第18回

 
  久しぶりに「恍惚コラム」を落としてしまいました。この件で掲示板に2本も書き込みがあるところを見ると、このコーナーもなかなか固定客がついてるんじゃないの、とまんざらでもない気分。でもさ、「落とす」と言ってもこのコーナー、完全絶対日曜更新を公約したわけではないので、皆さんそんなに御心配なさらないで頂きたい。中にはこのコーナーが週イチ更新な事を知らずに毎日チェックしに来て下さる有難い方もおられるようだが、まあそんなに熱くならずに気長に見守っていただきたいものですな。何だか偉そうだな>俺。

 で、「仏頭くん」のほうはいかがですか?既に数本の投稿を頂いておるのだが、「オヴチ君」の時のように二字熟語で済むというわけには行かないのでちょっと頭を使うぞ。投稿が少なくなるのではないかと少し心配しとります。これからは月イチペースでキャラを変えていこうかなんて考えておりますので、まあこちらの方にもお付き合い頂きたいと思う。

 といふわけで、先週の続きを。

 「アートセンター」・・・この何とも大仰な名前の建物は、他でもない我らが日本大学芸術学部所沢校舎にそそり立つ白亜の建物の通称である。それが奏でる田園風景との不協和音を俺は聞くとはなしに聞き、その度に何か溜飲の下がらない思いをしたものだ。何故、田舎にほどこうしたウソ臭い建物が建ってしまうのだろう?
 その建物の中では主に写真学科と放送学科・演劇学科の講義が行われていたのだが、建物の向かって丁度左半分が写真学科のシマだった。だが、われわれ写真学科生はその部分しか知り得なかったのだ。これは実に惜しいことだったと俺は今でも思っている。年に140萬円も学費を払っていたのだから(勿論親がね)、超豪奢ビデオ編集機材や、超電磁ワープロをちっとは使わせてくれても良かったのではなかろうか。
 で、その中でもやはり写真学科生として語らずにはおれないのは暗室の話であろう。全14室程度に仕切られた「中暗室」というのが学生に貸しだされていた暗室で、「大暗室」という、これまた全14室?程度に仕切られた暗室は授業の時にのみ開放されていたものだ。引伸し機はべセラーの4×5だったのだが、これがもう光量が少ないうえにコントラストが高いとんでもない代物で、いつも学生達のブーイングを食らっていたものだ。コントラストが高いからと乳白アクリル板などをヘッドにかますとただでさえ少ない光量がもっと少なくなってしまい、六つ切りを伸ばすのに40秒くらいの露光時間がかかっていたのだ。他にもカラープリントを行うための「カラー暗室」というものもあるのだが、俺は「カラー実習」を敢えて受講しなかったためにこの暗室の恩恵に浴することは遂に一度もなかった。
 この「カラ暗」で起きた或る珍事がある。それは或る平和な午後の出来事だった。突如、カラーペーパー現像機の故障を訴えた学生がいた。彼の名を仮にDとしておこうか。彼は普段から奇行で有名な男だったのだが、ついにヤッテシマッタのである。モノクロのバライタ印画紙をカラーの現像機に突っ込んでしまったのであった。あの水気を含むと柔らかくなって仕方ねえバライタ印画紙を、RCペーパーを前提に作られている自現機に突っ込んだらどうなることか・・・。それは火を見るよりも明らかであろう。他にも彼は入射光式露出計の「球」をモデルに向けて測ったり、B/Wのネガの真っ白になった部分を必死で焼き出そうとしたりと、さまざまな伝説に彩られた学生時代を送った男だったのだ・・・。
 しかし、「アーセン」で、俺自身が起こしてしまった最大の事件がまだあるのだ。そのお話は、また来週!(内輪の人間はもうわかってるよな・・・。あの、救急車で運ばれた話。)(つづく)

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