第152回

 新大久保に、何とも生活感のあるマンションがある。1階はスーパーマーケットになっていて、その上に10階建てくらいのマンションが付いているという建物だ。スーパーの前はすこし広い中庭になっているのだが、昼間行ってみても殆ど人の姿を見る事は出来ない。だのに俺は生活感があると言った。コンクリート造りの、何の変哲もないそのマンション。同じような景色ならきっと日本のどこに行っても見る事が出来るだろう。しかしその中庭に立ち、蜂の巣のようでもあり横穴式住居のようでもある部屋の群れに囲まれてみれば俺の言っている意味もきっとご理解頂けるだろう。そして背中には客もまばらなスーパーマーケット。ここに住む人々はここで売られる食べ物によって栄養されているのだなと思う時、俺は人の見えないその空間に強い人気(ひとけ)を感じるのである。

 さて、その中庭には公衆トイレが付いている。正確には居住者や、そのスーパーに買い物に来る人たちのために設けられたトイレなのだが、俺はその場所を、2度利用した事がある。全面タイル張りで、場所柄からか「ここで洗濯をしたり体を洗ったりしないで下さい」などと張り紙がしてある暗くて淋しいトイレだ。

 最初は3年前の1月の末だった。前職で、その場所の近辺での仕事があった俺は集合時間までの暇を持てあまし、偶然そのトイレにたどり着いた。何しろ当時の俺にとってトイレは生命線だったのだ。禁煙を旨とするセンセイのために、仕事の前には煙草をまとめ吸いするのが常だった俺は、その匂いを隠すために顔や腕を石けんで洗い、うがいをしてミントを舐めなければならなかったからだ。俺はその日もいつものように個室に籠もり、ハイライトに火を付けた。いや、もしかするとわかばだったかも知れない。

 そういう時に考える事は全くなかった。ただただ紫煙を眺め、のどを灼く煙草の味に身を委ねるだけだった。強いて言うとすれば、その時が1秒でも長く続いて欲しい、という事くらいだったろうか。

 前職も終わり頃になると、俺は捨て鉢になって昼間から酒を飲む事も多くなった。酒を飲んでいた方が仕事中、時間が経つのが僅かだけれど速く感じられたのだ。その日の俺は、ハイライトを早々に切り上げて個室を出、そのスーパーに酒を求めに行く事にした。

 酒は昼も夜も同じ顔をして棚に並んでいる。酒は夜に飲まなければならないと言う法はない。しかし昼間からトリスのポケット瓶を買う青年を周りはどのような目で見ていたであろうか。俺は微塵の後ろめたさを感じながらそれを持って同じ個室に戻ったのだった。

 近頃ではトイレで携帯、トイレで食事などという人種も多いように聞いているが、トイレで酒もまた何とも言えない惨めさ加減だ。流石に外で飲む勇気は当時も今もない。自分を量りながら、キャップに付いた小さなコップで酒を進めてゆく。2杯くらいではすぐに醒めてしまう。酔うために3杯、4杯。結局つまみもなしに半合を開けて、俺はほろ酔い加減でその日の―前職最後の日の―現場に向かったのだった。そしてその日のセンセイの評価が今までで一番高かった事は忘れがたい皮肉だ。

 そして2度目は先週。俺は3年前の出で立ちと違い、背広にネクタイ、トレンチコートでそのトイレを訪れた。トイレに訪れるという言い方はいささか奇妙にも聞こえるだろうが、あの忌まわしい場所に仕方なく行かなければならなかった決意の表れとして聞いて戴きたい。その日の俺はたまたまその近くの事務所に所用があってそこに立ち寄らざるを得なかったのだった。

 蛍光灯はあの日と同じ緑の光を放ち、床の排水孔からの臭いはむしろ懐かしかった。今回は煙草を喫うという目的ではなく本来のトイレの用途のために俺はその個室に入ったのだ。

 あの日、あの時と同じ光景が目の前にあった。時間も丁度同じ頃だ。鈍い光沢を放つ配管に薄緑のタイル。無為に廻る換気扇の音。都心なのにそれを感じさせない隔絶感。

 ただ少し違う事は、3つ年をとった事と、もうここで煙草を喫う必要もなければ酒を飲む必要もないと言う事だけ。

 そんな当たり前の事が嬉しい早春のお昼前だった。
 


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