第163回


  昨日は某会合で、埼玉県民なら誰もが知っているであろう某ファミコンショップの(今更ファミコンショップという呼び方もどうかと思うが。レコード店みたいなものか)フランチャイズチェーンの社長の講演を聴いてきた。あの昔話できび団子を持たされた彼の名前がついた店だと言えばもうお分かりだろう。36歳でそれまで勤めてきた製薬会社を辞め、以後様々なFCに加盟したり、あるいはその過程で得た資本でワープロ教室を開業したり、あるいはパーフェクトキック(あの的にサッカーボールを蹴り当てるアレだ)の機械を開発販売しようとして失敗したりと様々な職歴を披露してくれたのである。その数、1988年以来13職種。そして現在でも営業しているのが7職種。よくぞまあこんなに節操のない営業っぷりで社員がついてきたものだと感心しながら聴いていたのだが、その席上、その社長はひときわ大きな声でこんな事を言ったものだ。

 「今年は大卒を12人採ったんだけど、そいつらに将来何になりたいかと訊いたら国立大学出なのに『ファミコンショップの店長』だと言う。本当に何を考えているのか分からない」

 本当に彼はそうした人たちを軽蔑した様子で語っていたのである。自分が好き好んで採ったにも拘わらず。国立大学を出たら必ず大臣やら弁護士やらにならなければならないとでも言うのだろうか。その社長は昭和24年生まれ、確かに彼らの若い頃には国立大学を出るということはもの凄いステータスであったろう。いきおいそうした人種は少なかったし、周囲もそうした人たちに過大な期待を持っていたのだろうと思う。確かにそうした時代にそうした人たちが漫画喫茶の店長やファミコンショップの店長だったらそれはそれで情けないとのそしりを受けるのは仕方のないことだっただろうと思う。しかし時代は違うのだ。さらに彼は第3次産業の風雲児。ファミコンショップのみならず漫画喫茶のフランチャイズチェーン50店舗も持っている。自分でそうした仕事を選び取りながら、店長になりたいというかわいい新入社員をそしるその姿勢に、俺はこの会社には絶対に入りたくないなと思ったのである。大体不景気のためにたまたま国立大学出も採れたのではないのかと言いたくなる。

 経営者の価値観と被雇用者の価値観が同じであっていいはずがない。口先だけでも。例え冗談でも社長に「何になりたいか」と訊かれて「社長になりたい」と言ってはいけないと思う社員の気持ちが分からないのだろうか。まあそこは社長ばかりの会だったので口が滑ったのだとも言えなくもないだろうが、それにしても自分の仕事に誇りのない人だなという印象は拭えない。そのうちに過って切れ者に覆されなければいいのだが。

 思うに、世の経営者には2種類ある。一つはある仕事が好きで、それを一生続けたいからとその仕事をする会社を作る人。もう一つは人を使って金が生み出される過程が好きな人。どちらがより良いとは言わないが、会社として大きくできるのは後者の方だ。人間一人で出来る仕事の量には限りがある。自分が社長として鎮座して会社を組織化し、それぞれにエキスパートを置いてそれを指揮するのが賢い商売のあり方だろう。しかし、中小企業で社長の顔を間近に見ながら働く俺なぞにとってはそのテの社長の顔は見えない方が嬉しい。きれい事を言うつもりはないが、どうも仕事より金に重きを置いているような気がしてしまう。要は儲かれば何をしても良いという考えが鼻につくと言う事だ。我ながら青いものだけれど。少なくも俺は目の前で成果の見える労働が好きだ。

 今日もまた、好きな仕事で食えなくなる人が出てきている。目の前で見ているわけではないが、この国の中にそうした人たちはごまんといるはずだ。ある仕事をし、その手間を掛けた人がその場で対価を手に出来るという構造はかなり崩れてきている。ビデオレンタル然り。ファミコンショップ然り。そして小売店然り。チェーン店ばかりがきれいに大きくなり、個人でのその手の店が潰れたり開店休業に追い込まれているのを皆様もよく目にするだろうと思う。先に書いたような人々がどんどんパート・アルバイトを活用して支店を広げ、それをブランドとして上手に売る。中途半端に何でも出来る個人や会社はそうした安い労働力を使える会社には適わない。どんどん職業が細分化されて、その過程でどんどん大手にかすり取られてゆくのを皆様は感じないだろうか?求人の新聞チラシを見ても正社員の募集がほとんど見られなくなったというのはそういう事情からだ。今の世の中、単に目の前の仕事をこなせると言うだけでは偉くなれない。人という駒をどのように配置するかということを知るもののみが富を手にすると言っても言い過ぎではないだろう。

 理屈は分かった。だからといって俺は社長になろうなんてさらさら思わないんだけどね。今のところ。


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