第144回

 早朝。テレビのどのチャンネルを見ても、あのカラフルなテストパターンやら砂嵐、あるいはBGMだけが流れている時代はもうとうの昔に過ぎ去ってしまった。テレビは通販番組を流しておけば幾ばくかの儲けが出る事に気付いてしまって、その早起きの朝の有り難みの助けにはもはやなってくれないのだ。テレビが24時間話しかけてくれるのは嬉しいけれど、無為にあのテストパターンとビープ音が流れるあの時間もまた懐かしいと思う今日この頃なのである。
 
 と、いうわけで俺は今過ぎ去ってゆく2002年の正月の余韻をひとり、しかも朝の5時30分から味わっているのだ。早朝パートに出ている妻はもう5時前には出てしまったので、俺は完全にひとり。こんなひとりの朝にはもう慣れきってしまったのだけれど、仕事始めの朝となれば事情が違う。久々に学生時代の長い休みの終わった朝のような感慨を覚えているのだ。浅い眠りに何本もの夢を見て、(夕べは巨大ミミズが小さくて頭の長いゴリラのような生物に化ける夢を見た。かなり怖かった)これから始まるお盆までの長いスパンに思いを馳せるとき、俺はどうしても繰り返される人生の悲哀を覚えずにはおれないのである。小学生の頃に感じた長い休みの名残惜しさが今でもそのまま残っているというか・・・。
 
 ・・・しかしこのコラムにはいかんせん、昔語りや哀話やら、そんなネガティヴな話題が多すぎる。もっと将来のビジョンやら希望やらを偶には書いてもいいようなものであるが、どうにもこうにも筆者の性格上仕方ないのである。前置きが長くなったけれど、これが本年最初の恍惚コラム。本年も旧年中と変わらぬご愛顧を賜りたいのであります。今年1年どんな話題が出るのやら。本人も知らないのだから読者の皆様に分かるはずもございません。ま、本年も皆様の暇つぶしのお手伝いをして参りたいと思っておりますので何とぞ宜しくお願い申し上げます。
 
 さて、そういうわけで本題に入りたい。近頃年末年始で忙しい日々を送っていたのだが、26歳の俺にも「最近の若い者は・・・」と言いたくなる事が多々あって少々疲れ気味な昨今なのである。要は「金が先か?それとも仕事が先か?」という問題に収斂されてゆく事なのだが、「言われた事さえ、決められた事さえしていればよい」という考えの同輩・後輩が多すぎて仕事が全くスムーズにゆかないのである。
 
 それは確かに了解出来る事なのである。時給で日給月給の人間に対して客との折衝や上役への気遣いを求める方が間違っているのかも知れない。どの企業も簡単には正社員を入れなくなった昨今、そうした時給に反映されづらい「体ではなくて気を遣う」業務は正社員がやれよ、と時給で働く人々は思うのかも知れない。
 
 しかし、である。彼らは誰が給料を払ってくれるのかと言う事に気付かないのだろうか?それは他でもない「お客」その人なのである。現場に出て作業をする、確かにその目的で会社に入ってくるという事は間違いではないのだが、金を払う人がどうすれば喜んでくれるのか?そこに思いを致す事はそんなに難しい事なのだろうか。卑近な例を言えば、まず挨拶や返事が出来ない。また業務が終わるとわき目もふらずに帰ってしまう。あきらかに目の前の壁や什器が汚れているのに、「注文は床だけだから」と触りもしない。(注:筆者は掃除屋です)お客とその作業員の板挟みになる俺はいつもヒヤヒヤ、いつ客にどやされるかと心配しなければならない日々なのである。そうした仕事ぶりだからいきおいクレーム・再作業も増え、その作業は無料で行わなければならないから会社としてはどんどん赤字になってゆく訳なのだ。「純」サービス業の難しさがここにある。例えば、電気器具の修理を無料でやり直すことがあるだろうか?(あることはあるだろうが)また、風俗嬢が下手だったからといって無料でやり直させたらどのような事になるだろうか?普通のサービス業より格下だと思われている掃除屋の弱みがここにある。
 
 また、会社の中にいても同様で、他の人がどんな仕事をしていても、あたかも「手伝いましょうか」と言う事が禁じられているかのような素振り。10代後半〜20代前半のアルバイトを抱える企業はどこもこのような状態なのだろうか。俺なぞは前職で大分理不尽な思いをしたので現職は楽で楽で、まだ気の使い方が足りないように思うくらいなのだが。
 
 先日、高齢者(といっても70手前くらいの方々。たまに仕事をお願いしているのだ)の方々と飲む機会があったのだけれど、その席上でこんな話が出た。「最近の子供がダメになったのは全て親が悪い。戦中世代の親が団塊の世代を甘やかして育て、その団塊の世代の人の子供が子育てをする時代。誰がまっとうな躾をする暇があっただろうか」と。今68歳、10代で群馬の田舎から一人東京に出て来て以来実家の世話にはなったことがないという彼の言葉には確かな重みがあった。納得せざるを得ない論なのだが、それでは子育ての、あるいは常識の再興はいつのことになるのだろうか。
 
 ともかく、金が先か。それとも仕事が先か。ただで、とは言わないけれど、少なくとも金の出所を考えて、仕事のために仕事をして行けるような職場にしてゆきたいと思うのである。皆様の職場はどのような事になっておられるだろうか。職種を問わず、似たような事になっているような気がするのだけれど。

  


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