第186回

 

CEOのカメラ思い出話
(15)「俺のじゃないカメラ達・パート6」の巻

 コンタックスT2について熱く語る・・・。こんなに書くんなら章として独立させときゃ良かった・・・。

・コンタックスT2
 高級コンパクトカメラブーム、というのがあった。90年代初頭のことだったろうか。首記のT2をはじめ、コニカヘキサー、フジティアラ、ニコン35Tiなどのレンズにこだわった、5〜10万円程度のコンパクトカメラ群が一時期市場を賑わせたのをご記憶の諸兄も多い事だろう。カメラ雑誌もこぞって特集を組んでこうしたカメラたちを絶賛し、その画質にはなるほどと唸らせられるものがあったのだが、こうした高級コンパクトブームの草分けは他ならぬ1990年発売のT2、このカメラだったのである。

 そんなT2だが、「2」を語るからにはその前段として「1」があるわけで、これは1989年に発売されている。沈胴(レンズが本体の中に沈み込んで格納される方式だ)やフィルム給送の機構こそ手動式ではあったが、レンズに関しては「2」とほぼ同様のゾナー38ミリT*が装着されたゴージャスなカメラであった。今でもマニアが多く珍重されているものである。それ以降「2」「3」が発売されているわけだが、初代ほどのカリスマ性は無いような気がする・・・。ちなみに「T」とは「Tiny」、小さいコンタックスという意味だと言われている。

 さて、そんなT2に初めて触れたのは高校1年生だか2年生の時だった。当時自宅には先述のα8700iがあり、家族一同特に不満は感じていなかったのであるが、何故か突然父がT2を欲しいと言い出したのである。カメラ好きの俺としては反対する理由は何処にもなかったから是非にと推したのだけれど、吝嗇家の父が何故に突然そんな事を言い出すのか、真意が掴めずに暫く悶々としたのを覚えている。まあもっとも当時家にあったニコンピカイチAD2がほとんど死に体であったから、その後継にというつもりだったのだろう。結局その後の父の計画は順調に進み、数週間の後に我が家にT2様がやって来たのであるが、初めの頃はおいそれとは触れなかった事を覚えている。父がしまい込んでいたせいもあったのだが、スエード調の、高級時計でも入れるような化粧箱(裏地は赤のシルク調!)に入ったチタンボディーはなかなか触りがたく、話題になった人工サファイヤ製のシャッターボタンにはなかなか触る事が出来ないのが実情であった。

 しかしたまに持ち出したT2の画質はまさに目を疑うほどのものがあった。38ミリという中途半端な焦点距離を半ばバカにしながら使い出したものだったのだが、ネガを見てみて驚いた。―何となくピントが甘い。コンパクトカメラの測距性能はこんなものなのか、或いはゾナー38ミリT*がイマイチなのか。判然としない気分のままネガを引き伸ばし機に装填し、イーゼルに写った画像をフォーカススコープで見てみると―なおエッジが甘い。でもってここまで来たから仕方がないので印画紙に露光して、現像・停止・定着―すると、である。今までに見た事の無いようなニュアンスのある画像が印画紙の上に広がっていたのである。カリカリしないピント。豊かなボケ味。画像のエッジの閾値がより広いと感じられる懐の深いレンズ・・・。ネガを見た印象とは裏腹に、そこには未体験の画像が定着されていたのである。それ以来、これは一大事とばかりに俺はあらゆるものをT2で撮影し出す事になったのだった。T2付属のケースは腰ベルトに留められるようになっていたので、俺は四六時中T2を腰に付けて持ち歩いた。友達と飲めば撮り、大学への自転車通学の途中に撮り、およそコンパクトカメラの許容範囲を超える本数を通したと思う。そのそれぞれのカットがが1眼レフを越えるクオリティーで記録されたのは言うまでもない。高校3年の頃にある写真を戯れに全紙に伸ばしてみた事があったのだが、全く破綻はなく、下手な1眼レフ用の交換レンズ(安くて暗いズームレンズの類)よりも高画質だったのには改めて驚かされたものだ。38ミリという微妙な焦点距離も、使い込むほどにいい塩梅というか、広角でもなければ標準でもない、すなわち1本だけ選ぶならコレしかないという焦点距離だという事が分かってきて全く不満を感じなくなった。

 そんなT2との蜜月時代も大学4年の頃まで続いたのであったが、これも何故か江古田の某質屋に流れて行ってしまったのであった。質には2度ほど入れて、1度は取り返したのだが2度目は・・・。今頃何処に流れている事だろう。しかしそれでも妻は気付かないし実家の親も何も言ってこないのだから淋しい話ではないか・・・。俺にもう少し甲斐性があれば今でも持っていたはずなのに・・・。

 今、市場にはT3が出回っている。T2と同じ価格の12万円。ボディーの幅が狭まっているあたりが初代Tを彷彿とさせるのだが、電動による沈胴式なところはT2を踏襲している。なんだか液晶が大きくなって「らしくない」のであるが、T2の弔い合戦、一度は手にして、そして手放さずにおきたいカメラだと言えよう。

・思い出しSPEC

(思い出すまま書いております。実際と異なる場合もありますので鵜呑みにしないようご注意下さい)
メーカー      京セラ
形式        35ミリレンズシャッター式AEカメラ
装着していたレンズ 38mm/F2.8 4群5枚 カールツァイスT*ゾナー 沈胴式
シャッター     1/500〜1秒(プログラムAE時)
          1秒以上はバルブ(0〜59までカウントされ、以後はその繰り返し。
           最長時間は不明)
露出モード     Aのみ
電源        CR123Aリチウム電池
その他       ボディはチタン合金、ファインダーにサファイアガラス、
           絞りはビトウィン式で7枚羽根・・・バブルの申し子というなかれ。
           ファインダーは酷使されたのにも拘わらず全く傷つかなくて
           流石だと思わされたものだ。しかし気密性が悪いのか、
           ホコリが入りまくって困ったなぁ・・・。
           それからボディーはチタンで結構だったのだけれど、
           ボディー底部のネジが錆びたのには興ざめだった。
           ま、安く交換してもらったからいいけどな・・・。
           それから露出補正。もともとアンダー傾向があってリバーサル向きな
           カメラだったのだけど、これに救われた場面が多々ある。
          (マニュアルでのISO感度設定が出来なかったので) 

(来週につづく)



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