第173回

 

CEOのカメラ思い出話
(2)「ミノルタα8700i」の巻

 前回の「ミノルタα5700i」が我が家に導入されて2年だか3年後にこのカメラはやって来た。前述のとおり5700を人身御供にしてやって来たカメラだ。下取り額なぞはとっくに失念したが、かなりの安値だったことは間違いない。当時の俺は確か中学3年生だったかと思うのだが、こいつは当時ますますカメラにハマり始めた俺のために父が進んで買ってきたように記憶している。父は決して俺のためだとは言わなかったものだが、生来の吝嗇家の父のこと、まだまだ使える一眼レフカメラをわざわざ差額を支払って取り替えるなどと言うことを息子以外の為にするはずはなかったろうと思う。こんな事を息子である自分が言うのも妙な話だが。

 このカメラは自分史上初のフルスペック・高級(?)AF一眼レフカメラということでかなりの思い入れがあったものだ。当時最先端の1/8000秒シャッターを誇り、遅いながらも秒間3コマの撮影が可能などと、中学生の魂を震撼させるには十分すぎるものがあった。俺はついでだからと購入させたシグマの24ミリと50ミリマクロを装着してますますワケのわからない写真世界へと埋没してゆくこととなったのである。24ミリでスナップ写真家を気取り、マクロレンズではさして撮りたくもないのに花の写真を撮ったりしていた。

 で、このカメラの最高の檜舞台は中学3年の早春にやってきた。俺の通っていた埼玉の市立中学校では卒業間近に日帰りで卒業旅行に行く慣習があったのであるが、そこで俺はどういう経緯か忘れたがいろいろな男子からの注文を受けて、それぞれが目当てとしている女子生徒を撮影することとなったのだった。まるで流行らないエロスゲームのようなシチュエーション。そして様々な思惑を乗せたまま、俺達を乗せた観光バスは3月のある晴れた寒い日に静岡の富士急ハイランドへと向かったのであった。

 この時にどうしても忘れられないエピソードがある。周りの連中は高校進学を機に、中学の制服には飽き飽きしていたからその時の「私服着用自由」という規制緩和に大喜びで、それぞれ思い思いの格好をしてきたものだったが、俺だけは何故か中学の制服。しかも背中には真新しい「SLIK」(国産の有名三脚メーカー。スリックと読む)の三脚ケースを背負って・・・。この頃から俺は制服フェチとしての素養を顕わにしていたのかと思うとむずがゆい心持ちになる。自らが制服を着られるという年頃なのに制服の有り難みを知っていたとはとんだ制服フェチだ。話はさらに変わるが、俺には何と中学3年の冬をジャージを着ずにひたすら半袖体操服+緑短パンで乗り切ったというエピソードもある。もちろんそれをそのように着たかったからそうしたのだ。まるでボンデージファッションを楽しむように俺はその頃から制服の猥褻さ、その意匠がもたらす羞恥を玩味していたのだ・・・。

 閑話休題。かくして俺は富士急ハイランドに到着した。バスで2時間程度の旅だったか。思い思いにアトラクションに散ってゆく同級生を後目に、俺は8700に100〜300ミリズームを装着した。開いたウラブタにはフジクロームベルビア。ベルビアも今となっては過去のフィルムという感が強いが、当時はまだ発売2年目程度。「外式フィルムを凌ぐ超微粒子、しかも色飽和度が高い」という触れ込みで写真愛好家の間ではちょっとしたトレンドとなっていたのである。折しも天気は申し分のない晴天。ISO50のベルビア、さらに暗いズームレンズにも天気は味方してくれた格好となった。

 スケートリンクで盗撮を気取り、気安い女の子には直接頼み込み、そんなこんなで俺は5〜6名程度の女子生徒をファインダーに納め続けた。当時はその事で一生懸命だったから気にならなかったが、今この文章を書いていると何という「キモイ」事をしていたのだろうかと思う。しかし卒業間近という開放的な気分も手伝ってそんな俺を咎める者は誰も居なかった。教員でさえ「こっち撮ってくれ」などと声を掛けてきたのだから、写真愛好家にとっては幸せな一日だったと言えるだろう。

 後日、そのベルビア2本の現像が仕上がってきた。晴天に恵まれたその写真達には特に大きな破綻もなく、写りはバッチリだった。当時は当然ながらまだプロラボなどに行けるはずもなく、近所の写真屋にその現像を頼んでいたのでもの凄く待たされた記憶がある。さらに当時はリバーサルはマウントでという思いがあったから当然マウント仕上げだった。(ストリップ、という言葉を知らなかった)まあそれが幸いして友人とのスライド上映会が楽しめたという余録もあったわけだが、今思えば何と効率の悪い事をしていたのだろうかと思う。それにしてもスライド上映会は楽しかった。「キャビン」の一番安いスライドプロジェクターを買い込み、友人の家の白いふすまにその時のスライドを投影すると一同からどよめきが起こったものだ。しかも写っているのが同級生やお目当ての女の子だったりするわけだからもうこれは興奮のるつぼという他ない。暫く仲間内の話題はこれで持ちきりだった。リバーサルだから紙焼きも高かったのだけれど、何十枚ものプリントがさばけた。爾来10年近く、商売としての写真に片足を突っ込んだわけだけれども、写真の本来の楽しみというのはこういう所にあるんだろうなと今更ながら感じる。しばらくはそういう訳でリバーサルばかり撮って、みんなに見せびらかしていた。どこからそんな金が出てきたのか全く分からないんだけれども・・・。

 そして中学の卒業式でも8700は縦横無尽の大活躍を見せた。今度はネオパンSSを装填した8700は普通の生徒が撮らない部分まで十全に記録してくれた。太い真っ赤なストラップを見て「何かのオフィシャルカメラマンみたいだ」と言った彼は今頃どうしているだろうか。もちろんお姉ちゃん関係も外せなかった。そのネガは今でも恐らく実家にあるだろうと思う。

 さらに、何だかんだで高校時代にも8700を主力で使っていた俺。もうその頃になると横好きが始まって一体何種類のカメラを使ったのか忘れかけているのだが、少なくとも大学に入るまでは殆ど肌身離さず使っていた8700。多少の雨も厭わず、高いリチウム電池を恐らく5〜60本は食い尽くした8700は未だ現役で、今では会社の机の引き出しの中にシグマ50ミリマクロとともにある。最近でもここぞという現場写真には欠かせないアイテムだ。他の歴々のカメラたちが故障や売却により離れてゆく中で、10年以上に亘って故障もせず(オーバーホールなども一切していない)手元にあり続ける8700は希有な存在だ。安いけれども質実剛健。決してプロユースを意識して作られたわけではないカメラなのにこんなに丈夫だとミノルタの商売が心配になってしまうくらいだ。

 これからも、8700とはつかず離れずの暮らしが続いてゆくことだろう。

・思い出しSPEC

(思い出すまま書いております。実際と異なる場合もありますので鵜呑みにしないようご注意下さい)
メーカー      ミノルタカメラ
形式        35ミリオートフォーカス一眼レフレックスカメラ
装着していたレンズ 35〜105ミリF3.5〜4.5ズーム、100〜300ミリF4.5〜5.6ズーム
          シグマ24ミリF2.8、シグマ50ミリF2.8マクロ
シャッター     B〜1/8000秒、(AE時の最長シャッター速度は30秒)
露出モード     P・A・M・S
電源        2CR5リチウム電池
その他       エレクトロニックフラッシュ内蔵、秒間3コマドライブ、3点測距、視度補正機構なし・・・。 



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