第119回

(筆者注:筆者は以前、確実にカメラマンを目指していた人間であります。このことをお含みになって読んでいただければ幸いです。この文章は写真愛好家・カメラマンにとって不快な内容を含みます。そのような文章を読みたくないと思われる方は直ちにブラウザを終了、あるいは他のページに移ってください。なお、この注意を無視してお読みになった上での苦情は受け付けませんのでご注意ください。これは筆者自身への戒めの意味を込めた文章であります。何卒ご了解下さい。)


連載「カメラマンにならないためのいくつかの方法」
(5)生き様としての、ハッタリ 

 私は常々、人生にはある一定の「幸福の幅」のようなものがあって、その中にある様々な幸福の要素を高めるか低めるか、それが他人に与える印象を左右しているという気がしている。ある要素を高めてゆけば相対的に他の要素が下がってゆき、逆もまた真なりで、結果として各要素の平均値は誰しも一緒なのだという考え方である。平たく言えば、大富豪やら芸能人の家庭生活が実は不幸なことが多いとか、あるいは慎ましいながらも愛に満ちた生活を送っている人々の方が実は幸福なのだという美談とか、すなわち何らかの点で飛び抜けて幸福な状況になれば他の要素の幸福度は減ってしまうという考え方だ。そして悲しいことだが、その外見に表れる幸福の要素がリッチなものであればあるほど、その人の社会的信頼度、好印象度は上昇してゆく。

 ここにおいて「印象」という言葉を用いたが、これは先述したようにカメラマンになるにあたって必ず重視される事柄である。要するに自分の見た目を磨くこと、あるいは自動車や住宅に高級な物を奢ること・・・、これらに何らの疑念も感じずに邁進し幸福を感じ、そして他の種々の幸福の要素を減じてまでもクライアントたるプチブル(中流)階層に同化してゆく事こそがカメラマンになるための幸福の使いどころなのだ。多くのカメラマニアや写真愛好家はプロカメラマンのこうした「ハッタリ」の部分を理解されていないように思う。カメラマンが東京都内に住み、小さくても外国車に乗りたがり、横文字言葉で話したがるのは何故なのか?その答えは「ハッタリ」、言葉は悪いがこの一語に集約されてゆくのだと考える。しかし、多くのカメラマンはこれはハッタリではないと断言することだろう。我々一般人にしてみれば、家賃の高い都心の部屋に住むことや壊れやすい中古の外国車に乗ること、また維持費の高い外国産大中判カメラを使うことはいかにも非合理的で無駄なことに見える。そしてそれはある種の幸福を自ら逃しているように見える。しかし、それらの投資を彼らは決して無駄だとは思っていない。むしろ業界の不文律、常識として理解しているのだ。個性が重視される(と思われている)そうした業界にあってもそうした横並び意識はまだまだ根深い。また、クライアント側でもそうした「モノ」に騙されがちだという事も悲しい事だ。北欧生まれの例の金属製6×6判カメラを使っているだけでクライアントが安心するというのはしばしば聞かれるエピソードである。・・・話が若干逸れたが、つまりこういう事である。カメラマンになる人々というのは、たまたま自分の望む幸福のポイントがクライアント受けするものだった、と。だから一般人にしてみればハッタリに見える事でも、本人たちにしてみればごく自然な生き様なのだ、と。

 そう言っては身も蓋もないと読者の皆様は思われるかも知れない。自分だって撮影に必要な機材には随分な金をかけ、それなりにリッチに見えるぞという方も多いだろう。しかしそれにはまだ何かが不足しているのだと思う。もし、今書いたような台詞(「自分だってノ」)が心の中にあるという皆様は、その生き様としての自然なハッタリをまだ実践出来ていないと言う事なのだ。意識して金を使っているうちはまだまだ真のハッタリスト(?)ではない。意識をしているということはまだそのカメラマン的流儀における金遣いに疑念を持っているということだと私などは思うのだが、如何だろうか。ともかく金だけはいくら持っていても損はしない、カメラマン業界というのはそういう世界であった。

 ・・・「カメラマンにならないための方法」という主題を持ったこの連載に、あまり運命や宿命めいたことを書くのは気が引けたのであるが、単なるカメラ好きで他の物に金を使えないということではプロとして通用しないのだという事実をお伝えしたくてこの項を設けてみた。物欲の対象としてのカメラから、自分自身を飾るためのカメラへ。蒐集の対象としてのカメラから、クライアントに見せるためのカメラへ。この文章の読者のアマチュアカメラマンの皆様がもしプロカメラマンになる事をお望みならば、この生き様としてのハッタリとは何かと言う事を是非私と一緒に考えて戴きたい。意識して出来る事ではないにしても、これをおぼろげにでも理解した暁にはカメラマンになる、ならないという2つの運命をある程度は自分で操作する事が出来るようになると思うからだ。
(来週に続く)

  


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