第127回

 秋になって寂しい、と言うと俺は妻に「どうせ昔好きだった女に振られたのが秋だったからでしょ」と言われてしまう。女性の執念というか、仮想の敵に対する敵愾心にはいつも恐れ入っている。テレビに俺の好きそうなタイプの女性が出るや否や嫌な目でこちらを睨むし、ご機嫌が悪いときにモーニング娘。や加藤あいの話なぞしようものならもう直ぐに拗ねてしまう。まあ、それが無くなったら無くなったで寂しくなるのだとは思うが、あんまり自分の夫を疑うのも如何なものかと思う。

 さて、そんな話がしたかったのではないのだ。秋。毎年毎年秋になると寂しい、という話を書いているような気がしなくもないのだが、今回も例によってその話をしようと思う。今年(2001年)の夏の異常な立ち上がり方は来るべき秋への早すぎるスタートダッシュだったようだ。実際、7月に38度級の猛暑を体験してしまったために今年の夏は例年に比して涼しく感じられたし、9月になったとたんに曇りの日が続いて一気に長袖が必須アイテムになってしまった。暑ければ暑いほど調子がいい変温動物の俺にとって、この涼しさは百害あって一利無し。近頃ではすっかり寝起きも悪く、肩も凝り過ぎて回すと音がするほどだ。急激な気温の変化が体内のある種の物質の産生を妨げているとしか思えない最近のていたらく。そしてその何らかの物質の不足が俺をして秋を寂しく感じさせているとしか思えない。

 否、9月になって夏休みが終わってしまって寂しいとかいうのなら分かるのだ。40日余に亘る夏休みが終わって、恒例の夜中の室内でっち上げ写生や自由研究の果てに疲れ果てて学校へと戻らなければならないアンニュイさ。これは誰の目から見ても寂しい事だろう。しかし、我々社会人、殊に俺のように零細企業に勤める人間にとっては夏休みも冬休みも無関係だ。昨年の俺の冬休みは2日だったし、先の夏休みは1日だけだった。秋の寂しさが夏休みの反動だという論はここで破綻してしまう。でもやはり8月が終わり、学生たちが電車を混雑させる9月がやってくると何だかこちらの方も夏を口実にダラダラ出来ないな、という気にはさせられるのだが。

 また、俺のこの2年間の秋を寂しくさせている理由として、例の俺が起こした夜逃げ事件の影響もまた大きい。その為にそれまで恒例としてきた出身高校の文化祭に顔を出せなくなってしまったのだ。調子に乗って(というよりも本人たちの努力の賜物だが)高校・大学を通して同じ学校・学部に2人も後輩を作ってしまい、さらには大学の時には同じアルバイトに引き込んでしまったものだから、到底彼らもやってくる場所には顔を出せない訳なのである。俺が昔、さんざん偉そうな顔をしておきながら、その後輩たちの方が全うに写真の道を歩んでいると言う事に対して、俺は恥じらいを禁じ得ないし、どのような面を提げて彼らに会ったものか分からない。

 俺が如何に蒸発したかという点、そして今どこに住んでいて何をしているか、彼らは気になっていると思うのだ(「去る者日々に疎し」と言う事で、もうどうでも良い事になっているかも知れないが)。普段は忘れていても、俺の顔を見たら根堀り葉堀り聞きたくなるのが人情というものだろう。俺が生きていて掃除屋をやっていて、そして埼玉県の何処かに住んでいるという事くらいは漏れ伝わっているのは承知の上だが、若しも昔の仕事の上での関係者に俺の近況が伝わってしまうとすればそれはとても不快極まりない事なので、年若い方の後輩が来年に大学を卒業するまで文化祭の方は自粛しておこうと思う次第なのである。勿論その後輩の諸君を信用していないわけではない。ただ2年間という歳月はまだまだ俺のトラウマを拭い去るのには短かすぎる。

 読者の皆様にあっては26歳にもなっていつまでも高校の文化祭なんかに行ってるんじゃあないよと思われるかもしれないが、やはりそれまで習慣に、心の拠り所にしていた事を理不尽な理由で欠かさなければならないのは大きな喪失感を与える物なのだ。写真部部長はカメラマンになれないというジンクスを作り出した場、高校写真部。その文化祭に青春を賭していた俺。折しも今日はまさにその文化祭の日。昼寝の最中に2回ほど携帯電話に着信があったのだが、今日の俺は何処にも居なかったのだと思って戴きたい。本当に申し訳ない。
 
  それでも秋はどんどん深まってゆく。この先何度の秋が俺に来るかは知らないが、毎年毎年新しい秋を、寂しがりながら楽しんでゆきたいと思う初秋である。


  


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