第174回

 

CEOのカメラ思い出話
(3)「ニコマートFTn」の巻

 ファーストフードとスローフード。オートマチック車とマニュアル車。オートフォーカスカメラとマニュアルフォーカスカメラ。「こだわり」の世界には常に自動化の波が押し寄せる。本来は凄く便利な技術であるにも拘わらず、小難しいものはすべからく自動化される宿命にあるのだと思う。たとえその自動化がそのものから「こだわり」の要素を払拭したとしても世の中全体からしてみれば歓迎されるべき事だし、そのようにして普及したものをあげつらえばまさにきりがない。自動パン焼き機やオートフォーカス(以下AFと称する)1眼レフが大ブームを呼んだように。

 しかし、カメラマニア、特にカメラ自体への偏愛を持つ者たちにとってはマニュアルカメラの方が支持されるのもまた事実。マニュアルカメラ(以下MFと称する)とは大まかな定義でいえば即ち「フォーカスリングを手動で回転させることによってピントを合わせるカメラ」であり、素人にしてみれば常に失敗の危険がつきまとうアブナイカメラである。失敗を機械のせいに出来ないシビアさ。昔の写真にはもっと緊張感があった。まあAF登場以前は誰もがこれを使わざるを得なかったわけなのだが、AFカメラの方がむしろ安価になった現在でもMFを使いたいという「カメラかぶれ」はまだまだ数多く生息している。
 
 かくいう俺自身もそんな熱病に浮かされた一人で、高校に入った頃から何故かMF熱が高まってきてしまったのだ。理由−?そんなものは分からない。後付けの理屈はいくらでも並べようがあるのだが、まさに熱病であった。何故に自ら不便な道をカメラマニアは選ぼうとするのだろうか。高校の写真部の部室にあったペンタックスSPやスーパーA、そして名も知らぬジャンクのカメラたち・・・。それらを見ているうちに何故か「カメラはMFたるべき」という思いに捉われはじめたのだった。カタチから入りたがる走り屋のように。
 だが前回書いたように当時の俺はα8700iを主力として使っており、家にもMFカメラは無かった。だからしばらくはおとなしく8700iを使っていたのだが、そんなある夏の日、俺はあるMFカメラと出会う事になるのだった。

 血とは争えないもので、実は父のすぐ下の弟が高校時代に写真部に入っていたという事を聞かされたのはそれから間もない夏の日の事だった。で、更に、今は使っていないニコマートFTnを貸してくれると言うのだった。しかも無期限で。かくして俺のMFライフが始まったのだった。

 FTnはマニュアル機の中でもメカニカルシャッターというタイプで、露出計(環境の光の量を測り、適正なシャッター速度と絞り値を指示する機構)以外は全て電池不要。要はゼンマイ仕掛けで動いているカメラだった。この事は電池が無くなれば全ての機能が止まる−フィルムを巻き戻して取り出すことすら出来なくなる−現代のカメラにしてみれば大きなアドバンテージと言えよう。リバーサルフィルムなどで撮影するのでなければ露出値も大体勘でOKだし、こういう部分がマニア心をくすぐったものだ。冷静に考えれば今のご時世、至る所にコンビニなどがあるのだからどうしても電池が手に入らないなどという極限状態はまず考えられないのだけれども。こう言っては何だがムダにキャンプ用品を持ち歩くアウトドアかぶれに似た心境が見て取れる。

 さて、これで名実ともにすっかりカメラマニアとしての装いを完備した俺なのだったが、当時このカメラで何を撮ったのだかは殆ど覚えていない。(またか・・・。)50ミリレンズを付けたFTnで川越の街をブラついたのはよく覚えているのだが、当時はFTnと並行してF(次回に書くことにする)も使い、更に8700iも使っていたので特に「このカメラで!」という思い出が薄いのは残念なことだ。ただ、またもメカニズムの話になって恐縮だが軍艦部(カメラ上面。昔のカメラにはここに沢山のダイヤルやボタンが付いており、それがまるで軍艦の甲板のように見えたことからこう呼ばれる)に露出計の針が表示されるというのはものすごく親切な機構だったと今でも思う。現代のカメラでは液晶が装備されている部分に7ミリ×13ミリ程度の小窓があり、カメラを肩からぶら下げた状態のまま露出をチェック出来たのは今でも画期的だなと思う。もっともその小窓に付いていたプラスチック板を無くしてしまい、最後までセロテープで張って使っていたので至極見た目が悪かったのだけども・・・これもFTnをそれほど使い込まなかった遠因と言えば言えるかも知れない。それからグリスの抜けきった50ミリレンズも不快だった。これはカメラ本体の不具合ではないのだけれども、あまりに軽すぎるそのフォーカスリングは「これってAFレンズ?」と知人に言わしめるほどなのだった。しかし腐ってもメカニカル・マニュアル1眼レフが手元にあるという安心感には特筆されるべきものがあったと言えよう。しかしコマ間がばらついて、ネガシートに入れるのも大変だったという・・・。

 そんなこんなで俺のカメラ人生の中での初MF1眼レフ・FTnとは2年と少しだけ付き合ったわけだが、結局は高校3年だか大学1年だかの年に高校の先輩に5000円だかで売却してしまった。(人のカメラなのに・・・。)今はその方の物持ちの良さを信じるしかない。いや、別にもうどうでも良いのだけれど・・・。
 中古市場でもあまり見かけなくなったニコマートだが、もし手に取る機会があればそのズッシリした身の詰まった重さを味わって戴きたいものだと思う。

・思い出しSPEC
(思い出すまま書いております。実際と異なる場合もありますので鵜呑みにしないようご注意下さい)
メーカー      日本光学
形式        35ミリ1眼レフレックスカメラ
装着していたレンズ ニッコール50ミリF2(長い歴史の中で様々な型があるが、取りあえず非Aiの古いレンズとしか言えない)     
シャッター     B〜1/1000秒、シャッターダイヤルはレンズマウント基部
露出モード     Mのみ
電源        LR44又はSR44型ボタン電池
その他       アクセサリーシューがなかったような気が・・・。



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