第184回

 

CEOのカメラ思い出話
(13)「俺のじゃないカメラ達・パート4」の巻

 偶然ながら中判カメラ3連発!!カメラ選びの参考に!は絶対なりません!

・マミヤRB67
 マミヤのカメラについて書くのはこれで3台目になるのだが、とにかくこのマミヤ製品。一度触れたら忘れられない「濃さ」を持っているメーカーだ。35ミリ判でなく中判を専門としているメーカーだからだろうか、その一つ一つに独特な機構が見られていつも唸らされてしまうのだ。勿論この会社も1980年代までは35ミリ判の一眼レフ並びにコンパクトカメラを作っていたのではあるが、他の勢力に押されて中判専業になったのは有名な話だ。俺自身もマミヤの35ミリは触った事はない。中古市場でも希少なものの割に値段が安いところを見ると・・・という気はしてしまうのだが、素性はもの凄くいい物を持っていたと信じられる。ええ、くれるのならば喜んで貰う筈。

 さて、今回はRB67である。この「RB」は1970年に初代が出て以来、同「S」そして「SD」と3代に亘って生産され、「SD」は未だ現役の6×7判カメラである。まるで機関車を思わせる黒々とした大きなボディー。そしてどこまで伸びるのだろうかと思わせる蛇腹。極めつけは「RB」の名前の由来ともなったリボルビング(回転)式のフィルムバック。スタジオ撮影用として、写真館や商業スタジオには欠かせない名機なのだ。そう、まさに俺はこのカメラを、大学で知り合った写真館の倅に借りて使った事があるのだった。半年くらいは借りっぱなしだったように記憶している。

 まさにそのカメラは初代RBだったと思うのだが、このカメラの存在感にはまさに貫禄、それ以外の言葉を当てはめられるはずもなく・・・いや、余りに婉曲的な言い回しに過ぎるか・・・。ともかくデカくて重い。それだけは断言出来るカメラだった。俺はどちらか
といえば物撮り(静物撮影)は得意ではなかったのでこれを人物撮影に使う事が多かったのだけれど、これを手持ちで使うのははっきりいって無謀だった。それでも当時中判の画質に心酔していた俺は結構な本数を手持ちで撮ったものだが、2キロはゆうに越えるボディーを平気で持ち歩いていたのだから自分でも呆れる。しかしこれが借り物でなかったら今でも恐らく手放せなかっただろう。そう思えるくらい(デカさと重さを除けば)機械としての魅力を持つカメラだった。

 何よりもレボルビング機能は特筆すべき機構だと思った。これは即ち、平たく言えば「カメラの後部のフィルムバックだけが回転するので同じように構えたまま縦位置も横位置も撮れる」機能なのである。同様の機能を備えたカメラは他にも幾つか存在するのだが、このクラスの1眼レフカメラに装備されたのはこれが初めてだったように記憶している。真上から覗くファインダー(ウェストレベルファインダー)を持つカメラの場合、縦位置の写真を撮るためにはプリズムファインダーを装着するか、上下左右逆像のファインダーを無理矢理真横から覗くしかなかったのであるが、この機構によれば手持ちでも、また三脚に載せたままでも容易に縦横のチェンジが可能なわけで、特にポートレートで縦位置を多用する俺にしてみればまさにうってつけの機構だったのである。財布の紐をゆるめるのには十分過ぎる理由があったのだが、肝心の財布の中身が足りなかった・・・。しかし初代「RB」には2重撮り(フィルムを巻き上げる前に次の露光が行われてしまう状態)防止機構がなかったのは痛かった。やはりレボルビング機構を持たせたままボディーとフィルムバックを連動させるのは難しかったようだ。(ちなみに同「S」からは防止機構つきとなった)

 まあ何にしても、とても普通に生きていては買う決心が付かなそうなカメラを少しの間だけでも使わせてもらう事が出来たという事に感謝したい。・・・でもやっぱり、自分のカメラバッグに入っているカメラではないかも知れねいなぁ・・・。中古のSDは18万程度するしなぁ・・・。でも金が余ってたら速攻買いに行きます。これ本当。

・ペンタックス645
 大学3年の頃だったか、学校が突然貸し出しを始めたカメラ。確か4×5は私用でも借り出せたのだけれど、中判カメラで、しかもモータードライブ付きのカメラがタダで使い放題というのは史上初(?)。もの凄く魅力的な事だった。確か80ミリレンズと、ちょっと長めと短めのレンズ3本セットだったかと思うのだが、みんなして先を争うように使った事を覚えている。

 もともとペンタックス好きではなかった俺。しかもフィルムバック交換式でもなくファインダーも交換不能とあってはとても物欲の対象にはならなかったのだが、タダで使えるとあっては話は別。あの微妙な(昔のデジタル時計とか電卓を思わせる)操作部や遅いモードラもタダならば全然ノープロブレム。結構な回数使わせて戴いたものだ。

 しかしこの頃の俺はマルチフォーマットもいいところで、6×4.5、6×6、6×7、4×5、そして35ミリと5種類のフィルムサイズを使っていたからネガの整理がもう大変な状態に陥っていたのだ。さらにその頃は一つのシリーズとして卒業制作にも取りかかっていたから、「これは同じサイズでとり続けないと収拾が付かなくなる」というわけで、ペンタ645は本当に味見程度しか使わなかったものだ。

 確か「スーパーフィールドカメラ」とかいう触れ込みで売られていただけあって機動性は中判カメラ随一。望遠レンズなんかも揃ったいいシステムだったのだけれど、やっぱりあれこれ交換して楽しめないとカメラマニアの心は掴めない。まぁ若き日の想い出といったところだ・・・。

・コンタックス645
 レンズ抜きの本体基本セットが42万8千円という、超弩級中判AF1眼レフカメラ。前職でもう煮詰まって煮詰まって、そろそろ辞めるかと思っていた頃に発表され、「師匠」が早速ご購入遊ばされたカメラだ。そんなアンニュイな気分の時にこんなクソ高いカメラを目の前に置かれて丁重に扱うのだからこれほどストレスフルな出来事はなかった。持ち方が悪いだの手脂を付けるなと始終責められたのを覚えている。

 だからメカとしてどうとかいう感慨は全くないのである。カメラ自体は非常に画期的なもので、あのツァイスレンズをAF(オートフォーカス)で使うという贅沢が妬ましくさえあったのだが、またしても坊主憎けりゃ袈裟まで・・・という気分になってしまう1台なのだ。

 それよりも何よりも、「ペンタックス645」と「コンタックス645」って1文字しか違わないんだよね・・・。知らない人が間違って買ってしまわないか心配ですな。

(来週につづく)



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