第118回

(筆者注:筆者は以前、確実にカメラマンを目指していた人間であります。このことをお含みになって読んでいただければ幸いです。この文章は写真愛好家・カメラマンにとって不快な内容を含みます。そのような文章を読みたくないと思われる方は直ちにブラウザを終了、あるいは他のページに移ってください。なお、この注意を無視してお読みになった上での苦情は受け付けませんのでご注意ください。これは筆者自身への戒めの意味を込めた文章であります。何卒ご了解下さい。)


連載「カメラマンにならないためのいくつかの方法」
(4)2つの人種 第2回 

 写真の、写真による、写真の為の生活―これを以て最良とする価値観を持つのがB群の人々の特徴である。趣味は写真で、職業も写真だったらこれ以上の幸福はないと考える人々だ。その目標の実現に注力しすぎる結果、B群の人々の多くは写真・及びその資機材以外に資力も興味も分配することが出来ず、若者らしい趣味も格好も出来なくなるのが常である。若者らしい趣味とはこれまた曖昧な語を使ってしまったものだが、これは例えば旅行であったり、自動車であったり、あるいは被服の購入や流行の各種店舗での購買活動、というくらいの意味合いである。要するに写真以外の通俗的な、マスコミに報道される頻度の高い趣味だと言うことで同意して戴きたい。そうした日々を送るうちに、B群の人々は確実に世間から「取り残されて」ゆく。自覚していようがしていまいが、彼らの世間話におけるトピックスなボキャブラリーは少なくなっているし(勿論同じ人種相互の会話は問題なく成立する)、服装を見ても若い世代の「モテたい」という自然な欲求をわざわざストイックに押し殺しているかのような印象を与えてしまいがちなものになってゆくのだ。この純粋な感情から発生する写真への注力ぶりが、後述するようにB群が渇望する「趣味は写真で、職業も写真だったら」という理想を遠ざけているという現実を説くにあたって私は得も言われぬ寂寥感を覚える。私はこの一連の連載の最初の辺りで「愛すれば愛するほど遠ざかってゆくもの」という表現を用いたが、本当に写真「のみ」を愛している人であればあるほど、その愛に報われにくいという現実は、人間の死を前提とした宗教への信仰の如き因果さを私に感じさせずにはおかない。

 一方、A群の人々というのは写真を2の次にしているとB群の人々からは思われがちである。先に箇条書きで述べた特徴はどうしてもB群からしてみれば「不真面目」としか映らないのは不幸な事である。同時にA群の人々の作品と、B群の人々の作品を見比べた際に有意にA群の作品の方が被写体が多彩で興味をそそるものが多いという事もB群にとっての不幸と言えよう。暗室に籠もる事が多く、余暇もカメラの物色や写真関係の書籍の閲覧に費やす機会の多いB群の人々にとって様々な被写体との邂逅の機会が少なくなるのは自明の理なのではあるが、この事実の原因にA群の人々もB群の人々も未来永劫に亘って気付かないであろうと私は悲観的感情をもって信じている。

 さて、もう結論は述べてしまったようなものではあるが、改めて明言すれば、明らかにA群の人々の方がカメラマンになる資質やチャンスが大きいと言える。先に箇条書きにした要素はすべて彼らの写真の上での成功に寄与することばかりであるからである。写真はサロンの為のものではない。写真愛好家やプロカメラマンの間だけで通用する写真は我々の物理的な空腹を満たすものでは決してあり得ない。広く一般の、写真を自ら撮らない人々の役に立ち、あるいは目の幸福になるものでなければ商売にはならないのである。カメラマンに仕事を与えるクライアント(出版社・新聞社・広告代理店等の人々)に営業をかけ、プレゼンテーションを行う段になって初めてB群の人々は苦汁を嘗めることになるのであろう。そうした、カメラマンに仕事を与える人々は一様に一流大学卒でそれなりの給与を貰い、中流以上の小綺麗な生活をしている人たちだ。そこではカメラマン志望者も彼らと同じ俎上に乗せられ、人間性から評価されてしまう。彼らクライアントにとってカメラマンとは要求する写真を確実に撮ってくれさえすれば良いわけだから、どんなに気取ったポートフォリオ(プレゼンテーションに使用する作品のファイル)もはっきり言って大した役には立たない。そのカメラマン志望者がどんな身なりで、いかに多数の「引き出し」を持っていて、かつ主観的で観念的な写真の注文というものに対してどれだけクライアントのイメージに近いものを提示できるかということだけがカメラマンの条件として求められるのである。「作品撮り」は大切なことであるとは思うが、結局実務に入ってしまえば同じイメージを求められる事はまずないのだから。それよりも心配すべくは、そのプレゼンテーションの場で、もしスポーツの話が出来なかったら・・・或いは流行の店に行ったことがないという事を告げねばならなくなったら・・・という事である。B群の人々は、その期に及んでもっと写真以外の遊びをしておけばよかったと思うに相違ないのである。

 だから、カメラマンになろうと欲する者はA要素を意識して生活するべきだし、逆であればB要素を生かして生活しておけば間違いない。但し、ここにおいて忘れてはならないのは、人生における幸福の量は何をしていても大差ないという事だ。
(来週に続く)

  


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