(筆者注:筆者は以前、確実にカメラマンを目指していた人間であります。このことをお含みになって読んでいただければ幸いです。この文章は写真愛好家・カメラマンにとって不快な内容を含みます。そのような文章を読みたくないと思われる方は直ちにブラウザを終了、あるいは他のページに移ってください。なお、この注意を無視してお読みになった上での苦情は受け付けませんのでご注意ください。これは筆者自身への戒めの意味を込めた文章であります。何卒ご了解下さい。)
連載「カメラマンにならないためのいくつかの方法」
(1)写真の専門家たれ 第3回
概してその種の写真雑誌には写真の機材がどうだとか、このカメラのこの新機能を使うとどうなる、といった記事が多すぎるのだ。月例フォトコンテストのコーナーや、写真家の紹介の記事などもあるにはあるが、これらは「カメラマンにはならないで下さい」と言わんばかりの少なさ加減である。カメラマンになろう、という選択もありなのだからそれを阻害するような雑誌の作り方は如何なものだろうか。カメラ・レンズ・フィルム・・・写真はこの3種の神器があれば写るということくらい我々アマチュアにも分かり切っていることなのにも拘わらず、その種の雑誌は手を変え品を変えて毎月同じシーズンになると類似した特集を組んでくる。そして、純粋な写真マニアの中学・高校生はどんどんカメラマンという道から逸れてゆく結果を生んでいるのだ。この文章は「どのようにしたらカメラマンにならずに済むか」という事を論じている文章なのでそれはそれで良いのだが、もし本当にカメラマンを志す者がその様な雑誌を貪り読むような事があれば、それは厳に慎むべきだろう。それは前述した「引き出し」を自ら少なくしている行為に他ならないからだ。本当にカメラを飯の種にしている人種は1年間購読しただけでそれらの雑誌とは縁を切るだろうから。本当に必要とする機材があれば自らカメラ店に足を運ぶのがプロカメラマンである。彼らはカメラメーカーの提灯記事など必要としていない。それが本当に実用的か否か。判断基準はそれだけである。
だがしかし、写真を純粋にホビーとして楽しむのならば、それらの雑誌はよき伴侶となってくれるだろう。買うはずもない、買えるはずもない無数の写真機材たち。それらのインプレッション記事ばかりで占められているそうした雑誌は確実にカメラマニアの目を和ませてくれるからだ。幼稚園児が世界の国旗を全て覚えたなどといってテレビに出演しているのをたまに見かけるが、我々アマチュアが例えば、歴代ニコンを全て言えるというのもそれと同じような価値しかないのではないだろうか。(自分も同じ穴のムジナだということをここで明言しておく)世界の国旗を全て覚えたからといって何の価値があるだろうか?同様に歴代ニコンを全て言えたからといってそれがその人の価値をいくばくかでも引き上げることがあるだろうか?答えは当然、否である。しかし人々の中にはそうした事柄に心血を注ぐ者もある。それは何故だろうか。それは単に趣味、この一語で片づける他ない。
趣味と実益、という言葉があるが、これは趣味と実益は確実に別物であるという事を端的に言い表してはいないだろうか。「偶然」に趣味でお金を戴けて良かったね、という意味が言外に含まれていると私などは解釈しているのだが、これは写真の世界についても言えることなのである。世の中には、こう言っては語弊があるかもしれないが、「ごく普通の」「別段なりたいとも思われない」職業が夥しくある。否、そうした職業の方が多いかもしれない。具体的に職種を挙げるのは憚られるので、既に皆さんの頭の中には幾つかの職業が浮かんできているだろうと信じて書き進めることにする。・・・さて、そうした「或る」職業にもし自分が就くと決まったとしよう。皆さんはどのようにその自分の立場を解釈・消化しようとするだろうか。私なら「生きてゆくために」「結婚生活を維持するために」などと答えるだろう、多分。「何もしないと暇なので」と言いたいところなのだが、残念ながら私の身内にはそんな資産家は居ないのだ。
閑話休題。そうして、どんなに自分なりの論をぶってみても、多くの人々は働かねばならない境遇におかれる。自分が納得したか否かとは全く関係なく、物を食べれば財布が軽くなり、服を着替えても確実に手持ちの金は少なくなってゆく。誰もが何もせずに金を手に入れたいと思うのは当然だし、また腹を空かせたままでは生命の危機にさらされる。この社会を生きる上で、誰かが誰かに使われないと金品の授受は発生しないのは自明の理だ。たとえ大会社の社長であっても業績が振るわなければ更迭されるし、大カメラマンであってもいい加減な仕事ばかりしていては「干されて」しまう。どうしても誰かの思い通りに動かなければ金は手に入らないのだ。どんなに「偉い」人間であっても。どんな職業でも、自分の意志を多少は曲げなければ金にはならないのである。ポジティブに、「曲げる」ではなく「顧客サービスに徹する」と言い換えても良いだろうが、そうした事を「〜マニア」は嫌うのが常だ。
大体、偏った見方なのは承知の上だが、「物」をベースにした趣味は職業になりにくいのが常なのだと思う。またも語弊があるだろうが、例えば新聞配達の人は新聞マニアだろうか?それから八百屋の人は野菜マニアだろうか?物書きの人はペンマニアで、サッカー選手はボールマニアだろうか?言い方を換えれば、新聞配達人は新聞にいつも触れていたいから新聞配達人になったのだろうか?サッカー選手はボール収集癖が高じて蹴ったりするようになるのだろうか?答えはどちらも否だろう。
この文章を読まれてるのは大概、カメラがお好きな人たちなのだろうと思う。
そこで、敢えて言わせていただきたい。
カメラマンにならないという運命の糸を皆さんは確実にたぐり寄せていると。
(来週に続く)
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