恍惚コラム...

第180回

 

CEOのカメラ思い出話
(9)「ローライフレックス」の巻


 俺の半生の中で、ローライと名の付くカメラは2度、握った事がある。初めはローライコードというローライフレックスの廉価版のカメラで、これは大学に入って間もない頃に買ったように記憶している。確か、3万5千円くらい。そして次には、前回書いたハッセルブラッドの身代わりにやってきたローライフレックス2.8C。これは今でもカメラバッグの中に入っていて、時折取り出しては壊れないように動かしてやっている。今でも中古市場では6万円台中盤の値段で買えるカメラだ。


 この連載にしては珍しく、カメラの名前が曖昧だと言う事に気付いた諸兄は鋭い。カメラマニアを自任する俺なのではあるが、ローライの2眼レフには多数のバリエーションがあり、しかもその見た目での区別が難しいので流石の俺も閉口しているのだ。ただ間違いなく言える事は、いずれも高価な「カールツァイス」レンズを装備しているタイプではなく、いくらか廉価な「シュナイダー」製レンズを装着しているものだという事である。そして、これまた高価な「露出計内蔵タイプ」ではなく、廉価な「露出計無し」タイプだという事も間違いなく言える。しかし、このローライコードは何型だとか、フレックスの方は何年式だとか、そうした事には何故か深入りしようと思えないのである。でもまあスッキリしないので憶測で書いておくと、様々な資料から見て「コード」はV(5)型、「フレックス」は2.8Cだろうと思う。

 2眼レフと言って、皆様はどのような情景を思い浮かべるだろうか。恐らく至極クラシカルな、セピア色の世界を思い浮かべるに違いない。上下にレンズが並ぶ独特のスタイル。そしてかがみ込んで上から覗くウェストレベルファインダー。左右逆像の独特な世界・・・。実際、実用面では1眼レフカメラに敵わなかったカメラなので、多くのメーカーは早々に販売を中止してしまったものなのである。そんな中、独・ローライ社は今でもローライフレックス2.8GX/FXという2眼レフを出していることは出しているようだが、大量生産で大衆のために、と言うのではなくあくまでマニアのノスタルジーの為に出しているのである。価格も41万円と、プロも素人もちょっと手を出せない価格となってしまっている。かつては戦後の日本でコピー商品が大量に出回り、一時代を築いたジャンルなのであるが、やはり一眼レフの利便性には負けてしまったものなのだ。以前に書いたマミヤというメーカーも国産で唯一、90年代までC330という名機を作っていて、いずれはこちらも欲しいと思っている間に無くなってしまったのは残念な事だ。余談になるが、C330は世界唯一のレンズ交換式の2眼レフカメラだったのだ。これは凄い。ローライにも望遠用、広角用のカメラは存在したのだが、それはそれ専用。1台のボディーでレンズを替えられる2眼レフというのはとても貴重なものなのである。

 さて、そんなローライ2眼レフを、俺はもっぱら実用的に使い倒した。2眼レフと言えば普通中判のフォーマット・6×6サイズの画面が撮れるのであるが、この利点のために俺はローライを選んだのである。単に金がなかったという話もあるが、その辺は脇に措いて言うのである。ぎっしり身が詰まっている同スペックの1眼レフはもう2キロ近い重量になるのだが、こちらは恐らく1キロ弱。その取り回しの良さとルックスの良さは人物写真に最適だったのである。その軽さで6×6判の画質が得られて、カメラ自体も安いのだからもう言う事はない。普通は使いにくいと思われているウェストレベルファインダーも、目の前の人物を撮る際には緊張感を与えずに済むという余録付きなのだ。(撮影者が真下を向く格好になるので、撮影される人が少しは気楽になれるという訳だ)コレクターズアイテムになりがちな1950年代のカメラながら、二台のローライは全く機嫌を損ねることなく長い事動き続けてくれた。まあストラップを掛ける金具が緩んだり、卒業制作の為に通っていた中学校では生徒に落とされてファインダーのフードが曲がったなどの細かい話はいくつかあるのだが、そんなヘビーなコンディションをものともせずにレンズ・シャッター周りは絶好調。50年前のカメラなのにもう数百本ものブローニーフィルムを飲み込んで平然としているのだからドイツ魂恐るべし、である。

 正直、中判を使うなら6×7、あるいは6×4.5がいいなと初めは思っていたのである。出版物にも印画紙にも真四角なものなどない(あるとすればCDのジャケットくらいだろう)中で、どうして正方形の画面で写真を撮らなければならないのかと18とか19の頃には思っていたものだ。ローライ・ハッセル何するものぞ。当時はマミヤ645にモータードライブ、あるいはマミヤRZ67にモータードライブでスマートな撮影をすることに憧れていた俺なのである。しかし、はからずも予算の都合から手にした種々の6×6判カメラは俺に正方形の中で完結する写真の面白さを教えてくれた。先にも書いたが中学校でのポートレートを卒業制作にしていた俺は、それこそ35ミリから6×9までのカメラを現場に持ち込んで撮り散らかしたわけなのだが、結局人物を中心に据えて、背景もそこそこに取り込める画面の比率は1:1、これだという結論に達したのである。正方形でない場合、縦位置で撮れば証明写真然としてしまうし、横位置で撮れば人物の配置に悩む。それに気付いた俺はそれまで数年間にわたって撮りためた他のフォーマットの写真は一切無視して6×6ばかりで撮り直しに掛かったという訳だ。結果、大学4年の時の学内展示では真四角な写真が十数枚並び、それは何だか忘れたが賞をとり、卒業制作のブックにも真四角な世界が残されたというわけだ。6×6、2眼レフはあまり繁用されないカメラではあるが、戦後の日本と同じく、俺の中でも一時代を築いたカメラだと言えるだろう。

 で、結局このローライ2兄弟の兄貴分の「コード」は確か「マミヤプレス」と同じ人に売却してしまった。一万5千円也で。また、弟分の「フレックス」は先に書いたようにまだ俺の手許にある。ちなみに中学生に曲げられた部分はそのままになっていて、ファインダーのフードがきちっと開かないのはご愛敬だ。本当に懐かしく、愛着が持てるのは結局こういうシンプルなカメラなのだなと言う感慨とともにこの稿を終わりたいと思う。来週はどうするか・・・。



左:ローライフレックス2.8C 画面下方のがブローニーフィルム。
右 :作例。1998年頃撮影

思い出しSPEC
(思い出すまま書いております。実際と異なる場合もありますので鵜呑みにしないようご注意下さい)
メーカー      フランケ&ハイデッケ社(ドイツ)現、ローライ社
形式        6×6判2眼レフカメラ
装着していたレンズ シュナイダー クセノタール 80ミリF2.8
シャッター     B〜1/500秒
露出モード     Mのみ
電源        なし
その他       オプションで35ミリフィルムを使用出来る「ローライキン」というアイテムが
          あるらしいのだが、そんな状態で使っている人に出会った事がない・・・。
          この時代のカメラの通例で、シンクロ接点にはXとMが用意されている。
          セルフタイマー付き。(これが結構重要。壊れてる場合が多いのだが俺のは完動)
 
 


 



メール

帰省ラッシュ