(筆者注:筆者は以前、確実にカメラマンを目指していた人間であります。このことをお含みになって読んでいただければ幸いです。この文章は写真愛好家・カメラマンにとって不快な内容を含みます。そのような文章を読みたくないと思われる方は直ちにブラウザを終了、あるいは他のページに移ってください。なお、この注意を無視してお読みになった上での苦情は受け付けませんのでご注意ください。これは筆者自身への戒めの意味を込めた文章であります。何卒ご了解下さい。)
連載「カメラマンにならないためのいくつかの方法」
(4)2つの人種 第1回
元来、「他人は他人」とたやすく思えてしまう性質の私は世間の流行を追うこともなく、また同業者の動向も積極的には知ろうともせず、「独立独歩の気概」をもって写真愛好家〜セミプロまでの道筋を歩んできた。この点は私がカメラマンにならなかった最大の理由なのだと思っている。初めの方に書いた話とも関連するのだが、こういう性質は人間の「引き出し」を少なくさせてしまう。自分が良ければそれで良い、というスタンスでは仕事はおろか、銭などは到底貰うことが出来ないということについてはこれまでに述べてきたのであるが、この項ではその事について少し違う観点から述べてみたい。
写真学校に集い、そして中学・高校の写真部に集う人々。その中に2種類の人種が居るという事に気づいたのは私が大学に入って直後の事だからもう7年も前の話になる。同じ写真を目的とし、親しく会話をする人々を瞬時に峻別する方法が実は存在するのだ。それは―ずばり、服装のセンスにおいてである。何がどう、とはなかなか筆舌では表現しにくいのであるが、「A群」と「B群」という風にはっきり分けられるという事にまず異論はないはずである。その判別に際してその服たちがどこで買われたかとか、あるいはどこのブランドの物であるかという事は全く関係ない。ただのTシャツに、ジーンズを穿いただけの姿でもいい。安いスニーカーに、ユニクロのフリース姿でもいい。しかし、そうした種々の気取らない服装の中にも「A群」「B群」の2種類が存在してしまうということについては読者の皆様も薄々感づいておられることであろう。「A群」「B群」を、おしゃれか否かという言葉で言い換えても良いのだが、この論では敢えておしゃれという言葉は使わないことにしたい。おしゃれという概念にはマスコミのバイアスがかかり過ぎていると思うからだ。
さて、それではその各群に属する人たちがどのような性質を持っているか、これは大いなる私見であり客観性はまるでないのであるが書き進めてゆきたい。どちらがより良いとか、望ましいとかという話ではないのでまずは字面だけを追って戴きたい。服装による判別法によって導き出されるものに限らず、写真関連の学校やグループには下の2種の人種が居るのだという話である。
「A群」
価格ではなく自分の意志で選んだ服や小物を身につける
流行りのモノを集めたがる
スポーツ・芸能ニュースに詳しい
外向的
カメラは純粋に道具だと考える
まず写真の仕上がりをイメージして撮影にとりかかる そしてそれに付随する機材は何かと考える
写真以外の趣味が豊富
「B群」
衣類は必要に迫られて購入する
流行りのモノにはあえて背を向けやすい
スポーツ・芸能ニュースに明るくない
内省的
カメラ収集傾向がある
まず望む機材を入手し、それを手に入れてはじめて新しい表現を考え出す
写真以外の趣味が少ない
これをお読みになって、「B群」はあからさまにマイナス要素が多いではないかと思われる方が殆どだと思うが、私はまさに「B群」だったことをここに明言しておく。お怒りにならずに読み進めて戴きたい。写真関連の学校やグループに限らず、この2つの人種は時には反目しあい、また時には相哀れみながら共存しているのであるが、それぞれの人種はそれぞれの立場で満足感を得ているから互いに越境しようとはしないのが常である。各人に与えられたある一定の財力やセンスをどのような配分で使っているかの違いでしかないから満足感は皆同じであるということを確認しておきたい。そして一見、写真により注力しているように見えるのは「B群」であることもここで確認しておくことにしよう。
(来週に続く)
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