第158回

 デジタルカメラ(以下「デジカメ」と称する)なんざぁ素人のオモチャよ、と宣っていたのがわずか数年前。4×5や6×6の後ろに直結する大袈裟な装置(フラットベッドスキャナーをカメラの後ろにくっつけたような仕組みのモノだと思ってくだされ)がようやく広告写真の静物撮影に使われ初めて、大学の先輩がカシオが初めて出したデジカメ「QV−10」(だっけ?)を手に入れたりもしていて、そんな光景がまあ近未来的!と騒いでいたかと思ったらアッという間に10万円を切る価格でそんなモノよりもよっぽど高性能なデジカメが手に入る時代になってしまった。欲を言わなければ2万円を切る価格でスタンダードなものが買えてしまう。1960年代のEEレンジファインダーカメラのブーム、それに続く1980年代のコンパクトAFカメラのブームを彷彿とさせる猫も杓子も的なブームに俺は今正直驚いているし、自らもそれを所有しなければ不便、という状態にまで陥ってしまっている。何しろ文字は手で書くよりもキーを打った方が早く書く事が出来るし、ネットに流れるニュースのおかげで新聞の必要意義も俺の中では薄れてしまっているし、そうなれば紙媒体よりもモニターを見ている時間の方が長くなるのだから銀塩写真をスキャンするよりもいきなりデジカメで撮影してネットで配信したりする方が合理的なのは自明の理だろう。この稿をお読みの皆様はそうした流行には敏感だと思うのでもうとっくにデジカメを暮らしの中に取り入れておられると思うのだが、少し考えてみて戴きたい。この稿は一応「写真部向けサイト」に向けて書かれているのである。デジカメを手放しで褒めるわけにはまだまだゆかないのである。

 昔、デジカメが普及したら高校の写真部も大きな変革を迫られることになるという話をどこかに書いたような気がするのだが、今はまさにその過渡期を迎えていると言う事ができる。写真を簡単にしよう簡単にしよう、また少しでも関連商品の売り上げを上げようと考えるカメラ・感材メーカーは、近年見境なく商品を売り出しにかかっている。ISO1600のレンズ付きフィルムを「超高感度!!」の美点だけを押し出して売り出してみたり、相変わらずカメラのCFの出演者は片手で撮っているし、カメラメーカーなのにプリンターばかり宣伝しているメーカーはあるしで、人によっては銀塩カメラとデジタルカメラの区別も出来ないのではなかろうか。これはまさに将来の写真部を語る上で大きな障壁になるだろう。写真が上手く写らないのはすべて機材のせいだと思わせる売り方に、俺はかねがね疑いの目を持ってきた。まるでコピー機のように絵記号が並ぶカメラの操作部。「スポーツモード」「ポートレートモード」・・・シャッターや絞りをほんの2,3段ずらすだけのこの機構を、どうしても一般消費者は万能なものとして捉えてしまうだろう。しかもそれらは名だたる一流メーカーから発売されているのである。信用するなと言う方が難しい。「スポーツ」では被写体がどんなときでもピントバッチリでぴったり止まって写ると一般消費者は思うだろうし、「ポートレート」ではどんな状態でも背景がドーンとボケた写真が撮れるような錯覚を起こさせる。少しく写真をかじった方ならお分かりになるだろうが、ポートレートをグラビア並みに撮るにはそれなりの高価なレンズとライティング技術をもってしなければとてもああしたカタログに載っているような写真は撮れないのである。コンパクトカメラのレンズでは何をどうしても、逆立ちしたって無理なのである。下手な誤解を与えないために、カメラはどんどんシンプルになってゆくのが良いと俺などは思うのだが、もう後戻りは出来ないだろう。

 写真はある程度難しいものだというイメージを与えておく事は確かに商売としてはマイナスかも知れない。だとしたら百歩譲ってデジカメはそういう路線で売っても良いだろう。しかしいよいよ銀塩/デジカメの出荷数が逆転したといわれる昨今、もうそろそろ銀塩カメラを簡単・安いというだけで売るのはやめにした方が良いのではないかと思う。自動車にオートマチックミッションとマニュアルミッションがあり、世間の自動車の9割以上がオートマ車になっているわけだが、そのうちマニュアルに乗る人はどのような動機でそれを選ぶのかと考えてみて戴きたい。オートマ限定の免許があることからも分かるように、クラッチ操作なしで運転できるオートマ車は確かに安楽だ。ではマニュアル車はどうだろう。ガラが悪いと批判もあるだろうがそれらの車は少しでも速く、自分の技術を鍛えながら走りたいという需要に支えられているのではないだろうか。(貨物車等は別として)カメラにもそういう棲み分けがそろそろ必要なのだろうと俺なぞは考える。写真好きの読者諸兄には酷な話になるが、どうしたって今後10年、否5年以内には民生用の銀塩カメラは消えゆく運命にあると思うのだ。白黒フィルムや印画紙を街の写真店で買えなくなったという話はよく聞くところだが、そのうちにカラーネガの現像も行くところに行かなければ出来なくなるような時代がきっとやって来ると思う。そのような時代が到来した時に、銀塩写真は再び版画や絵画などと同列のアートとして脚光を浴びる事になるだろう。確かに手に出来る、質感を持った映像。それを撮影するためのメカニカルな機械。マニュアル車がそうなったのと同じように、プロと趣味人のためだけの機械に銀塩カメラはなる。値段はかなり高くなっているだろうが・・・。どうせ今のままでは銀塩カメラは衰退の道を進むしかないし、メーカーとしては不採算部門になるに決まっているのであるから、ここで一つ、「特別な、高尚な趣味の為の機械」という売り方に切り替えた方が良いと俺は思う。某京セラ社のように。

 まあ、こんな愚痴めいた事を書いてもその頃には写真部自体がデジタル化されてしまっている可能性もある。だとしたら俺がここまで書いてきた事も全く無意味になってしまう。

 で、そもそも今日、俺はなぜこういう文章を書き出したのだろうか?

>むしろ心配なのは、現役部員のスキルも著しく低下しつつあるということでしょう。
>昨日確認したところ、彼らは多階調印画紙用のフィルターの使い方すら満足に覚えていませんでした。
>頑なに3号を使いつづけていたのです。
>慌てた我々(べんしゃあ&後三条)は、とりあえず基本的なフィルターの使い方を説明し、
>引き伸ばし機のヘッドを分解して見せたりしました。<ランプの交換方法も知らなかったようです。
>一度、集中的に技術を伝承する機会を設けないと、完全に廃れてしまいます。
>可能な限り、OB諸氏のご協力を乞いたい次第です。
(川越東高校写真部掲示板より)


 写る事が当然だという世の中で育つとこういう事になるのだ。コンパクトカメラ、入門用一眼レフカメラ、そして昨今主流となりつつあるデジタルカメラ。こうしたものを野放図に売りまくられて困るのは写真部の運営者だけ。一般消費者やメーカーには全く非はない。悩ましい春の日・・・。一切がデジタル化されたらこうした悩みは無くなるのだろうか?それともまた新たな悩みが出てくるのだろうか?しかし今のところ写真部といえば銀塩だ。今後ともコンベンショナルに白黒写真が続いてゆく可能性もまた高い。技術の継承、か。いっそのことデジタル化を一気に推し進めるのも面白い。しかし現段階での体力もつけておかなければデジタル化をしても結果は知れている。

 関係者各位の奮起を願いたい。と同時に一度膝を突き合わせて話をしたいものだと思う次第なのである。他の学校の部ではどのような状況になっているのだろうか・・・。現役・OBを問わず幅広くご意見を賜りたいと思うのである。


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