通勤ラッシュの電車に乗るにつけ、夕刻の繁華街を歩くにつけ、高校生の人口は絶対に女子の方が多いと思うのは俺だけだろうか。環境ホルモンのせいで女子の出生率が高まっている昨今ではあるが、まだまだ男子の方がこの日本には多いはずなのだ。俺の記憶が正しければ。それにもかかわらず、目に付く高校生に女子の方が多いと思うのは単に俺の女子高生好きの賜物というわけでもなさそうだ。
女子は運動部などで遅くまで部活動などをせず、下校時間が似通ってくるために数がまとまって見えるのだろうか?それとも女子は群れたがる種族だから多く見えるのか?あるいは・・・?今挙げた2つの仮説もあながち間違ってはいないだろうが、もっと別なもっともらしい理由もきっとあるはずだ。これは是非とも研究してみたいテーマなのである。
まあ基本的に女子高校生が嫌いな殿方はおられないだろうと思うので、ひいき目を避けるためにもこの際女性の方に問いたい。やはり女性の目にも女子高生は男子高生よりも多く見えるのでしょうか?それとも女性には男子高生の方が多く見えるのでしょうか?女性の読者の方、是非教えて下さい。
しかし若さは全てを救うと思う今日この頃なのだ。四捨五入すれば30に手が届く年頃になると、そろそろ「若いから・・・」という言い訳が出来なくなってくる。そんな眼に高校生のぎこちないカップルやらエグイ化粧のギャル、そして坊主頭の、本当に喜んで野球をしているのかどうかも分からない高校球児などの姿が飛び込んでくると俺は心の奥底の粘膜をくすぐられるような心境になる。そして、そんな気分の時にはどんなに器量の悪い娘でも、あるいは頭が悪そうな野郎でも「若さという点においてこいつらには絶対に負けた」と思ってしまうのである。
美しいと言う事は若く見えるという事ではない(原文は英語だったが失念)、という化粧品会社のコピーがあったけれど、若さ=美しさという事はまず認めねばならないだろう。その上で歳を重ねたなりの美しさがあると思うのだ。つまりこのコピーは熟女(失礼)に化粧品を売るための気休めの文句だと言う事ができよう。人は誰しも若さという名の最強の化粧品を持って生まれてくる。それを生かすも生かさないもその個人次第なのだが、もはやその点についてのご意見は無用だろう。
そして若さがもたらす美しさ以外の特権といえばやはり何をしても許される、救われるという点ではなかろうか。今更戻りたいとは思わないのだけれど、若さがもたらす「不自由さと無責任さ」には、成人が持つ「自由さと責任」に代え難い甘美さがある。
器量良しでなくても、いい。
金がなくても、いい。
無精ひげだって、いい。
人見知りだって、いい。
何を着たって、いい。
常識がなくたって、いい。
貯金がなくても、いい。
弁が立たなくても、いい。
不器用だって、いい。
必死で覚える事など、何もない。
若さが、全てを救う。
若年寄のひがみと笑わば笑えだ。この文章を書きながら俺はこれを10年後に読んだら物凄く恥ずかしいだろうなと思っているのだが、多分納得は出来るだろうと思うのだ。30になれば20代を、40になれば30代を、俺はきっと懐かしみながら生きてゆくのだろう。「今が一番楽しい」と言い切るポジティブな人々も居るが、俺にしてみればそれは虚勢にしか見えないのだが如何なものだろうか。知っている過去。そして知らない未来の狭間に生きながら「今」を絶賛する勇気は少なくとも俺には、ない。
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