そういえばこのコーナーって、毎週一回日曜日更新だって明言してないんだよね。いや、だからって更新をサボろうとかそんなんじゃなくてさ。何か中途半端な感じなのよ。
さてさて。「本気で写真部を語る掲示板」の方も議論がアツくなってきましたねえ。嬉しいかぎりです。掲示板が出来たころは何だか2週間くらい放置されてたしなあ。せっかく間借りしてるサーバーの方に申し訳ないぢゃないか(>へ<)。でも最近はやっと掲示板らしくなってきて何より何より。
写真部の悩みってやっぱり全国共通なようで、ああ何だかもう俺が高校生だった6年前と全然変わってないぢゃないかオリャァァァァァー!ネガの管理やそれに付随するスポットの問題。そしてパネル貼りやスポッティングの問題、そして眠いプリントを見逃してしまう部員や部長、そして顧問の態度だ。
本当はしっかり手順通りやっていれば誰にでも出来ることを出来なくさせている原因は一体何なんだろうか?いくらきちんとしたプリントを作るのが大変なことだと言っても、そんなに、理科の授業で実験が出来れば出来るような程度のことが何故出来ないのか?
あと10年、20年と経って、銀塩フィルムがCCDと完膚無きまでに入れ替わったらこんな問題はなくなるだろうって?いやいやそんな事はないと私は考える。「この画像カラーバランスがなってないよー」とか「このガンマちょっと何とかしたほうがいいんじゃない?」なんて会話が未来の「写真展」でも繰り広げられるに違いないのだ。今の銀塩写真より確実に簡単に出来るようになっているはず、にもかかわらず。
何故って、現在の写真にも確実なマニュアルが存在し、知識を得るソースはふんだんにあるにもかかわらず(ウチのサイトとかね(^◇^))きちんと作品として最低限の手が加えられていない写真はいくらでもあるではないか。この点において(=材料や技術が確実に提供されている点)は現在も、そして未来も変わらないと私は考える。
それでも最低限の技術をクリアしていない作品はいくらでも生み出され続けるのだ。つまり、どんなに環境や機材がしっかりしていたとしても、それが作品のクオリティーとはイコールにならないと言うこと。
では何故、あんな脱力感に満ちた作品が写真展を席捲し続けているのだろうか。それはやはり写真部員の「撮らされている」という意識の賜物であろう。
この件に関しての意見は「本気で写真部を語る掲示板」の方で募集していきたい。その上で、来週は私の私見を述べることにしよう。