第19回

 
 いやはや、今日もやって参りました、恍惚コラム。今週はココで、今話題の「アートセンター」内部の写真が寄せられているので御紹介したい。撮影者は勿論(?)いつものO倉Y一郎氏。毎度。しかしまあよくこんなネガ見つけだしてきましたなあ。俺なんかこの頃の写真なんて全部実家の押し入れに封印してあるからもう何が何やら・・・。これは「中暗室」の入り口の部分にある仕上げ室の写真ですね。この白衣、2度くらいしか洗わなかったね。四年間で。


 それでは先週の続きを始めてみようかしら。

 それは何の変哲もない所沢の昼下がりを襲った惨事だった。全ての主婦がみのもんたのトークにうつつを抜かしていた頃、俺はアーセンのロビーで、あるスペシャルな弁当と対峙していた。その弁当とは、彼女(現・妻)が初めて(?)俺の為にと作って来てくれた弁当だったのである。半月形のお重に入ったそれは色とりどりのオカズと炊き込みご飯が絶妙なハーモニーを奏でる逸品だったのだが、俺はそれをすぐに食べるのが惜しくて周りじゅうの知り合い達に見せびらかしていたのである。今思うと実に情けない話だ。しかし当時の俺はまだまだピュアだったのだな。もう弁当なんて何年も見てないな・・・でも弁当を持っていくような仕事をしていないから致し方ないか。
 で、である。ひとしきりその弁当を見せびらかし終わって、いよいよ俺が箸をつけようとした時の事、俺の視界にアーセンに入ってこようとするO倉Y一郎の姿が入ったのである。俺は箸をつけない生のままの弁当を彼に見せたくなり、箸をうちやってアーセンのガラス戸へとダッシュを開始したのである。いやー、もう何かに取り憑かれたかのように走った走った。
 その1/125秒後、俺の右腕はガラス戸を貫通していたのである。勢い余ってドアノブを外して手を突いてしまったのだな。今風に言えば誤爆。そして戸の向こうには放心状態のO倉Y一郎がいた・・・。その瞬間にガラスは割れ、俺の鮮血が辺りを血の海に変えていったのだ。ガラスの破片は俺の顔面を直撃し、かなりの大流血を見せた。貫通した手首も切れ、手のひらにもガラス片が刺さった。その時着ていたタートルネックのセーターの首は血で固まり、全身を震えが襲った。人は出血がひどいと震えるものだ、とその時初めて知った。何というか、寒くもないのに寒けのようなものを感じるのである。
 これは後日談になるのだが、その手のひらのガラス、深さ2〜3ミリの所まで入っていたので俺はそれがガラス片だと気付くまでに2ヶ月ほどかかった。「なんかこの皮、固いよね〜」などと余裕をかましていたのだが、光の加減によってその部分が光る事に気付き、ほじくり出したらガラスだったという次第。
 そして俺は医務室に運ばれて行った。O倉Y一郎ともう一人、N貝という男が一緒にいたと記憶している。そう、それから本宮氏なる、アーセンの首領もそこにいた。O倉Y一郎曰く、「いいけどお前、震えてるぞ」それに対して本宮氏、「あー、ケガすると震えるんだよ。大丈夫大丈夫」と。俺はこの時ほど本宮氏をいい人だと思ったことはなかった。そこで俺は止血の処置を受けたのだが、どうもここでは手に負えないということになったらしく、救急車が呼ばれた。その弁当を作った彼女を付添人にして、俺は所沢第一病院に搬送されたのであった・・・。
 救急車に乗ったことのある方ならお分かりだと思うが、あれは実に気分の悪いものだ。寝かされたまま視界を遮られて乗る自動車。でももっと重傷だったらそんな事を考えているヒマもなかったか・・・。
 そんなわけで、俺は顔面を5針、手首を4針程度縫われてアートセンターに生還した。その日のうちに。割られたガラス戸には段ボール。そして俺を中心に出来た人だかり。そしてアーセンの受付に行った俺を待っていたのは「始末書」だった・・・。でも結局事故ということで無罪放免になったのだが。あー恥ずかし。

 さーて、来週は何を書きましょうかねえ。

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