第14回

 
 連休も終わり、いよいよ春、っていうか初夏ですな。今日あたりは25℃を超えるというし、Tシャツ一枚で歩けてしまう。ついこの間まで冬だったことを考えると、これは人類史上まれに見る進化ではないか!!何が進化かって、もう夏服を着ている女子高生がいるというのが最大のエボリューション。まだ5月始めなのにだぜ、もうあの半そでを晒して歩いていやがるんだから、何とも罪作りだねい。それにしても制服。一体制服の何が私を惹きつけるのだろうか。男女を問わず、制服を纏うもの、そして制服自体が私に郷愁とも呼べる感情を呼び起こす。制服は私にとって安穏として生きていたころの象徴なのかもしれないし、あるいは大勢の人間が同じ服を着ているというマゾヒスチックな光景が心地よいのかもしれない。さもなくば思春期の満たされぬ思いがこの服を通して蘇っているのかも知れない。いずれにしろ、私は制服フェチだ。これだけは断言できる。
 様々な種類の制服を目にするにつけ、もっといろいろな種類のものを見たくなる。同じ目的で作られているはずの、何の変哲もないただの服に施される意匠。細かいディテールにこだわればこだわるほど、私はそれに込められたドラマに近付くことが出来る気がする。その表面に刻まれる染みの一つ一つさえが、私に何かを語りかけているかのようだ。
 ところで、制服、と云っただけで眉を顰める人がいる。制服は管理教育の象徴だと云って廃止を叫ぶ人がいる。彼らは制服を忌み嫌うような振りをしながら、実は私などよりもその猥褻さを無意識のうちに知っているのかもしれない。いやよいやよも好きのうち。オールドミスがミスコン廃止を叫ぶのも、煙草で癌にかかった人が煙草会社を提訴するのもこれと似たようなものではあるまいか。制服好きを公然と云う人間よりも。我々日本人は、本能的に制服の猥褻さを知っている。ただ、そんな猥褻さは社会通念上あるべからざるものであるから誰もが解った顔をして制服反対を唱えるのだ。制服が個人の自由を奪うからという主張ももっともなのであるが、だからといって現在の中学・高校から制服を取り上げて何が変わるというのだろうか。結局内申書や大学受験にからめとられて自由は奪われるだろうし、また、誰もが牽制しあって自由奔放な格好などはなかなか出来るものでもなかろう。教師は判断基準をなくし、親は制服の復活を求める羽目に陥るに違いない。経済的にも制服の方が圧倒的に有利なのはいうまでもない。
 また、制服を着せておくことによって彼らが中学・高校生であるという事が一目で解るという効果も見逃せない。いくら世の中が荒れているからといって制服のまま居酒屋に入ったりパチンコを打ったりする輩はまだまだ少数派だろう。制服のままエロ本を買ったりラブホテルに入ったりするのも憚られるだろうし。これはまあ着替えてしまえばおしまいなのだが。しかし着替える間に彼らの羞恥心や自責の念を刺激する効果はあるだろうと思う。薄暗い駅のトイレで制服を脱ぐ彼らの心境はいかなるものか。そんなことをするくらいなら家に帰ってプレステでもやった方がいいやと思わせる位の威力は有ると思うんだが。
 制服が金になる世の中、「制服」というその言葉はいわばトレードマークになった。その言葉が惹起させるものは甘酸っぱい青春の思い出ではなくずばりセックスだ。現代が制服をより猥褻にしてゆく。制服がきれいなままでいられる時代は帰ってくるのだろうか?

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