第138回

 規則正しく電車通勤をしていると、土曜日の朝の電車はやけに空いているというコトに気付く。何の事はない、単に公立の高校生が休みになるからそれで空いているというだけの話なのだが、この件について俺はウラヤマシイ、と思うと同時に役人の傲慢さをひしひしと感じる。

 労働を週40時間に、と言い出したのが誰なのか俺は詳しくは知らないけれど、それが役人やその関連の業種にしか通用していないということを役人達はちゃんと分かっているのだろうか。役所を土曜閉庁にし、公立学校を隔週土曜休校にしただけで日本に「ゆとり」がもたらされたと考えているのならば彼らの前頭葉を摘出してやったほうが余程親切だと思う。土曜も正月もなく働き、公共事業を積極的に受注しようと考えている中小企業の人々にとって土曜日に役所が休みなのはどれだけ不便な事か是非考えて戴きたいものだと思うし、行政相談などで訪れる仕事を持つ市民はどのようにして時間を作ればよいと言うのだろうか。俺自身もお役所と仕事をする時にはもうどうしようもない不便さを感じているのである。土曜日に電話をすれば人は出るのに「本日は閉庁日なので」と打ち合わせ(伝言にすら!)に応じようとしないし、仕事に行けばこちらは一生懸命作業をしているのに何としても17時までに閉門しようとする志の低さ。大体、「公僕」を標榜している公務員のための「ゆとり」が民間人を圧迫するようなことはあってはならないと思うのだが如何なものだろうか。        
 そんな中、職業安定所(ハローワーク)の土曜開庁の箇所数が増えるのだという。これはこれで良い兆しであり、救われる様な気がするのだが、昔は土曜日にだって役所は普通に開いていたし、学校も普通にやっていた事を思うと何だかかえって退化しているような気がしなくもないのである。失業率が5%を越えた事を踏まえての措置だというが、もう少しこれを早めていれば5%にまで達していなかったかもしれないと思うと慚愧の念にたえない。

 その職安なのだが、先日求人を出しに行って驚いた。そこでは液晶モニター付きのPCが20台近く並んでいて、求職者の人たちはそのモニターに映し出される求人票を見ながら仕事を探していたのである。以前なら求人票のファイルを何人かで見られるしくみだったそれが電子化によってPCの台数分でしか見られなくなっている、という事だとしたらそれは本末転倒ではないかと思った。事実、そのPC待ちで何人もの人が並んでおり、その人達はその間何をするでもなく佇んでいなければならないようだったのだ。じっくり見てこなかったので、もしかしたら従来のファイル形式でも探せるのかも知れないが、これは雇用の機会をかえって少なくさせる仕組みなのではないかと思ったのだった。俺がその時出した求人は55歳以上の方にトイレ清掃をして戴きたい、という内容だったのだが、いつもなら高年齢者用の求人を出せば当日〜翌日には必ず1本は問い合わせの電話が入ってくるものなのに今回は全くなしのつぶて。職安に入ったらいきなりPCの列で面食らった高年齢者が求人票を見る事が出来なかったという構図が目に浮かぶのだが、もしそうだとしたら職安はその意義をIT化の名目で自ら放棄した事になる。

 日本人は働き過ぎだ、というそしりを受けないために日本のお役所は何とかして日本に「ゆとり」をもたらそうとしており、その努力はまだ続くことであろう。しかし祝日の数は欧米諸国のそれをはるかに超えたそうだし、「ハッピーマンデー」なる訳の分からない法は祝日がその日である、という意味を曲げてまで3連休を連発している。もう休みは十分なのではないか?休日は多いのに国民は全く「ゆとり」を実感出来ていないという現状に政府はどのように応えるつもりなのだろうか?俺は敢えて言いたい。景気が戻るまでは役人は土曜も働くべきだと。そして週40時間労働制を緩和してもっと働かせるべきだと。民間人は平気で週5〜60時間は働いているのである。本当に週40時間しか働かない会社員は非常に稀な存在である。それが例えサービス残業であろうとも、人が動く所には必ず金の動きが生まれる。今の時代に「ゆとり」を言う事はもはや時代錯誤だと言って差し支えないだろう。それは休みは多い方がいいに決まっているが、役人ばかり遊んでいては示しがつかない。せめて景気が良くなるまでは何とかして欲しいものなのである。

 そういえば下世話な話になるが、公務員の給与は週休2日制導入前と導入後で少しは変わったのだろうか?公務員を休ませれば少しは節税になるというのならまた話は別なのだけれど・・・。それから学校の教員の夏休みの間の給与は他の月とどの位変わるものなのだろうか?普段通りだったら暴動が起きますぜ・・・。

  


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