図らずも、平安な正月を満喫する羽目に陥っている2003年の俺なのである。周知の通り、掃除屋という稼業は人が遊んでいる時に仕事をするという宿命があるものだからこの正月の2、3日は仕事に出て、本来ならば昨日の4日も出社している筈だったのだが、何と27歳の半生にして初の「ぎっくり腰」に見舞われてしまい、3日の昼から今日(5日)の今までろくに動けない状態になってしまっているのであった。
ドイツでは「魔女の一撃 Hexenschβ」と呼ばれるこの病態を今までの俺は遠くから嗤っていられる立場でいたものだが、いざその魔女が目の前で杖を振りかざす事態に陥って初めて事の重大さに気づいたのである。今まで何の気なしに行っていた動作の一つ一つが痛いのだ。昨晩あたりからコルセットの力を借りてとりあえず立ち上がれるようにはなってきたのだが、何しろそこから屈む事が出来ない。腰が使えないので足でもって低い姿勢を作らなければならないから余計な筋肉を使い、それで疲れるから立ち上がろうとしない悪循環。今は低いテーブルの上にパワーブックを置いて正座をしながらこの原稿を打っているのだが、サイトのアップロードに使うG4Cubeは机の上。きちんとイスに座ってこれからの作業を続けられるかどうか自分でも怪しいと思っているのである。この際だから環境をすべてパワーブックに移行しようかと思う程なのである。
よく、この魔女の攻撃は重いものを持った時に受けやすいという話を皆様も聞かれることだろう。しかし俺はさほどでもない作業でやすやすとこの魔女を召喚してしまったのである。時は平成15年1月3日。埼玉県某所のスーパーマーケットの3連休最後の日にこの事件は起こったのである。午前9時過ぎ。箱根駅伝のラジオ中継を聞きながら現場に着き、作業個所の打ち合わせをして、これから始まる長い一日に思いを致しながら俺は脚立に登って蛍光灯器具の清掃を始めたのである。110Wの蛍光管を皆様は外された事があるだろうか。長さ約1メートル20センチの蛍光管を器具から外して拭き上げる作業は案外難しい。脚立をうまい位置に立てないと思うように作業が出来なくなってしまうのだ。俺は長年のキャリア?で楽勝感を漂わせながらその作業に臨んでいたのである。しかし、そこでである。1年先輩のS氏が俺に声を掛けてきたのだった。「高圧洗浄機の使い方わかんないから教えて〜」と。俺は蛍光灯拭きよりそちらの方が楽だとばかりに勢い込んでその機械の乗っている車の方へ向かったのであった。
高圧洗浄機とは他でもない、高圧水を噴射して物の表面の汚れを吹き飛ばそうというものである。外壁やテントの清掃、また石材の清掃や管渠(要するにパイプ関係ですな)に良く使われる機械なのだ。ちなみにウチの会社の物はドイツ製で、通販のスチームクリーナーでもお馴染みのあの会社が作っているのだが、サイズは超弩級。本体重量70キロ、ホンダ製4サイクルエンジン搭載で価格は正価80万円。俺はいつものようにこのマシンを車から降ろし、各種ホースを接続して屋根の上に上ったS氏の指示を待ったのである。やがてS氏はホースの一端を下ろしてきたので、俺はそれをマシンから繋がるホースに接続してエンジンを始動しようとしたのだが、その時である。俺が魔女と邂逅したのは・・・。そのホンダエンジンにはセルモーターが搭載されておらず、昔ながらの「引っ張り掛け」式なのだが、その紐を力いっぱい引いた時にその惨事は起きたのである。燃料バルブを開き、チョークを閉めてさあ始動!といったその瞬間に俺は大地と一体になった。今までに経験した事のない痛みが俺の腰を襲い、そこから全く動く事が出来なくなってしまったのだ。しかし、屋根の上のS氏はそんな惨状に気づいてはいない。俺もまだそんなに重症だとは思っていなかったから周りに悟られまいともう一度紐を引っ張ろうと試みたのだが、腕のみの僅かな力ではそれも敵わない。俺はたまらず、たまたま駐車場にいた専務を呼んでエンジンを掛けてもらったのだった。
それからもしばらく地面に横たわる俺を見て、そのスーパーの社長夫人が段ボール箱を持ってきてくれたりしたのだが、当社専務は作業車たるハイエースワゴンの後部座席に俺を寝かせつける道を選んだ。NASAに捕まった宇宙人の様な姿で立たされる俺。もちろんその瞬間瞬間が痛みに満ちていた事は言うまでもない。そして俺は車中の人となったのだった。
ラジオからはまだ箱根駅伝の中継が聞こえている。雪とも雨とも言えないモノが空から落ちてくるのが見えた。専務は「車暖めておくからね〜」と言ってエンジンを掛けっぱなしにしてくれては居たのだが、この天候で、しかも居住性なぞ考えられていない4ナンバーのハイエースの後席がそう簡単に暖まるはずもなく、俺はしばらくそこで寒さに耐えていた。しかし、しばらくして俺は気づいたのである。「暖房が弱になっとる・・・」暖めておく、という言葉とは裏腹にハイエースの空調ファンは「LO」の位置にセットされていたのだ。これではいかんと俺は前席に向かって体を動かし・・・たのだが30センチほどで断念。何度か試みたのだが、痛み>寒さの定理を簡単には崩せずに俺は固まったままだった。だがそこで俺は掃除屋ならではの必殺アイテムを荷台に発見したのである。エクステンションポール。これはアルミ製の軽量な竿で、本来は高所のガラス清掃に用いるものなのだが、これを使えば後席で寝たままエアコンを操作できるという寸法だ。俺は喜び勇んでゆっくりと体を曲げ、ポールを手に取った。それからの操作は至極楽勝で、無事に暖房を「強」に出来たのであるが・・・。やはり寒さには大差なく、そのまま2時間以上も放置されたままだったのである。途中で何度か様子を見に来てくれる人もあったのだが、何しろ現場では仕事優先、親切な言葉なぞ期待するべくもなかったのだ。
やがて昼時になり、殺気立って仕事をしていた同僚にも余裕が出てくると俺はそのまま家へと送還されることになった。何しろ2時間以上の放置プレイ明けである。人情の温かさが骨身に沁みた。しかし、そこから始まる更なる恐怖体験が近づいてきている事を俺も含め、同乗者2人も気づいてはいなかったのである。
雪の中を車でしばらく走るとわが家が入っている雑居ビルにたどり着いた。が、俺の部屋は3階・しかもエレベーター無し。そこからがS氏にとっても俺にとっても修羅場だったのだ。最初は肩を貸すだけで済むと思っていたS氏も、俺の窮状を見かねて背負ってくれる事になった。路肩に停めたハイエースから若者(?)が背負われて出てくるという光景。それだけでも気恥ずかしいというのに俺は腰にズンズンと衝撃を受けている。痛いと言いたくても、一生懸命背負ってくれているS氏が感じている重みを考えると言葉も出せず、ふらつくS氏の足元に体を委ねながらやっとの思いで3階にたどり着いたのだ。ゆっくりと背中から下ろされた俺は、映画「マトリックス」の様な動きでポケットから鍵を取り出して、壁伝いにスローモーションで移動しだした。その動きを評して「撃たれた人みたいだ」と言った同僚Kの言葉が何故か忘れられない。
で、以来2日余り、医者に行く時以外はこうして蟄居して正月らしい正月を送っている俺なのであった。正月に風邪で寝込む事はたまにあったのだが、ここまで身動きのとれない正月は俺史上初めてなのである。この原稿も寝たり起きたりしながら2時間かかって書いたのである。俺個人的には非常に先が思いやられるこの平成15年なのであるが、読者の皆様、お身体(特に腰)にはお気をつけになり、良い1年をお過ごしになりますように。
本年も当コラム、並びに幣サイトをご愛顧下さいますよう呉々も宜しくお願い申し上げて新年のご挨拶とさせて頂きます。
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