第177回

 

CEOのカメラ思い出話
(6)「コンタックスST」の巻


 コンタックスという名前には、カメラファンを魅了する何かが確実にある。やたらと高いくせに壊れやすいと評判のボディーしかり、これまた唖然とする価格の交換レンズ/パーツ類またしかり。扱いにくく、気軽に手を出しづらいがゆえに発せられるオーラというのが確実にあると思うのだ。


 元はドイツのツアイス・イコン社が1930年代に作った「コンタックス」を源流に持つこのブランド。同社は1932年にレンジファインダーカメラ「コンタックス?型」を発売して以来あの有名な「ライカ」としのぎを削り、1947年には世界初の量産型35ミリ判一眼レフカメラ「コンタックスS」を発売するに至った。しかし東西の冷戦により東西に分割された同社は1961年に倒産。「コンタックス」の名はこの世から消え去ってしまうかのように見えた。しかしこのブランドは日本で1974年に復活する事となる。当時既に「ヤシカ」を買収していた「京セラ」がこのブランド名を冠した「コンタックスRTS」をリバイバルし、日本における新たなコンタックス史が幕を開けたというわけなのである。今、余程のクラシックカメラマニアが口にする場合を除いて「コンタックス」といえばこの京セラ製のカメラのことだと思って間違いない。本稿もそれに倣って書き進めて行く事にする。

 冒頭に高くて壊れやすい、と書いたが確かにそれは的外れな批判ではないのだ。とりあえずボディー本体は同クラスの相場に比べて5万円は上を行っているし、レンズもまた然り。そして本稿の主役・STも新品で買ったくせに直後からレリーズの接点がボディーの中に潜る・また売り物にしていたバックライト付きの露出モード切替表示板もボディーの中に潜る・果てには購入1年と少しでシャッター全交換と誠にスリリングな体験をさせてくれたカメラなのである。しかしそれでも違うメーカーのカメラにしようと思わせないのがまたコンタックスの凄みなのであろう。それでも最近のコンタックスは大分丈夫になったのだ。

 思えばこのカメラは俺が高校を卒業し、日大の芸術学部に入るというのでこれまた父に買わせたカメラなのであった。こんなカメラを買ったら交換レンズは買えないし修理代も痛いしですぐに手放す事になるという心配は確かにしたものだが、高校時代に触れていた同社のコンパクトカメラ「T2」のゾナー(Sonnar. レンズの名前だ)の写りにぞっこんラヴだった俺はそんな事はお構いなしにコンタックスを指名したのだった。当時の同社のラインナップとしては最高級機RTS3(35万円)、ST(20万円)、167MT(10万円台前半>失念)の3機種があったわけだが、流石に35万円は無理という事になりSTにしたという経緯がある。で、それに50ミリと28ミリと85ミリを付けて総額30数万円のお買い物。新宿のヨドバシからの帰りの電車の中で父に「売るなよ」と言われた事が今でも忘れられない。お陰でその約束は今でも守られているが・・・28ミリを除いて・・・。

 さて、コンタックスである。百戦錬磨の強者が揃う日大芸術学部写真学科にそれを持って乗り込んでいった俺なのだったが、行ってみれば何の事はない、そこら中にライカがゴロゴロ、ローライがゴロゴロ・・・。と言うのは嘘で、皆がそれぞれそれなりのカメラを持っていたので別にコンタックスだからどうとか、ニコンだからどうとかいう話にはならなかったのが正直な所だ。ある写真を撮影するのにどんなカメラが適しているか、という考えが根底にあるから、スポーツ派はキヤノン、ポートレート派はコンタックスやハッセルブラッド、硬派なドキュメンタリー派はニコン、と言う風に何となく派閥は分かれていたけれど、まあコンタックスは少数派だったということは間違いない。金持ちほどコンタックス度が高かったもので、俺ももしかしたら金持ちと間違われていたかも・・・まあそれはあり得ないか。それにしてもある時そんな金持ちのコンタックス党がディスタゴン21ミリを買って見せた時には度肝を抜かれた。彼は本当にカメラには金の糸目を付けない男で、コンタックスやらキヤノンの、それも高いレンズばかり持っていたように記憶しているのだが、この21ミリ。読者の皆様は一体いくらするとお思いだろうか?・・・その額何と21万円。「1ミリ1万円だぁ」などと友人と笑いあったものだが、他のメーカーならきっと6〜7万円で買えるレンズなのだ。ある時それを借り出して撮影に行った事があるのだが(同じメーカー故の強みですな)、超広角レンズなのに周辺の線の歪みが全く無く、四隅のケラレ(一眼レフ用広角レンズは周辺の光量が不足することが多い)も見られない非常に優秀なレンズであった。これに影響されて俺は18ミリF4を買うことになるのだが・・・12万円を月賦で1年間。スケールが違いすぎる。しかも開放で取ると四隅が暗いし。高校の後輩のM沢君に指摘された時にはかなり萎えた・・・。俺は満足して使ってたのにな。

 と、言うわけでコンタックスブランドのカメラの話をする際に欠かせないのはレンズの話である。前回はニコンFに装着していた105ミリF2.5を褒めたわけだけれども、このコンタックスに用意されているカールツァイス社のレンズはどれを取っても一本一本に味のあるレンズばかりなのである。冒頭に「しかしそれでも違うメーカーのカメラにしようと思わせないのがまたコンタックスの凄み」と書いたが、いかにボディーが壊れやすかろうがこのレンズ群を装着出来るのはコンタックスのボディーだけなのだ。コンタックスはボディーに信者が付くのではなくそのレンズにこそカリスマ性があるのである。他のメーカーのプロ用一眼レフではボディーの堅牢性がオーナーの自慢になる部分もあるのだが、コンタックスは全然ダメ。報道のカメラマンが使わないのを見てもそれはお分かり頂けるだろう。しかしそれを補って余りあるレンズの魅力があるから京セラはあんな強気な値段で今でもこだわりのカメラを出し続ける事ができるのである。俺としても全部のレンズを使ったわけではないからあまり大きな事は言えないのだけれど、プラナー85ミリ。アレはしっとりとしたイイレンズだと今でも思う。コンタックスのレンズ全般に言える事なのだが、ネガをルーペで拡大して見るとさほどクッキリピントが合っているように見えないのである。ニコン・キヤノンの方が余程シャープ。しかし、これを引き伸ばしてみると他のレンズよりも細かい部分が描写されており、なおかつピントの合っていない部分のボケ具合がエレガント。俺は黒白で撮る事が殆どだったのだけれど、たまにカラーで撮った時の発色も濃厚で良かった。赤の発色がとてつもなく鮮やか。その色の深さはリバーサルでなくカラープリントでも判別出来る程だ。・・・俺もすっかり信者だなぁ・・・。

 で、何だかんだでそのSTは大学入学からアシスタント時代を経た今でも手許にある。つまらない「被写界深度」などの課題をこなしながら、いつでも何処でも一緒だった大学時代。アシスタント時代にほんの少しだけもらった仕事の時も一緒だった。それから今・・・。押し入れの奥に入ってしまってはいるのだが、いくら金に困ってもこれだけは売るわけにはゆかないカメラと言えよう。

 正直、カメラの軍艦部の真鍮の地が見えるまで使い込むのはこのカメラが最初で最後になるかも知れない。真鍮製の軍艦部を持ったカメラがほとんど無くなったという事もあるが、一台の金属製カメラを7年あまりに亘って新品から所有し続けること。そんな贅沢が俺のこれからの人生において許されるかどうか。まあ、そんなチャンスというのは狙って手に入れられる種類のものではないのだが。

・思い出しSPEC
(思い出すまま書いております。実際と異なる場合もありますので鵜呑みにしないようご注意下さい)
メーカー      京セラ
形式        35ミリ判一眼レフカメラ
装着していたレンズ Planar 50/1.4
Planar 85/1.4
Distagon 18/4
Distagon 28/2.8
Sonnar 200/4  
シャッター     B〜1/4000秒(オート時は1/6000秒)
露出モード     P/A/M/S
電源        単4乾電池4本
その他       単3乾電池4本駆動&縦位置レリーズを可能にする「ゲタ」を装着。中野の中古カメラ店で3000円だかで買ったような・・・。
          このクラスには希有なコマ間デート装備!



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