第122回

(筆者注:筆者は以前、確実にカメラマンを目指していた人間であります。このことをお含みになって読んでいただければ幸いです。この文章は写真愛好家・カメラマンにとって不快な内容を含みます。そのような文章を読みたくないと思われる方は直ちにブラウザを終了、あるいは他のページに移ってください。なお、この注意を無視してお読みになった上での苦情は受け付けませんのでご注意ください。これは筆者自身への戒めの意味を込めた文章であります。何卒ご了解下さい。)


連載「カメラマンにならないためのいくつかの方法」
(7
)あとがき

 人は誰しも、一度は芸の道で身を立てたいと思うものだと私は信じている。例えば、子供たちが卒業文集の中で「将来の夢」の欄に給与生活者としての職業を挙げる事があるだろうか?(「電車の運転手」や「学校の先生」などは別だが)そこに書かれるのはプロサッカー選手であったり、歌手であったり、F1レーサー等の職種であることが殆どであろう。かほど左様に人間の遺伝子の中には「自分が」「自分の名前で」仕事をしたいという本能が埋め込まれているのだ。そしてそれらを荒唐無稽な子供の戯言と片づけるのはいかにもたやすい事だろう。しかし、三つ子の魂百までという言葉が示すように、その本性はその子供が何歳になっても覆い隠されこそすれ、完全に消え去ってしまう事はない。この稿の読者は殆どが10代後半以上の方々だと思うが、皆さんの最初の夢は一体どのような物であっただろうか。そして今、皆さんは納得ずくで今の自分の生活を過ごしておられるだろうか。納得しようがしまいが、青年は然るべき年齢になれば自ら働いて金を稼いで来なければならない境遇に陥る。夢だ希望だと言っていられるのはその然るべき年齢に達するまでの限定的な特権なのかも知れない。

 そんな中で、人様に憧れられる職業に就く人々はその限定期間内にいい動き方を出来た人々なのだと私はこの歳になって思う。私より年上の人々にとっては笑止千万な論だとは承知の上だが、芸の道により深くかかわって行くためには早ければ早いほど良いものだ。もし私が今歌手デビューしたら「遅咲きの・・・」という接頭辞を付けられるだろうし、30歳を過ぎて脱サラカメラマンでもないだろう。私が今後芸の道に進むにしろ進まないにしろ、他人様より出遅れているという事は揺るがせようのない事実である。読者の皆様は今、どのような位置に立たれているだろうか?

 夢を果たせなかった(=大抵の)人間はすべからく心の中に残る梅干しの「仁」のようなものを嘗め、噛みしめ、そして味わいながら死ぬ事も出来ずに生きてゆく。それを甘いノスタルジーと解釈するか、牽かれ者の小唄と聞くか、それは皆様一人一人の自由である。ただ私はその「仁」の味をここにつまびらかにしてきただけなのだ。本稿は「カメラマンにならないためのいくつかの方法」というタイトルではあったが、私はここにあらゆる「夢」を込めたつもりだ。つまりこの「カメラマン」の部分を「小説家」や「歌手」に置き換えても読めるような文章に仕上がったと自負している。ぜひご愛読願いたい。

 簡単に叶う願いは夢ではなく、単なる希望にしか過ぎない。叶わないからこそ「夢」と呼べる。

 この結びの文句は牽かれ者の小唄か、否か。その判断を皆様にお任せして、この稿を終わりにしたいと思う。

 長い間おつき合い戴き、本当に有り難うございました。

2001年8月5日
若林 茂樹

(完)

来週からは今まで通りのランダムな内容でお送りする・・・ハズ・・・。

  


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