入りしているだろう俺。これから起きるより「濃い」事柄を見聞し、自分の糧にして行きたいと思う。まあこうしてパソコンに向かっているからこういう立派な事も書くけれど、実際に街に出ている時にはただただ驚きの連続なんだけどね・・・。乞食に袖を掴まれ、路上で鶏を絞める様子などを見ている最中にはこんなエラソーな事は言えないのだが、一人静かに考えてみると、やっぱし人間どこでも生きて行けるんだなぁと妙に納得させられてしまうのだ。

 さて、目下、ネパールのポカラで堕落中。ここは本当に落ち着ける所だ。首都カトマンドゥの喧騒を7時間のバスに揺られて離れてみれば、まだまだ自然が残る湖畔の町である。確かに十分観光地として開発されているのだが、4階建て以上の建物は見えないし、朝や夕立の後にはヒマラヤ山脈が望める。カトマンドゥと比べて標高も低いために暑く、まさにここからがアジア旅行の本番ですよ、と言われているかのようだ。名所もあるにはあるのだが、この土地のウリはやはりヒマラヤの眺望やトレッキング。俺のようなグータラな旅行者ははなからトレッキングなぞに行くはずもないので、いきおいボーッとするしかなくなるという寸法だ。それがとても心地いい。

 そのグータラをアシストする存在として見逃せないのが宿のグレードや雰囲気なのだが、ここポカラにはそんなアナーキストを魅了して止まない数々の宿がある。50ルピー(約80円、1ネパールルピー=約1.6円)の大部屋ドミトリーから数十ドルの中級(あえて高級とは書かない)ホテルまで色々選ぶ事が出来る。俺達はネパール入りして以来大概300ルピー(約480円)程度の宿を泊まり歩いてきたのだが、ここポカラでは200ルピーで驚くようないい部屋に泊まる事が出来るのだ。俺達が今泊まっている所は12畳程の大きな個室で、床は新しいカーペット張り。ダブルベッドはすこぶる清潔で、そこそこ高そうな毛布が敷かれてある。4灯の間接照明とベッドサイドには電気スタンド。勿論シーリングファン装備でお湯も良く出る。流石にバスタブはないのだが、この国の安宿にバスタブを求める方が酷だ。さすがツーリスト街の面目躍如といったところで、競争が激しい所ならではのお得感がここにはある。

 しかし、昨晩のことである。そのユニットバスの排水孔が詰まり出したのである。衛生面を考えてシャワーにはいつもビーチサンダルを履いて行くのだが、片足を上げている間にそのビーサンが流れ出す始末。んでもってそこはユニットバスだから水浸しである限り用を足す事も出来ない訳で・・・。俺は前職の経験を生かし、ペットボトルの底を切り抜いて即席「スッポン」を作って挑むも駄目。溜まりかねて宿のスタッフを呼び出す事にしたのである。勿論電話なぞは付いていないから直接呼びに行ったと思いねえ。

 果たしてネパール人スタッフがやって来た。名前は知らぬがストリート系(?)のファッションで決めたイカにもな感じの若者である。で、俺達がこの窮状を訴えると、ヤツはこう宣ったのである。「あー、今ハッパタイムね。後で来るからもう少し待ってて」これである。英語と日本語のチャンポンで。ハッパというのは言わずと知れた大麻の事だ。まあこの辺りでは路上で平然と売られているから別段驚きはしなかったのだが、客をさしおいて大麻に溺れる姿勢に怒り狂ったのが俺の妻だ。西安偽札事件以来の狂乱ぶりであった。「少し待ってて」の言葉に従ってしばらくは待ってみたのだが、それは当然の如く来ない。20分ほど経った時であろうか。妻が憤怒の表情で部屋を飛び出してその男を捕まえたのは・・・。俺は部屋に残っていたので、その時の状況をお伝えできないのが残念だ。

 しかし、スッポンと便所ブラシを持って再び現れたその男のやる気の無さといったらなかったのである。水浸しの浴室に入らないように、片手だけでソロソロとスッポンして見せる男。見るからに排水孔自体は汚れていないのに便所ブラシでゴシゴシこすって見せる。「あーこんなんじゃダメだー」と思ったのだが、一応こちらも客なので見ている事にする。5分が経ち、10分も経った頃だろうか。スッポン効果かどうかは知らないが、ひとまず水位は下がり出した。しかし妻はまだまだ納得していない。遂には部屋代を安くしろと言い出し、警察まで呼ぶと言い出したのだ。「ああ呼んでみろよ、明日?いや、今連れてくればぁ?」と男もケンカ腰になってくる。俺は、誰のものとも知らぬ髪の毛やら陰毛やらが浮かぶ浴室の床を見ながら困り果てていた。確かにここは安い。しかし安さと快適さはどこまで両立出来るのだろうか・・・。そしてハッパタイムを中断させられたこの男の心境は如何なるものなのだろうか・・・。

 どうにかこうにか使えないその男を追い出して、再び浴室の床を眺める俺達夫婦。「1週間の約束だけど、明日宿移ろうよ」と妻。俺もそのつもりでいたのだが、今度は違うスタッフが現れて「もう一度見せてもらえますか」と言う。あの不真面目きわまりない男と違い、今度は素朴そうな好青年だ。彼ははなからバケツと雑巾持参で、なかなかのやる気を感じさせた。彼は当然のごとくビーサンを脱いで浴室に入り、力いっぱいスッポンをしてくれた。こうなると妻も上機嫌である。「この人に何かあげられる物はないかしら」と、いそいそ自分のザックを探り出す。結局彼は汚れた床の掃除までしてくれて、妻は旅行用の折り畳み式スリッパをチップ代わりに差し出した。

 しかし、である。面倒はこれでは終わらなかった。「あーよかったね」と今度は洗面台に水を流してみたのだが、そうするとなぜか床の排水孔から水が溢れてきたのである。「・・・。」気まずい雰囲気が俺達夫婦を包み、どちらの心にも明朝の宿移動が決意されたのであった。

 そして今朝。一縷の望みとともに再びシャワーを流してみたのだが、案の定床は夕べの様子を再現してしまった。どうやら宿の経営者らしい中年の男がちょうどそばに居たので伝えると、今度詰まった時は俺に言え、と言う。それから朝飯に行き、ついでに次の宿の下見及び予約を済ませてきたことは言うまでも無い。しかしそれでも今日はこの宿にいなければならないから、俺達は強硬手段に出たのである。荷物を全部纏め、部屋を換えろと宣言したのだ。これは効いた。「今日は満室だから換える事は出来ないが、出来るだけのことはする」と宣ったまた別のスタッフは、今度は配管中途の清掃孔に手を突っ込んでゴミをさらって来たのである。すると効果てきめん。今までのスッポン攻撃にも動じなかった排水孔が開通し出したのである。最初からこうしてくれればこの宿で延泊したのに・・・。次の宿、250ルピーだぜ・・・。あのハッパ野郎と排水孔以外は最高といえる宿だけに本当に残念なのである。

 ところで、そのハッパ野郎には別の時にも面倒をかけられたのである。数日前のこと、奴は100円玉を2枚持って俺達の部屋に現れた。「これ、ルピーに換えてくんない?100円玉あれば日本に帰ったら電話とかで使えて便利でしょ」なんて。まあ俺も久しぶりに見た日本のコインに嬉しくなって換えてやったのだが、これがいけなかった。200円は、まあ大体130ルピーである。俺はその時細かい金がなかったので150ルピーを渡したのだが、そのおつり・20ルピーを奴は2日に亘る催促の末、やっと渡したのだった。本人には見かける度に言い、別の奴に言えば「奴は病気で医者に行ってるからしばらく待ってくれ」と言う。その時点でかなりのうさんくささだったのだが、排水孔の一件でそのうさんくささははっきりと証明されたのだった。奴はまた、日本人の女から来た手紙を見せてきたこともあった。仙台からやってきた英文の手紙の内容をしっかり見る事は出来なかったのだが、奴はこんな事を言っていた。「ワタシトーキョーイッタコトアリマス。ニホンノオンナノコトイツモハッパスイマス。ニホンノハッパタカイネ。1グラム10ドル。デモトテモグッドネ・・・」そう言いながら奴はその日本女性(19歳らしい)の背は俺の腋の下くらいまでしかないんだという事を身振りで示していた。嗚呼。一緒にハッパをいつも喫ってるだって?しかも日本国内で。それはとってもイリーガルな事だ、と教えてやったのだが、本人はその点も重々ご承知の様子。まったくそういう輩が居るから日本人はこういう所に来ると必ずハッパを喫うもんだと思われてしまうのではないか。実際昨夏にはここポカラで逮捕された日本人も居たらしいし・・・。大概にして欲しいものである。

 さて、そんなネパール暮らしもいよいよ後半に差しかかった。ここネパールではほとんどツーリスト街やその周辺に居る事が多かったので不便は全く感じず、まさに旅の中休みといった趣だ。冒頭に書いた通りの暮らしも悪くないが、そろそろカトマンドゥに戻り、インドのビザを取ろうかと思っている今日この頃なのである。

2003年5月15日 ネパール カスキ郡 ポカラ市 (宿の名はあえて秘す)にて
 



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