第172回

 

 先週予告申し上げた通り、今週から暫くはカメラの思い出話について書いてゆくことにしたい。つい先日、母校の川越東高校が学研の「中古カメラGET!」誌の取材を受けたという折でもあるし、丁度タイムリーな話題ということにもなるだろうか。カメラとクルマは永遠に少年達の物欲の象徴。(電車なぞは流石に所有する、という訳にはいかないだろうから)パソコンなぞはまだまだ新参者だ。話が分かる方もそうでない方にも是非玩味戴き、あの生のニキビが発する匂いを感じ取って頂ければ幸いである。

 で、俺は今猛烈に困っているのである。先週は調子に乗って32種ものカメラの名前を列挙してしまったのだけれど、どれから書き始めたら良いか・・・。年代順?それとも50音順?下手に年代順にしたりすると読者諸兄からのツッコミを速攻で戴く羽目になりかねないと思うのでま、適当に絞ってですね、思い入れのある順に適当に書き進めて参りたいと思うのである。流石に32週連続で書き続けるつもりも無いので・・・。
 さて、それではいよいよ本題に入ることにしよう。

(1)「ミノルタα5700i」の巻
 若い頃からの隠れカメラ好きの父が、勿体ぶってタンスの奥に隠していたカメラ。標準ズームと望遠ズームの2本セット付きでそのカメラが実家にやって来たその日のことを残念ながら俺は覚えていないのだが、取りあえず俺が12か13の時分だったということだけは間違いないだろう。それにしても父の、5700を俺に触らせたくないという気迫だけはビンビン伝わってきたことは良く覚えている。「高かった」というセリフはそれこそ何十回も聞かされたものだ。今にしてみればとても中途半端なスペックの入門用カメラだったわけなのだが、少なくとも我が家に唯一のカメラ、父の仰る意味も今になれば納得出来ると言うもの。

 思えば我が家にレンズ交換式のカメラが導入されたのはこれが初めてだったのだ。父はレンズ交換の事を「ガッチャン」と称し、俺がレンズ交換をしようとするとすぐに飛んできて「ガッチャン出来るのか?ガッチャン」とまるで腫れ物に触るような雰囲気で問うたものだ。しかしその頃から俺は既に種々のカメラ雑誌を読んで知識の方は問題ないと自負していたから、しばしば家人の目を盗んでは「ガッチャン」したり、空シャッターを切ったりして楽しんでいたものだ。父も今となってはとんでもないモノを買ってきてしまったと思っていることだろう。このカメラをきっかけにして俺はカメラ道楽の人生に転落していったのだから・・・。

 その頃の俺は小学時代の友人の影響でしばしば入間やら横田の基地に行ったり、雑誌「航空ファン」を読んだりしていたものだ。そう、その友人とは軍用機マニアだったのである。もともと機械モノには目のない俺の事、彼に影響されて一時はすっかり飛行機マニアだったのだ。あまり知られていないし、人にも話さないのだが。

 5月の連休だったか、夏休みだったか。俺はそんなわけで5700と一緒に横田基地のフェンスにへばりついていた。C−130だかF16だかがタッチ&ゴーをしているさまを5700のファインダー越しに見ていたのである。友人が見つけたその撮影ポイントの周りには雑草が生い茂り、いかにも秘密めいた感じだったのだけれど、そこにいくつかのレンズキャップが落ちていたことがひどく印象に残っている。そう、俺もその日その場所でレンズキャップを無くしたのだった。何故に何人もの人が同じ場所でレンズキャップを無くすのだろうか。魔物が住んでいるとしか思えない。レンズキャップが落ちている様子を見て初めは心の中で馬鹿にしていた俺だったのだが、いざ自分で無くしてみるとやはり困るものだ。先ほどまでの自分の感情を恥ずかしく思ったのである。ちなみにこの時撮った写真がその後どうなったのかは全く覚えていない。現像に出した場面も思い出せなければシャッターを切った感触すら覚えていないのだ。何しろ初心者にとってレンズキャップを無くすのは大問題である。今になって思えばたかだか300円程度のもので何故にそんなに怯えていたのか分からないのだが、中学生の度胸なんてそんなものなのだろう。

 中学生の度胸、といえばその頃はフィルムも高価で高価で仕方なかった。勿論自分の小遣いで買うには高すぎたという意味なのだが、カラーネガフィルムを爪に火を灯す思いで使っていたことを覚えている。本当に恥ずかしいことだが当時の俺は「(ISO)100よりも400の方が高級だ」と信じていたクチで、当時まだまだメジャーではなかった400のフィルムをわざわざ無理をして買っていたのである。で、その「超高級」「400フィルム」で大いなる資源の無駄遣いをしていたのであった。何を撮るというわけでもなく、カメラを握っているだけでわくわく出来たあの頃。戻りたいような、戻りたくないような。

 それから入間の航空祭でネオパンSSを粋がって使ったりもした。現像に出してみて、カラーよりも値段がかなり高いのに愕然としたものだ・・・。確か36枚撮りを同時プリントして1800円くらい。自分で現像するなど思いもよらなかった頃だったから、ただただ黒白写真は高い!という印象を植え付けられたものだった。短いレンズで撮ってサービス判に伸ばしたから飛行機全然小さく写ってるし・・・。この辺のネガももう忘却の彼方にある。大洋の泡となっているか、草の露となっているかは知らないけれど、まあもう一度見たいかと訊かれたら「否」と答えたいものだ。
 
 まあ、このカメラは俺のカメラフェチ人生のアペリティフ(食前酒)といった趣のあるカメラなので、さほど使い込んだという事もなかったのだが、俺にカメラの楽しさを教えてくれた一台であった事には間違いない。この後α8700iへの買い換えに伴って下取りに出されてしまった5700に合掌。2年くらいの付き合いだったか・・・。

・思い出しSPEC
(思い出すまま書いております。実際と異なる場合もありますので鵜呑みにしないようご注意下さい)
メーカー      ミノルタカメラ(最近は社名から「−カメラ」が取れているが)
形式        35ミリオートフォーカス一眼レフレックスカメラ
装着していたレンズ 35〜105ミリF3.5〜4.5ズーム、100〜300ミリF4.5〜5.6ズーム
シャッター     ?〜1/2000秒?
露出モード     Pのみ(拡張カードによって他モードに対応可能)
電源        2CR5リチウム電池
その他       エレクトロニックフラッシュ内蔵・マニュアル感度設定不可

このカメラについてはいくらネットで調べてもスペックが出てこない・・・不憫なやつ・・・。


 




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