CEOのカメラ思い出話
(4)「ニコンF」の巻
俺がこれまで話をしてきたカメラの中でもすっかり鬼籍に入った趣のあるこのカメラ。一部のマニアを除いて、現在の若いカメラユーザーにはこの名前はもう知られてはいないかも知れない。まあ現在のニコン「F5」を見ればその前に4・3・2・1があるのは推測出来るだろうが、実際に手にして使ったという人は近年大分少なくなっていると思われる。
まあ偉そうな物言いをしてしまったが、かくいう俺も偶然高校時代にこのカメラを使うチャンスに恵まれたのだ。確か高校2年生だかの頃に・・・。
当時の俺は既に写真1色の人生を送っていて、前回のニコマートFTnを手に入れたのもその評判が親戚の間に伝わったからなのだった。で、このFは大叔父が持っていたカメラなのである。大叔父は埼玉県上福岡市で自動車整備工場を営んでいるのだが、何かの用事で彼の許を訪れた時に、「そういえばこんなカメラがある」と言って出してくれたのがこのニコンFなのであった。FもFTn同様に無期限貸し出し・・・と言いたかったところなのだが、そのうちに返せと言われてしまったのが今でも悔やまれる。「俺が死んだらくれてやる」と大叔父は言ったものだが、おかげさまで今でも健在、もうそんな約束はとうに忘れてしまっている事だろう。というかその約束が忘れられていたとしたら、彼の死に合わせてFを買おうとさえ思っている今日この頃である。しかし、あんなにコンディションの良いFを手に入れるには一体いくらかかるだろうか。それほどまでに彼のFは発売当時そのものの美しさを保っていた。
で、偶然にも手にしたニコンF。これまで手にしてきたカメラ達とはあまりに様子が違う。ファインダーは外すことが出来たし、フィルム交換をするにも裏蓋を丸ごと外さなければならない。(=三脚に載せている時にはまず三脚から外さないとフィルム交換が出来ない)また、露出計なぞという気の利いたモノも付いていない。最初はかなり狼狽したものだ。しかし、眺めているうちに段々良くなってくるのだ、これが。いかにも金属を感じさせる直線的なデザイン。当時最先端だったチタン幕シャッターのフィーリング。そして巻き戻しレバーの精緻な、一切ガタを感じさせない操作感。俺は露出計のない欠点を高校写真部部室にあった単体露出計(セコニックスタジオデラックス・通称スタデラ・若しくはゴキブリ)
で補いながら、メインカメラとしてFを使い始めることとなったのだ。
クラシック、と言わないまでも古いカメラには「モルトプレーンの劣化」という不都合が生じる場合が非常に多い。モルトプレーンとは一眼レフカメラのミラー作動の緩衝材やカメラ裏蓋の密閉牲を高めるためのスポンジのような材料なのだが、これは古くなるとべたつき、剥がれ、本来の用を為さなくなる。裏蓋のモルトは剥がれても大勢に影響はないのだが、ミラーの上に付いているモルトがベタつくのは危険だ。撮影後跳ね上がったミラーがモルトに張り付いて戻らなくなり、以降撮影を続けることが出来なくなってしまう。俺はまさにこの現象を灼熱の浦和(現・さいたま市)で体験してしまったのであった。
高校2年当時の俺は街頭スナップに凝っていて、それこそいろいろな街に赴いたものだ。気の向くまま原宿、川越(いきなり川越かよ)、大宮、浦和・・・。森山大道や中平卓馬の写真を脳裏に浮かべながらスナップ写真家を気取っていたのだったが、そんなある夏の日曜日、浦和の某所でFはいきなりファインダーを真っ暗にしてくれたのだった。そう、ミラーの張り付き現象の発生である。高校2年生にFの故障はかなり痛い。激痛である。その瞬間俺の背中は凍り付いた。「嗚呼、何とお詫びを申し上げたら良いことやら」「修理にいくら掛かるのだろうか」・・・しかし、冷静にレンズを外してみると何のことはない、ミラーが張り付いていただけだったのだ。落ち着きを取り戻した俺はミラーの端をゆっくりと爪で剥がしてみた。と、Fは見事に息を吹き返したのである。この後、俺はすぐさまニコンのサービスセンターに赴いたことは言うまでもない。モルトの交換は確か1000円程度で出来たはずだ。その後のFはミラーのリターンが心なしか早くなり、ますます快適に使えるようになったものだ。
それからもFは様々な場面で活躍してくれた。そのスナップでもいろいろな写真を残してくれたし、大学を出るまで続けていた「14歳の構図」シリーズの初期にもポートレート撮影用として非常に重宝した。話は飛んでしまうが、Fと同時に借り出した105ミリF2.5レンズがもの凄くいいレンズだったのである。ニコンのレンズといえばひたすら「クッキリ・ハッキリ」という印象があるものだが、このレンズだけは何とも言えないアンニュイさというか、解像度よりもコントラストで勝負というか、まあ一言で言えば「ヨーロピアンな」味わいのあるレンズだったのである。本当にこのレンズは気に入って良く使った。今でも有象無象のネガたちの中からこのレンズで撮った写真を見つけだす自信があるくらいだ。今の当該レンズはどうだか知らないが、当時の、まだカラー写真ばかりではなかった時代に作られた105ミリは珠玉の1本だったと言えよう。まあ、こういう写りが好きになって結局はコンタックスとかローライとかハッセルブラッドに浮気する羽目になったのは皮肉というべきだが・・・。
そんなFとの蜜月時代も先述のとおり1年と少しで終わってしまったのである。Fを返した頃には自分でF301を買って180ミリF2.8を付けていたくらいだから、当時は相当なニッコールファンだったと言えよう。それから洋モノレンズ好きになることなぞ露知らず・・・。何にしても、死ぬまでにもう一度握ってみたいカメラではある。勿論フォトミックなんぞではなく、あのとんがったアイレベルファインダーで・・・。
・思い出しSPEC
(思い出すまま書いております。実際と異なる場合もありますので鵜呑みにしないようご注意下さい)
メーカー 日本光学
形式 35ミリ1眼レフレックスカメラ
装着していたレンズ ニッコール105ミリF2.5
ニッコール35ミリF2.8
シャッター B〜1/1000秒
露出モード Mのみ
電源 なし
その他 チタン幕シャッター搭載、ミラーアップ機構つき(しかし、ミラーアップをする為にはまずレバーをセットして1回巻き上げてシャッターを切らなければならなかったのでフィルムが1枚ムダになる、諸刃の剣。素人にはお勧め出来ない(?))
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